#7−2 聡里-side
「・・・っ・・」 後頭部に感じる鈍い痛みで目がさめた。
・・・そうだ・・・あの時・・・。
「ようやくお目覚めですか」
ハッと振り返り、その姿を見た瞬間無意識のうちに躯が緊張した。
「貴女には随分と手間を掛けさせられましたよ」
不気味な笑みを浮かべながら歩いてくる耶西に、聡里は寝台の上をジリジリと後退った。
あの時。皆との話し合いに出て行った継嗣を確認した聡里は、ひとりで裏の湖へと脚を向けた。
どうしても一人になりたかったのだ。ひとりになって、ちゃんと考えたかった。
思い出すのはあの雨の日。初めて継嗣と出会った日のことだ。
何の得もない、ましてお荷物になると分かっていて連れ去ってくれた継嗣。
継嗣がここまで負ぶさって来てくれなければ、今頃どうなっていただろう。
薬漬けのまま物の区別も付かず、感情すら無くし・・・末路は廃人に違いなかった。
ぼんやりと記憶に残る微かな映像。頬に触れた指先の感触、宥めるように囁く声。
あの日から、継嗣はとても優しくしてくれた。愛してくれた。
なのに。
---・・・柊が好きなんだな。
肩に掛かった継嗣の腕に、ビクリと躯を震わせて恐る恐る濡れた顔をあげ・・・益々涙が止まらなくなった。
継嗣を裏切ってしまったというのに、それでも継嗣は優しかった。
慈しむような目で、涙の跡をそっと拭ってくれた。
「・・・聡里は柊が好き?」
頬がピクリと引き攣るのを感じていたが、聡里は緩慢に首を左右に振った。
「聡里」
「好きなんかじゃ・・・ッ。私は・・・私は・・・」
「聡里」
継嗣の静かな声。
聡里はヒクッと息を呑んだ。
「・・・聡里、本当のことを言ってくれ」
それは決して暖かい言葉ではなかった。
けれど継嗣の眼差しは優しさに満ちていて、聡里は震える口唇をグッと引き締め堪える。
「柊のことが、好きか?」
黙ったままお互いを見つめた。
滲む視界で継嗣が揺れていた。
どれだけ見つめあっただろう。
長い沈黙の後、聡里は小さく頷いたのだ。
その拍子に堪えていた涙が、再び一筋零れ落ちた。
「・・・そうか」
溜め息交じりのその声に、目を伏せたまま上げられなくなった。
今継嗣はどんな顔をしているのだろう。
涙の出しすぎで目許は痛み喉はカラカラだ。
それでも、言わなければいけないことがある。
「あの・・・継嗣・・・」
聡里は継嗣の腕を震える腕で強くギュッと掴んだ。
「あの・・・ね・・・」
少しも潤わない喉で一度だけ、喉の奥で唾を飲み込むようにした。
なかなか言葉が口から出て行かない。けれど言わなければ。
「私・・・きの・・う・・・柊と・・・っ」
ハッとして顔をあげた。
押さえられた口唇から、ゆっくりと継嗣の手が離れていく。
「・・・知ってる」
「え・・・」
「柊に、聞いた。お前らが帰ってきてスグ・・・な」
緩やかな仕草で抱き込まれた為、継嗣がどんな顔をしていたかはわからない。
けれど、頭を撫でる優しげな感触に、聡里も継嗣の背に手を回した。
「だからもしかしたら・・・って思ってたさ。アイツは発作が起きたって言ってたが、アレは治ったはずだしな」
聡里は気まずげに視線を彷徨わせた。
「けど、俺はそう思っていながら信じようとしなかった。・・・信じたくなかった」
最期の方は消えそうなほど小さく、まるで溜め息のような声だった。
その音に酷く心が痛む。しかし継嗣にそんな声を出させているのは他でもない聡里なのだ。
これまで継嗣ほど聡里を想ってくれた人はいなかったというのに。
「そんな顔すんなっての。・・・お前が悪いわけじゃない」
継嗣からは聡里の顔が見えるらしい。
きつく目を瞑り、同じくらいの強さで継嗣の胸にしがみ付いた。
肩で息を繰り返し、部屋中を駆け回る。「逃げ場などありませんよ、姫」
・・・そんなことは解かっていた。
部屋としては広いけれど、逃げ回るには狭すぎる。
外に出られないこの場所で、まるで鬼ごっこのように逃げ回っても意味は無い。
解かっている。解かりきっているけれど。
「・・・あッ」
小さい躯ながらも懸命に逃げ回っていたが、体力が落ちてきた所為か目の前にあった衝立に脚を取られてしまった。
慌てて立ち上がろうとしたが、後ろから腕を引っ張られバランスを崩したまま倒れこんだ。
「痛・・・っ」
どうやら転んだ拍子に足首を捻ってしまった様だ。
突然走った痛みに思わず指を這わそうとした聡里だったが、触れる前にその腕を掴まれてしまった。
「・・・いけない子だ」
口許がニタリと歪んでいた。
「私から逃げようとするなど・・・」
腰を引き寄せられ生暖かい濡れた感触が耳朶を包んだ。
男の息が耳元をかすり、躯が震えると同時に鳥肌が立つのが解かる。
その気持ち悪さに喉からグッと来るものを懸命に堪えていた。
「どうやらすっかり正気に戻ってしまったようですね。以前は可愛らしい媚態を晒してくれたというのに・・・」
クスクスと笑いながら、耶西の舌は耳朶から首筋へと降りていく。
その瞬間の不快感といったら無い。
「やめ・・・やめて・・・ッ」
あまりの嫌悪さに、聡里は力の限り腕を振った。
何度目かの拍子に聡里の爪先が耶西の頬をかすり、わずかに怯んだ隙にその腕から逃れることに成功する。
密着していた躯も離れ、ホッとしたのも一瞬だった。
「この・・・ッ優しくしておけば・・・ッ」
耶西の瞳が妖しく光るのに恐怖を感じ、聡里は部屋の端へと走り出した。
痛む脚などに構ってられない。とにかく離れなければ。
しかしこの部屋に逃げ場などありはしない。
・・・何処に・・・何処に逃げれば・・・。
脚を引きずりながら視線を彷徨わせ、ハッとしたようにそれを見た。
「フフ・・・。まさかその窓から飛び降りるとでも?」
聡里の視線の先に気づいた耶西が笑みを浮かべたまま言った。
豪邸に似合った大きい窓。窓というよりも透明なガラス扉といった方があっているのかもしれない。
それほど大きな窓だった。
僅かに開いている窓の外を見ると、見下ろす地面は喉を鳴らすほど遠かった。
「さぁ・・・私の腕の中に来るのです」
目を細め、ゆっくりとした動作で歩いてくる。
後ろは窓だ。もう後が無い状態である
心臓が痛いほど高鳴っていた。渇いた喉を一度だけ上下させ・・・。
「馬鹿な・・・ッ!!」
耶西の驚く声を背に、聡里は意を決して窓枠の外に出た。
バルコニーもなく、足場は本当に窓枠だけだ。
その小さく細い場所につま先を置き、今にも落ちそうな程身を乗り出す。
「やめなさい!」
まさか本当に窓の外に出るとは思わなかったであろう耶西が、表情を顰め走り寄ってくるのを聡里は強く拒絶した。
「来ないで下さい!」
力の限り叫んだ聡里の声に、耶西も思わずといった風に立ち止まった。
けれどどれほどの効果もないであろう、その声に、耶西は再び厭な笑みを浮かべていた。
「・・・姫。そこで何をしようというのです?悪戯は仕舞にしませんか」
最初こそ早足だった耶西だが、聡里が足場の悪い窓枠に立ち往生しているのを見ると、冷静さを取り戻したようだ。
のっそりとした脚で聡里を追い詰めていく。
「さぁ、こちらに・・・」
聡里にも解かっていた。こんな場所に来たとして、何が出来るわけでもない。
けれど、あのまま部屋の中を永遠のように逃げ回るよりは、いっそこのまま・・・。
飛び降りる覚悟を決め兼ねている時だった。
「聡里・・・ッ」
まさに真下から、懐かしい声を聞いたのは。
その声にビクリと躯を震わせ耳を疑った。
長く・・・本当に長く聞いていない懐かしい声。
目前に迫る耶西の耳にも聞こえたのだろう。
目を見開き躯は今まで見たことが無いほど震えていた。
聡里が振り返るようにして地面を見下ろすと、想像していた通りの姿があった。
「兄さま・・・?」
そこには少数の帝国兵。その先頭には聡里の兄・創英の姿。
それは聡里が城を出る前となんら変ること無い兄の姿だったが、表情はどこか焦りが混じっていた。
「ま、まさか・・・」
ハッと再び視線を部屋の中に移すと、真っ青な顔をした耶西が立っていた。
それもそのはずである。
帝国兵が来ていると言うことは、耶西の悪行も知れてしまったということなのだろう。
「こんなはずじゃ・・・こんな・・・」
フラリフラリ・・・と近づいてくるその視線は、どこか焦点が定まっていなかった。
その足取りに危険なものを感じたが、如何せん上手く身動きが取れずその姿を見つめることしかできない。
「何故こんなことに・・・」
けれど、突然それは聡里に向けられた。
「そうだ・・姫が・・・私から逃げるから・・・ッ」
気づいたときには遅かった。
開ききったような目でにじり寄ってくる耶西から逃れるには足場も狭く、その腕が聡里の腕を掴んだ時、反射的に振り払ってしまった。
「あ・・・ッ」
その衝動でバランスが崩れ、元々フラついていた足許が足場から離れ・・・まっ逆さまに宙へと放り投げられのだ。
落ちる衝動に気を失う瞬間、愛しい人の声を聞いた気がした。
↓ひとこと喝ッ!!フォーム↓
感想・世間話・誤字脱字などお気軽に♪
文字はこのままでも送れます。
お返事はdiaryより。お礼SS『侵蝕:100のお題・鏡』(9/27)
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||