電車の行き交う、朝のラッシュ時の中での言葉で思わず聞き漏らしそうになった。

「跡部に片思いも好き」

意味を掴みかねて跡部は言った本人に視線を向けるが、当の本人はいつものゆだれを垂らしそうな程のだらしない顔だった。
とても今さっき何事か呟いたようには見えない。

幻聴か、と思ったが、とてもそうとは思えなかった。
再度跡部が引きずっている相手を見やっても、やはり半睡状態だ。










                            そこにある想い





 慈郎はぼーっとした顔で電車を待っていた。
いや、待っているというよりは、ただ単に眠いのを必死で倒れないように体のバランスを整えているだけかもしれない。
 朝の通勤・通学ラッシュだというのに、人にぶつからないという事自体が奇跡だった。

「おーいッ!ジロっ!今日は寝坊しなかったのかよ」

 そんな夢現(ゆめうつつ)の慈郎をボーイズソプラノの高い声で呼ぶのは向日岳人。慈郎よりも低い身長で軽々と床を蹴って混んだ人ごみの向こうから手を振っている。
 おはよう、と慈郎は小さく手を振ってその岳人がたどり着くのを待った。

「おい、岳人っ いつまで飛んでやがるんだ。迷惑だろーが!」

 近くまで来たところで漸く、その姿が見えた跡部が未だにぴょんぴょんと飛んでいる岳人に良い加減にしろ、とばかりに怒鳴る。
 めずらしかった。
 生まれも育ちの良い跡部は常日頃から自家用車での送り迎えが常だったために、こうやって混雑した駅のホームで出会う事など皆無に等しい。しかもいつも忍足と一緒に来る岳人とツーショットという点が酷くものめずらしかった。
しかも態度がでかく、わが道を行く跡部が周りの迷惑になるだろ、と岳人を注意しているのだった。思わず慈郎は夢ではないのか、と瞼を擦る。

「まだ眠いのかよ、何時に寝たんだ?おい」
「んー…とね…7時くらい……かな」
「思いっきり寝てんじゃねーか」

そう?と聞き返す慈郎に、跡部と岳人は息を吐いた。
慈郎にとってはそれが日常なのだ、と言ってから思い至る。

「なんであとべここにいるの」
「あぁ?俺にも家の事情ってモンがあんだよ。それにたまにはこうやって行かねーと体がなまるからな」
「ふーん……」

 跡部は、たとえ行き帰りが車であっても体が鈍る様な事はしないと思う。
ここに忍足が居たとしたら、きっと「一緒に行きたかったんやろ」とか似非っぽい関西弁で絡んでいくんだろう。そう慈郎が思っている内に、3人の乗る電車がホームに到着した。

「ところでさ、忍足はどーしたの?」

 二つ目の疑問を今度は岳人に尋ねる。

「さー?昨日隣のクラスの女子に呼び出されてたからそっちなんじゃねー……あ」

 言ってから、しまったとばかりに思わず岳人は口を手で押える。
そしてすぐ横の跡部を見上げた。

「なんでそこで俺を見るんだよ。あ?」
「いや、別に…」
「…良いの?…うわき」
「どうして浮気になんだよ。あんな胡散臭い関西人知るか」

確かに胡散臭い、と慈郎と岳人も一瞬同意したが、口には出さない。
しかし少なからずその胡散臭い関西人とこの目の前の跡部が『付き合っている』という話は知っている。
 心なしか慈郎の視線は下へと下降したのだった。

「っつーかこんな朝の満員電車の中でするような話じゃねーだろ」
「確かに今日は侑士じゃなくて跡部だからむさくなくって良いよな」
「……良いにおいだし…」
「それ本人が聞いたら泣くぞ…」

 いつもこんなテンポなのか、と少々呆れる跡部だった。
 まぁ、そんなこんなで電車は黙々と3人の降りる駅に進むわけで。

「あーやっと外の空気が吸えるぜ」

いつもの事ながら、やはり満員電車は辛い。
とくに飛び回るのが好きな岳人には狭すぎる空間だろう。
扉が開いて外の新鮮な空気が入ってくるのと同時に岳人は電車を降りる。それに続いて跡部も出口へと向かおうとしたところだった。はたと慈郎の様子にぎょっとする。
寝ている。
この窮屈な満員電車で、だ。

「ジローッ」

呼んで慈郎の手を引こうと引き返したのと扉が閉まる合図が聞こえたのは同時で。

「あ」

岳人が声を漏らしたのは既に二人を電車に乗せたまま扉が閉まった時だった。
当然そのまま電車は次の駅へ向けて発車する。

「…あー……」

半ば呆然としながら、岳人は仲良く(?)二人を乗せて走っていってしまう電車を眺めるしかなかった。
そしてこれが朝練で早かったから良かったな、と思うのだった。
当の朝練には完全遅刻となるであろうが。



結局、半ば睡眠状態の慈郎を引きずっての移動の為に戻りの電車を一本乗り過ごし、二人が朝練に到着できたのは岳人が到着してから20分後だった。

「災難やったなー跡部」

岳人に聞いたのだろう、忍足が楽しそうに話しかけてくる。話しかけてきたのはランニング後の事で、跡部はタオルでかいた汗を拭きながら視線を向けることも無い。

「別に。怒ってねーしな」
「あら、ジローには優しいのやな」

もちろん、厭味も含んで言う忍足を軽く一瞥して、コートのベンチで未だに眠ってしまっている慈郎へと視線を移す。これでは意地で朝練に連れてきたというのに意味がない。
 当の昔に諦めてしまっている節もあるのだが。

「『ジローは心がおもろい』んだろ?そんな事よりてめーこそ朝っぱらから女と一緒だったんだろうが。遅刻したんならグラウンド10周だ」
「それじゃぁどっかの部長さんやがな」
「部の締りとして罰則は当然だろーが。おい、鳳。俺にも一杯寄こせ」

丁度ほんの数歩近くに居た鳳がミネラルウォーターを取り出したのを見て跡部が声を掛ける。それに鳳は慌てて返事をして、後輩の遠慮から自分の持参の水筒のコップを取り出してそれに注いだ。

「あ、もしかして妬いてくれはってんの?」
「誰が、どいつに」
「俺」
「んなわけあるか。きしょくわりぃ」

言ってタオルを忍足の顔面に投げつける。

「…痛い…ひどいわー、ちょっと道聞かれたんで教えてやってだだけやねんで?俺は景ちゃん一筋やもん。な?そないに拗ねんと、ほんま悪かったって。俺も朝から景ちゃんのごっつ綺麗な顔見れへんで寂しかったんし」

一気に言って、だきっと動きの無い跡部の体を背後から抱きしめる。
それを聞いて見ていた周囲はもはや半分砂吐き状態だ。鳳に至ってはコップについでいたミネラルウォーターが溢れ出て地面にしみこんでしまっている始末。

「今朝電車だって知っとったら絶対来…で!」

無言で飛んできた鉄拳に避ける暇も無く、というか跡部に抱きついたままの忍足は左頬に捻り込まれ悲鳴を上げた。

「寄るな触るな近づくな、この似非関西人の変態野郎。殴るぞ」
「……もう殴られてんですけど……」

ふんっと跡部はそのままずかずかと慈郎の寝ているであろうベンチへと歩いていって、どかっと座り込んだ。
そうして今日は最悪だ、と内心で悪態を付く。

「てめーの所為もあるんだからな」

けして慈郎に言ったというわけではな無かった。半ば呟きに近い口調で跡部は吐き捨てる。
が、吐き捨てたのと同時にタイミングよく、寝ていた筈の慈郎が突如ムクリと体を起したのには、さしもの跡部も思わずびくりと体を跳ねらせる。

「漸くお目覚めか?ジロー」
「……ぅー…」

慈郎はポリポリと頭を掻いて、それから体を跡部の方へと向けて方向転換した。
転換してから、目の前の跡部と、水道場から少なからずこちらを見ている忍足を交互に見遣る。そうしたかと思うと、不意に目の前の跡部へとふらりと倒れこんだ。
それに慌てたのは当然目の前に居た跡部。

「お、おいバカジロー!」

ポスン、という感じに、慈郎はそのまま間隔も丁度よく跡部の膝の上に倒れこんだ。
かと思えばそのまま気持ち良さそうに寝る体勢を整えてしまったのだった。

「バ……バカ野郎!起きろジローッ」
「……やっぱやだもん」

は?
跡部はいつものポーカーフェイスやら俺様な態度のでかさは何処へ行ってしまったのか、ガラにも無く頭の上に?を浮かべている。
そんな跡部を全く気にしずに、慈郎は完全に跡部の膝の上で寛いでしまっていた。

やだもん、ってお前は一体いくつだ。っていうか男か。
と問いたくなる。

「片思いも良いけどやっぱ痛いのやじゃん」
「…相変わらず訳のわかんねー事言ってねーで、何が楽しくて男に膝枕なんてしなきゃなんねーんだよ!起きろ!!練習しやがれ!!!」

普通男がするんじゃなくって女がするもんだろ。膝枕は。

「お前の貯金じゃ俺様の膝は半分にもならねーんだぞッ!!」
「だってー……跡部気持ち良いしー……」

普段だったら、他の奴だったら今すぐにでも蹴り飛ばしてやるのに。
いくら耳元で怒鳴ってやっても慈郎は動く気配も起きる気配も無かった。

『跡部はジローに甘い』

散々言われて、否定したり無視なんて数え切れないくらいした。
しかしこういう時に実感してならない。


自分は慈郎には甘い、と。



「最悪だ……」






end.









誕生日&サイト2周年おめでとう、な比奈ちゃんへ捧げるジロ跡でっす!
いやー、頑張りました。何せジャンルが違うから。私不二受けで跡部様攻めだから。
でも頑張りました……。

一応ジロ跡なんだけど、忍跡ベースで。
でも忍跡かけそうに無かったから出番が少なくなって…。(汗)
私的に忍足さんはマニアだと思うのです。いや、オタクかな。
なので書くとおかしい人です。すみません。ファンの方…。愛はあるよ。

絶対跡部様はジロに甘い!
対不二戦でも唯一「ジロー!!」とか言って二回も叫んだから。

そしてジロに振り回されて冷静さを欠いてしまう跡部様が微笑ましいの(笑)
ジロ跡は好きだ。


というわけで、比奈ちゃんに捧げる!いつもありがとう!








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