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-プロローグ-

 憧れの先輩がいる。

 頭脳明晰で教師受けがよく、副会長に選ばれたりしてたくさんの人達に尊敬されている。それなのに、バスケット部のエースで容姿端麗ときている。全てにおいてオールマイティーな人。

 生田 透司。1学年、年上の先輩だ。

 入学と同時に噂を聞き、実物を見てかっこいいと思った。

 容姿だけでない。中身がかっこいいのだ。

 坂遠 ハジメは生田 透司に、果てしなく憧れていた。






 廊下を駆ける足音がする。

 紺の学生服に身を包んだ少年は、汗ばむ額に張り付いたサラサラな漆黒の前髪を鬱陶しげに振り払った。

 見上げると目的のプレートを発見した少年は、『3年1組』と記してあるプレートの扉を遠慮がちに開けた。

 扉を開けると付近にいた者が気付き、歩み寄ってきた。

「生田なら保健室だよ」

 少年も、生田 透司程ではないが結構有名なのだ。それに、少年が生田を呼びに来ることは常であったのだ。

 少年は一礼すると、身を翻し来た道を戻る。3年1組の教室と保健室は全くの逆方向だったのだ。

 左手首に嵌めた時計を気にしながら、少年は長い廊下を保健室を目指して走る。休み時間は、もうあと僅かだった。

 少年は肩で呼吸をしながら保健室の扉に手をかけた。

「あれ?坂遠じゃないか」

 毎日聞いているのに全く聞きなれない、生田の声が少年の耳に聞こえてきた。

 少年が口を開けたその時、ある一点に目を奪われ口を閉じることも忘れたままその場に立ち尽くしてしまった。

「ああ・・・。見られちまったなぁ・・・」

 生田の少年を見る目は笑っている。

 生田の指先には煙草が摘まれていた。信じられない光景だった。

 しばらく何も言えないでいると突然声が聞こえてきたその時、2人以外に誰かいることに気付く。

「だれ、ソイツ」

 生田の座っているベッドの半分がカーテンで隠すように閉ざされていたが、その向こうに人の気配を感じた。

「ああ、智早。起きたのか?」

 カーテンが揺れる。覗いた顔には見覚えがあった。

 麻生 智早(あそう ちはや)。学園きっての超問題児。

 生田とは仲が良いらしく、よく一緒につるんでいるという噂を何度も聞いたことがある。しかし、少年は”麻生 智早”を初めて見る。

「俺の後輩だよ。同じ生徒会の会計書記やってんだ」

 乱れた服装を正しながら、生田が説明する。

 何気なく生田を見た少年は、生田の首筋に朱い鬱血の痕を見付けてしまい、目を逸らす。

「あ、あの・・・っ。あ、明日の授業後に生徒会の集会がありますから・・・っ」

 捲り上げるように早口で喋りあげた。あまりに居辛く、早くここから去りたかったのだ。

「げ。またあるのかぁ?ち・・・っ。また部活途中で抜けなきゃな・・・」

 生田は眉を顰め、手にしていた煙草を口許へ運ぶ。尊敬していた先輩のその姿を瞳に映したくなくて目を背けると、智早と目が合ってしまった。どうやら智早は少年をずっと見ていたようだった。

 いたたまれず少年は視線を逸らし、それじゃあ・・・と、扉のノブに手をかけた。

「あ――っ。ちょっと待ったっ」

 呼び止める声に振り返ると絶句してしまう。

「あのさ、透司の後輩なんだって?名前は?」

 智早の言葉など全く聞いてはいなかった。目に映るものに思わず顔が朱くなるのを自分でも感じていた。頭の中は空っぽだった。

「なあ・・・。聞いてんの?」

 智早の声で我に返る。見開いていた瞳が元に戻ると、智早の顔をまともに見ることができなくなってしまった。

 理由は簡単だ。

 顔を見ると当然のように躯まで見えてしまうのだ。今の智早は躯に何も纏っていない。いわゆる全裸なのである。下着さえも穿いていない、一糸纏わぬ智早に何と答えてよいか解からなかった。

「だぁからぁ。な・ま・えっ」

 智早が苛ついた様子で声を張り上げて、少年の近くに歩み寄った。

 少年は助けて欲しいような心情で、思わず声を張り上げてしまう。

「さ・・・坂遠・・ハジメ・・ですっ」

 ハジメは言いながらも後退る。

 目を笑わせ口許を吊り上げた智早はハジメの頬へ手を伸ばした。

 ハジメは小さく悲鳴を洩らし身を引いたがもう後は無く、何も見えないように瞳を閉じた。

「ふーん・・・。ハジメちゃんかぁ」

 智早はハジメを嘗め回すようにようにして見ると、再び口許を吊り上げて微笑う。

 智早の手が頬から首筋へとゆっくり下りていくのに驚いたハジメは思わず瞳を開けてしまった。当然智早の丸裸の躯がハジメの瞳に入ってくる。ハジメは反射的に目を瞑ってしまう。しかし、智早の次の言葉でもう一度開けることになる。

「一緒に愉しもうぜ」

 ハジメの腕を掴んだ智早は強引にベッドの上へと連れ込んだ。

 あまりに驚いて身動き一つ取れていないはじめに気にも止めず、智早はハジメの学ランを素早く脱がせ始めた。それに気付いたハジメは急いで止めさせようともがくが非力なハジメが智早に敵うはずも無く・・・。

「だーいじょーぶ。気持ちよくしてやるよ」

 耳を嘗められる感触に慣れず、小さな悲鳴をあげたハジメは思わず智早の胸許のシャツを握り締めてしまった。

 震えているハジメを見て、智早は面白そうに小さく笑う。

「おい、智早。あんまし虐めすぎるなよ。俺の可愛い後輩なんだから」

 ベッドに座ったまま煙草を吸う生田を、智早は一瞥すると再びハジメに視線を戻す。

 躯を震わせているハジメは、きつく瞳を閉じていて長めの睫毛も一緒に震えていて・・・。

「・・・確かに可愛いな」

 噛み締めているハジメの口唇に自分の口唇を寄せた智早。触れるとハジメが弾けたように退いた所為で口唇は瞬く間に離れてしまった。

 一瞬じゃ満足できなかった智早は、再びハジメの口唇を追ったがハジメの頑なな拒絶に焦れ、がむしゃらに抵抗していたハジメの両腕を抑え込み強引に口唇を重ね合わせた。

 口唇の隙間からハジメの柔らかな舌先に智早は自分のそれを絡ませ、執拗に口腔内をまさぐった。

 時々ハジメの口からくぐもった声が聞こえてきて、智早の下半身を昂ぶらせていく。キスだけでは飽き足りてしまった智早は、早々とハジメの制服の下に手をかけた。

「おいおい。悪い癖は止めとけよ」

 ソレくらいにしておけよ、とベッドに腰掛けていた生田が言った。智早のしようとしていたことに気付き止めには入るが、智早はベルトを外してしまうと一気に下着ごと引き抜いてしまった。

 ハジメは声にならない悲鳴をあげ、智早の下から抜け出そうとしているがウエイト差なのか全く敵うことは無かった。

「や・・・めて、下さいっ」

 ハジメが真っ赤になって叫ぶように言っても、智早は微笑んだままだった。

「やぁ・・・っ。こんな・・・っ。だいたい・・・っ、先輩達はここで何を・・・っ」

「俺と透司?」

 智早は無駄な抵抗を繰り返しているハジメを面白そうに眺め、瞳を細めた。

「そんなに知りたきゃ、教えてやるよ」

 いい様、智早はハジメの首筋に口唇を落とす。その間にハジメの着ているシャツの釦を器用に外していく。

 生田はその様子を見ても、もう止めることはなかったが溜息を吐いた

 全開になったシャツの中の突起に触れられ、ハジメは全身に電流が流れるような感覚に陥る。

 「へぇ〜?ここ・・・感じんの?」

 智早に含み笑うように言われ、顔を朱くしたハジメは口唇を強く噛み締めた。

 しかし、次の瞬間驚愕する。智早がハジメの剥き出しの胸に顔を埋めて、あろうことか舌で先程まで指でいたぶられていた所を嘗め始めたのだ。

「や・・・っ。やめ・・・っ。や・・・ぁ・・っ」

 止めさせようにも両腕は押さえ込まれており、口を開けば信じられない声が出る。

 ハジメはどうしようもなく、気持ちがいい程の刺激と逃げ出したいほどの羞恥心で頭が変になりそうだった。

 いや、もうなっているのかもしれない。

「ハジメちゃん?ココ・・・、そんなにするほど気持ちがいいわけ?」

 最初は何を言われたのか解からなかった。だが、智早がハジメの下肢に手を伸ばすと嫌でも解かってしまった。智早が指を動かすたびに聞こえてくる淫らな音に、ハジメは耳を押さえたい衝動にかけられた。

「ほぉら・・・。ぐっちゃぐちゃ。やっぱりハジメちゃんも男なんだねぇ」

 相変わらず智早の口調はふざけたように笑っている。

 何故こんなことになったのか。いくら考えても解からない。

 何故目の前の男が男の自分にこんなことをしているのか。何故自分は男にこんなことをされて感じているのか。

 何故、憧れていた先輩が、自分と智早を面白そうに見ているのかさえも・・・。

 もう、何もかも解からなかった。

「ひ・・・っ」

 頭の中が葛藤していて、気付かないうちにハジメはとんでもない所に違和感を感じた。更にわけが解からなくて違和感をなくそうと試みるが、なかなか上手くいかない。

 ハジメは躯をよじうると、そこに圧迫感が増すのを感じたと同時に智早が舌打ちをした。

「やっぱり未貫通は硬いな・・・。指がこれ以上入んねェよ」

 ハジメの躯がビクリと揺れる。不可解な違和感の正体が解かってしまった。智早の・・・指だったのだ。

「仕方ねェな。四つん這いになって腰あげな」

 指を一気に引き抜かれ痛みを堪えるために目を瞑ったハジメは、智早に恥ずかしいことを言われて驚愕の瞳で智早を見た。

 ハジメの見たものは、口許を吊り上げ悪魔のごとく微笑んでいる智早の顔だった。







 掴んだシーツに皺ができるほどきつく握り締める。揺れる腰を止められず、堪えるために更にシーツを掴む指に力が入った。

「あ・・・っ。い・・ぁ・・・っ」

 明らかに嬌声だった。初めは唾液で唾液で濡れた指だけだったのに、今はそれに混じって智早の舌までハジメの中に入っていた。

 智早が舌で中を掻き回すように蠢かすと、ハジメの腰は堪らないといったように揺れる。そこは既に柔らかかった。

「そろそろ・・いっかな?」

 たっぷりと濡れたそこに何か熱いものがあてがわれたと頭の隅で感じとると、息も吐かないうちにそれを奥へと押し込まれた。

「ぐ・・・い・・ぁ・・・っ。い・・たい・・・っ」

 強引なそれはなおも進入を止めない。

「やぁぁ・・・っ」

 躯が強張る。頬に暖かいものが流れた。

 それが涙だと気付く余裕もなく、ハジメは熱く自分の奥に入り込もうとするモノから身を捩った。

 しかし、強い力に引き寄せられ、更に奥へと入ってしまう。

 声も出せず、ただ口唇を震わせていた。

「泣いてるのか?」

 背後から聞こえてきた声は、優しい音だった。

「力、抜けよ。俺もお前も愉しめないだろう?」

 智早はハジメの前に手を回すと、ハジメの小さくなってしまったそれを掴んで上下に擦り上げ、同時に腰をゆっくりと回すように揺らす。

「は・・・ン・・っ」

 その時、ハジメは自分の中に何が入っているのかを知ってしまった。

 痛みを伴うその行為がいけないことだということは知っていた。

 しかし、ハジメの意思とは関係なく躯はその行為に慣れるどころか快感さえも覚え始めていく。

「や・・っ。怖・・いっ。怖いィ・・・っ」

 ハジメは恐怖を感じていた。

 今、強引に自分を変えられている。この先にどんなことが待っているのか解からない。

「大丈夫。大丈夫だ」

 慣れない快感をもてあましながら、自分が自分でなくなる恐怖で震えているハジメをみて、智早は同じ恐怖を覚えていた。

 ハジメを見ていると自分でなくなるような、自分が変わってしまうような感覚。最初から感じていた。

 それでもハジメを抱かずにはいられなかった。






 二人はほとんど同時に達した。

 二人の荒い息の音がしばらくあたりに響く。

 智早はハジメごとベッドに沈み込むと、瞳を閉じて余韻に浸っていた。

 これほどの開放感を味わったのは久しぶりだった。

「で?よかったか?智早」

 頭から冷水を浴びせられた気分だった。生田の存在をすっかり忘れていた。

 ハジメも同じだったらしく、声を掛けられた瞬間ハジメの背中が大きく揺れた。

 智早はゆっくりと躯を起こすと生田を振り返る。その時、未だにハジメの中に入ったままだったモノが動き、ハジメは小さく声を上げた。

「・・・まあな」

 漠然としない答えだったが、生田は引っ掛かりを感じながらもハジメを見遣った。

 ハジメはまだ焦点の合わない目で惚けたようにあらぬ方向を見詰めていた。

「なあ・・坂遠」

 生田の呼びかけに気付いたハジメはいつもと同じにまっすぐ生田を見た。違うところは瞳が淫らに濡れていることだけだった。

 ハジメの傍らに歩み寄った生田は、その手を取って言った。

「俺も犯っていい?」

 ハジメの瞳が大きく開かれた。まさか生田がそんなことを言い出すなんて思いもしなかったのだ。

 生田は驚いているハジメに気付いてはいたが、智早を振り返って聞いた。

「いいか?智早」

 衣服の乱れを直していた智早は、突然声を掛けられて不思議そうな顔をした。

「別にいいんじゃねェ?」

 何で俺に聞くんだよ、とでも言いたそうな顔に生田は苦笑する。

「さて、智早のお許しもでたし・・・」

 生田は再びハジメに向き直る。一瞬躯を震わせたハジメは尻で後退るが、生田に簡単に追い詰められてしまった。

 ハジメの太腿に光る白い智早とハジメの精液に興奮し、生田はハジメの腕を掴み強引に引き寄せた。その拍子に奥に放たれた智早の精液がドロリと脚を伝いハジメは眉を顰めたが、そんな場合ではないと思い懸命に抵抗した。

 いつまでも抵抗を止めないハジメに焦れた生田は、智早を呼びつけてハジメの手首を持っているように言った。

 智早もそれに従い、両手首を持ってハジメを背中から抱え込んだ。

「ま、3Pもいいよな」

 生田はハジメの足を担ぎ上げると、一気に自分の昂ぶった怒張を挿入した。

 智早の精液で濡れていたそこは、拒むことなくすんなりと生田を受け入れた。痛みは何もなく、そこから快感だけが広がる。

 口が塞がらず、甘い声で喘いでしまう。何も考えられず頬に再び涙が伝う。

 口唇に温かいものが触れた。柔らかいものがハジメの口唇を割って、舌に絡みつく。

 ハジメは訳が解からず無意識のうちに自分から舌を絡ませた。

 それが智早の口唇であると判断することは、今の初めには到底出来ないことであった。






 右手にホッチキスを持って、数枚のプリントを機械的に留めていく。今、この生徒会室には会長とハジメしかいない。

 この学校の生徒会は、会長、副会長、会計書記の3人で成り立っている。――と、いうことは、今欠けているのは副会長の生田だけであった。

 黙々とプリントを束ねていると、突然生徒会室の扉が開いた。

「・・・どういうことだよ」

 ドアを苛立たしげに開けた人物は、ハジメもよく知っている人物だった。

「それは、こっちの科白だ。遅刻した分際で何だ?副会長」

 会長は頬杖をついて呆れた顔で生田を眺めている。

「遅刻したのは悪かった。でも・・・」

 生田はしかめっ面で会長の座る席まではや歩きする。そして、バンっと、机を思いっきり叩くと大きな声で叫ぶように怒鳴った。

「どうして剣道部の部費よりバスケ部の部費が少ないんだ!!」

 生田は、あと少しで口唇同士がくっつくんじゃと思うくらい顔を寄せて怒鳴っていた。

 生田はどんな時でも力の限りを尽くすが、バスケ部のことになると何よりも真剣になる。

 ハジメはその横顔に惹かれたのだ。

「言わせて貰うが、剣道部には実績がある」

「バスケ部だってあるだろう!?」

 二人は決して目を逸らそうとはしない。怒りだっている生田とは反対に、会長はいたって冷静だった。

「今年の夏の全国大会ベスト3か?」

「そうだよ」

「だが、バスケ部はコレが初めてだよな?」

 会長の切り出しに生田がぐっと息を詰まらせた。

「剣道部はちがう。毎年全国大会で上位の成績を収めている。ぽっと出のバスケ部とは訳が違う」

 会長の辛辣な言い方に、生田の目が吊り上る。

「あぁ? ぽっと出だぁ?」

「ぽっと出はぽっと出だろう。悔しかったら次も全国大会を狙うんだな」

 会長は3学年。生田は2学年。

 学年が違うにも関わらず、二人はいつもこの調子であった。

 生田は舌打ちをすると、わかってるよ・・・と会長に背を向けた。

「っくしょう・・・。次こそ絶対に勝ち抜いてやるからな」

 野心に満ちた表情だった。

 生田はいつも何か野望を持っていると常日頃からハジメは思っていた。

 野望が強いだけじゃない。それを実行に移せる人なんてそうはいない。

 ハジメはどうしようもなく惹かれている自分に戸惑っている。だが――。

 昨日のことがハジメの頭をフラッシュバックする。

 ハジメは口唇を噛み締めた。

 昨日、行為が終った頃には昼休みなどとっくに終っていた。当たり前だろう。二人がかりで幾度も昂められたのだ。

 ・・・先輩・・・。何であんなことしたんだ・・・っ

 あれは立派な強姦だった。男のハジメでもそう言っていいのか解からないが、明らかに犯罪であった。

 そして、その前の煙草も・・・。

 あんなことがあったのに、生田に失望できない自分が悔しい。いや、呆れているのかもしれない。

 生田をまだ好きでいる自分に・・・――。







 ハジメは何気なく顔を上げた。そこには見慣れた顔が。そして、今は見ていたくなかった顔が・・・。

「よぉ」

 生田はいつもどおりの笑顔で手を振ってくる。何もなかったかのように。

「・・・こんにちは」

 ハジメは困惑した顔で生田を見詰めるが、生田は気にも止めずに寄って来た。

 そんな所は『麻生 智早』と似ているかもしれない、と密かに思ってしまった。

「お前は何か部活に入ってたっけ?」

「・・・いえ」

 多少ハジメの気が落ちていたが、コレだけ聞くと全くいつもと同じ会話だ。

「帰宅部か・・・。駄目だぞ、そんなんじゃ。だから躯が細いんだ」

 ギクリとする。

 ハジメの躯を見れば、ほとんどの人が持つ感想だ。普通なら何の反応も起こさない科白なのに、あんなことをした後だと・・・。

「よ・・よく・・・言われ・・ます・・・」

 ハジメが顔面蒼白にしていることを知ってか、生田はハジメの顔を覗き込んだ。

「ま、俺が鍛えてやるよ。なんならバスケ部に来てくれてもいいぜ」

 生田はハジメの背中を音が出るほど叩くと自分の席へと戻っていった。

 本当に以前と何も変わっていなかった。昨日のことを仄めかす素振りさえなかった。

 あるはずないのに、昨日のことは夢だったと思ってしまう自分がいることをハジメは情けなく思う。






 しばらくの間誰も話さなかった。

 だが、その静寂は突然破られた。静かな空間の中で扉が開く音だけが響き渡る。

 その音に反応したハジメは顔を上げ、次の瞬間顔が強張るのを自分で感じていた。

「透司ィ、もう終った?一緒に帰らねェ?」

 生徒会室に入ってきた智早は生田に話しかけながらもキョロキョロと辺りを見回した。そして、視線でハジメを捉えるとニヤリと笑い、ハジメに向かって手を振った。

「よぉ、ハジメちゃん。昨日はどぉーも」

 あんなことをしておいてその話を持ち出す無神経さに腹が立ち、ハジメは鞄を手にすると勢いよく席を立った。

「会長。書類整理、終りましたのでお先に失礼してもいいですか?」

 会計書記の仕事はほとんど雑用だけなのである。

「あ、ああ。構わないよ。気をつけてね」

「はい。お先に失礼します」

 突然のハジメの行動に会長はたじろいでいたが、ハジメは気にせずに席を整頓し、帰る準備ができると智早を避けるために大回りをして扉から出て行った。

「お、おい・・・ハジメちゃん?」

 智早が止めることも忘れ呆然として我に返ったのは、扉が閉まった後だった。

「あーあ。嫌われてやんの」

 生田は書類から目を離さずに言った。しかも、その口調はなにやら嬉しそうである。

 その言い草にカチンと来た智早は眉を顰めた。

「ぶあーか。お前もそうだろう?」

「あ? 何言ってんだ? 俺とはちゃんと会話してくるぜ。嫌われてるお前と違って」

 生田はわざと最期の部分を強調していった。

「何ソレ」

 生田の言い方にもむかついたが、何故自分だけ避けられるんだと智早は理不尽に思った。やったことは何も変わらないのに・・・。

 思いっきり顔を歪ませている智早に気をよくした生田はフフンと笑う。

「だってアイツ、俺のことダイスキだからさぁ〜」

「・・・嬉しそうじゃん」

「だってアイツ、可愛いだぜ? うっとりした瞳で見詰めてくれちゃってさぁ〜」

 ま、ちょっとばかし美化されてるけどな、と続けた生田は楽しそうに笑った。

 今言ったことは半分嘘だった。

 確かに、生田から見てもハジメは可愛い奴だ。時々うっとりとした視線を感じることもある。しかし、嬉しい理由は他にある。

 普段から脳天気な智早が、こんなに顔を歪ませることなど滅多にないのだ。その智早にこんな顔をさせることが出来て、今の気分は最高なのである。

「ところで・・・何で一緒に帰るんだよ?」

 今までに智早は生徒会室を訪れたことがなければ、一緒に帰ったことなど指で数えるほどだ。

「や、別に意味はないけど?」

 嫌なわけ?、と生田に目で問いかける。

 生田としては、もちろん嫌なわけじゃない。結構知られていないが、実は二人は幼なじみなのである。したがって、家も近ければ親同士も仲がいい。

 意味はないのなら無意識のうちにここへ来ていたのだろう、と生田は推測し苦笑した。

 智早との付き合いは長いのである。






 その日は朝から移動教室だった。

 ハジメは教材を持って廊下を歩いていると、聞き慣れた声に呼ばれた。

「坂遠っ」

 振り返ると、そこにはクラスメートが立っていた。

「ったく、置いてくなよなぁ〜」

 出席番号が前後で、それ以来よく話す奴だった。

 名前は神田兼光(かんだ かねみつ)。はっきり言って付き合いやすい奴だ。

 ここまで親しくなれた奴は数少ない。

 ソレもそのはずであった。

 ハジメは自分のことを、人間関係が苦手だと思っていたが実は違う。

 神田は理由を知っていた。

 顔が整いすぎているのだ。

 男子校では珍しくないが、守ってやりたいと思わせるその容姿の所為で周りは近づけないでいるのだった。

 神田もその一人なのだが、前後ということもあって今では気兼ねなく話せるところまで進展した。最近では移動教室でさえ一緒に行く程である。

「あれ?ハジメちゃんじゃん」

 不意に前方から名前を呼ばれ、ハジメは顔をあげた。しかし、目の前にいるのだ誰だか解かると反射的に顔を歪ませてしまう。

「何だよ。挨拶もなし?俺とハジメちゃんの仲なのに?」

 黙ったまま何も言おうとしないハジメに智早は口唇を尖らせたが、ハジメはもう智早に関しては我関せずを決め込んでいたので、まるでそこには誰もいないかのように智早の横を通り過ぎた。

 ――が、その瞬間、智早が耳許でささやいた。

「透司のことが好き、なんだって?」

 ハジメの躯がピタリと止まる。

「言っとくけど、アイツは止めた方がいいぜ。アイツはお前が思ってるほど真面目な奴じゃ・・・」

 ハジメに生田は好かれているのに、自分だけ嫌われているのが気にいらなかった。それならば、生田も嫌われてしまえ、と・・・。

 しかし、ハジメの反応は智早が予想していたものとは程遠いものだった。

「先輩を悪く言うな」

 目尻を吊り上げて一生懸命智早を睨む。その姿はその場で抱きしめたくなるほど可愛い。なのに、何故ハジメは生田を庇うのか。生田と自分とじゃ、一体何処が、どれほど違うというのか・・・。

 あまりに突然のことで声が出ない。

「坂遠っ」

 神田に呼ばれ、ハジメは踵を返し黙って歩き出した。

 智早を睨んだ目は、最期まで離さなかった。






「お前、麻生先輩と知り合いだったのか?」

 神田はまだ智早がいるところを見ていた。しかし、ハジメがさかさかと歩いていくので慌てて後ろをついていく。

「別に・・・」

 不思議そうに聞いた神田に、ハジメは前を向いたままそっけない声で答えた。今までハジメと付き合ってきて、そんな声を聞いたことのなかった神田は尚も不思議そうな顔をしたがすぐに表情を直した。

「ふーん・・・?あ、もしかして生田先輩経由?」

 ハジメはビクリと躯を揺らした。

「あの二人、仲いいもんな。性格とか全然違うのに何で一緒にいるんだろ」

――アイツはお前が思ってるほど真面目な奴じゃ・・・


 その時、智早の声とともに、あの忘れたくても忘れられない日・・・・・・二人に躯をいいように扱われた時の映像が鮮明にハジメの脳裏にフラッシュバックした。

 ・・・言われなくても・・・解かってるよ・・・っ

 このときハジメが口唇を噛み締めていたことを、誰も知らない。







 それからというもの、智早はハジメの前によく現れるようになった。

「よぉ」

 目の前に立ち塞がる影に、ハジメは眉を顰めた。反対に、智早は口許を吊り上げ、目は完璧に笑っている。

「・・・また、貴方ですか・・・」

 溜息混じりにハジメが言う。

 ほとほと呆れていたのだ。そこまで暇なのか・・・と。

「なんだよ」

 ハジメの言い草に一度はムカっときたものの、またニヤニヤと笑い始める。

 そして、ハジメの耳許でくすぐるように囁くのだ。

「一度は寝た仲だろ?」

 全身に虫唾が走る思いをする。

 ハジメは即座に反応して後ろへ下がると、目を吊り上げた。

「あれは・・・っ」

「強姦だったって、いいたいわけ? けど・・・お前も愉しんだだろ?」

 智早の舐めるような視線が痛い。

「そ、んなわけ・・・」

 言われなくても解かっていた。・・・感じていた、と。

 弱く反論した声は途中で止まる。

 何故なら、下肢にある敏感な部分を握られたのだ。

 不意の出来事で、思わずハジメの口から声が漏れた。

「ここをさぁ、あんなにおったててケツ・・・振ってたくせに?」

 智早はハジメの敏感な部分を掌で包んだまま、緩やかに強弱をつけてやんわりと握り込んだ。

 経験の乏しいハジメは、ちょっとした刺激に弱い。ましてや、手馴れた智早の手にかかるとたちまち躯の芯に電流が走り、脚ががくがくと震えだす。

 ハジメの意思とは関係なく、柔らかな口唇からは甘い吐息混じりの声が漏れる。

 ハジメの躯の変化に気付いた智早は、ハジメの顔を覗き込むようにしてハジメの前髪を掻き揚げた。

「勃ってきたじゃん」

 薄笑いで言われ、ハジメは屈辱感でいっぱいになる。

 敵わないと解かっていても、智早の胸に両腕を突っぱねる。

「や・・・めて・・・っ」

 やっとのことで出した声も、終わると同時に智早の口唇に掻き消された。

 生暖かいものが歯列を割って、ハジメの舌に絡みつく。

「――っ」

 突然呻いた智早がハジメから離れた。口唇の端は血で滲んでいた。

 舌先で舐めると、口許を吊り上げた。

「上等じゃん。ついてきな」

 腕を掴まれ引きづられそうになったハジメは、思いっきり体重をかけてそれを防ぐ。

「な・・・んで」

 何故智早についていかなければいけないのか。

 ハジメが言う前に智早は先手を打つ。

「バラされたくなかったら言うことをきくことだ」

 衝撃だった。まさか脅されるとは思わなかった。

 ハジメは歯をくいしばり、智早を上目遣いに睨む。

 その様子さえも面白がっているのか、智早は笑っていた。

 そして、決心したようにハジメは脚を進ませた。






 カーテンが揺れる中、智早は隣りで眠っている少年の顔を眺めていた。

 頬をつつくと、くすぐったいのか少し呻いた。

 ・・・可愛い・・・・・・。

 ハジメの頭を、思わず優しく撫でる。

――アイツ、俺のこと好きだからさ。

――先輩を悪く言うな。

 智早は、ハジメが生田を好きなことを思い出す。

 ジャア オレ ハ――?

「ん・・・」

 ハジメの漏らした声で、智早ははっと我に返った。

 俺、今・・・?

 智早は思わず口を押さえた。

 突然の思考に自分で驚いていた。何故、そんなことを考えたのか・・・。

 あまりの驚愕に身を固めている智早をよそに、意識を戻したハジメはうっすら目を開けてから、今の状況に気付いて勢いよく智早から離れた。

 視界の隅でハジメが起きたことを知った智早は再びハジメを見ると、ハジメは既にベッドから降りて身支度を始めていた。

 焦りながらギクシャクと釦を嵌めるハジメの手元を見詰めていた智早は、その光景に微笑んだ。

「よかっただろ?」

 智早にとっては何気ない一言だったのだが、それを聞いたハジメの手がピタリと止まった。俯いたままの顔が瞬く間に紅くなる。

「いいわけ・・・ないでしょう」

「そ?」

 それでも智早はニヤニヤとハジメを見詰めていた。

 ハジメは智早の視線に気付いていたがチラリとも見ず、一心で制服を着込んでいる。

 こっち、見ないかな・・・。

 微動だにせず、ジッと見ていた智早は、不意に着替え終えたハジメが自分を見たので、嬉しくなってベッドの上に座りなおした。

「・・・貴方には解からないでしょうね」

 ハジメは踵を返しドアまで歩いていった。その背中に智早が問い掛ける。

「ナニそれ」

 扉を開けながら、それでも智早の耳にははっきりと届いた。

「僕は貴方みたいな人、大嫌いです」

 扉の閉まる音だけが鳴り響く。

 それほど強く閉めたわけでもないのに、それほど大きな音がしたわけでもないのに・・・――。






 その日もハジメは生徒会室にいた。

 いつものごとく、生徒会室にはハジメと生徒会長しかいなかった。

 ハジメはいつもどおり、右手にホッチキスを持って数枚のプリントをパチンと留めていく。

 黙々とプリントを束ねていると、会長は耐えかねたのか机を一度叩くと明らかに苛ついた声を張り上げた。

「生田はまだかぁ!?」

 議会が始まる時間の予定より、既に30分が過ぎていた。

 きっとまだ部活だな・・・と舌打ちをして呟くと、ハジメに声をかけた。

「悪い、坂遠。呼びに行ってくれないか」

 議会は全員揃わないとできない。

 ハジメは苦笑すると、腰をあげて体育館へと脚を向けた。

 バスケ部のエースはいつも部活に夢中になって議会に遅れる。きっと議会のことなど頭の中からすっぽり抜け落ちているのだろう。

 その度にハジメは出迎えに行っている。しかし、全然苦痛ではなかった。

 体育館に近付くと、活気のある声やら音やら、色々聞こえてきた。 

 扉を開けると、真正面でバスケ部がフルコートを使った練習をしていた。どうやら試合形式らしく、応援の声がやまない。コートの中心にいるのは、やはり生田だった。

 何度みてもかっこいいと思う。ハジメははっきりいって運動神経がいい方ではない。生田のようになりたいと切実に思うのは、誰もが思っていることかもしれない。

「・・・かっこいい・・」

 無意識のうちの口に出していた。

「そんなにかっこいい?」

 夢心地で、疑問も持たずに答えていた。

「すごく・・・」

 答えたとたん、我に返る。

 勢いよく振り返ると、そこには険しい顔をした智早がハジメを睨んで立っていた。憎しみにも似た表情で、射るようにハジメを見詰めている。

 口唇を噛み締めて眉を寄せたハジメは、無視をするように視線を戻した。

「そんなにいいか?」

 誰がとは言わなかった。智早はハジメが誰を見ていたかなど知っていたから・・・。

 智早の声は怒気を含んでいた。智早になど眼中にないとでもいうように顔を逸らしたハジメに苛々していた。

 しかし、智早にはもう関わるつもりなどさらさらないハジメは、そのことに全く気付かなかった。

「何かいえば?」

 それさえも無視され、智早はますます焦れていた。しかも、そのまま何も語らず去ろうとするハジメに、智早はついに実力行使にでた。

「待てよっ」

「触らないで・・・っ」

 掴まれた腕を一瞬にして振りほどくと同時に、ハジメの腕は智早の頬を掠った。

「・・・ってェー・・・っ」

 細い紅い線が出来ていた。智早が患部を擦ると血が滲み、ますます痛そうに見える。

 智早に怪我を負わせるつもりはなかったハジメだったが、ここで謝ってしまったら駄目だと思い、強く拳を握り締めて精一杯智早を睨み付けた。

「・・・僕に・・・話し掛けないで、下さい」

 その声は、小さかったが智早の耳まで聞こえた。

 言った拍子に目を伏せてしまったハジメは智早の変化に気付かず、再び腕を掴まれてしまう。しかも今度は両腕で、どんなにもがいても力では敵わなかった。

 しかしハジメは抵抗した。なんとか振りほどこうとするが、少しも緩まずに息だけが上がっていく。

「俺とアイツの何処がそんなに違うんだよ!?」

 きっと智早ではなく、これが生田だったならハジメは抵抗もしないのではないかと思った。

 そう思うとますます胸が痛くなる。何故こんな思いをしなければいけないのか。

 こんな思いをしたくなければハジメを放っておけばいい。けれど、それは出来ないことだった。何故だか解からない。でも、嫌われていると解かっていてもハジメを構っていたい。

 目の前には、今にも泣きそうな顔をしたハジメがいる。このまま手を離せば一目散に逃げ出してしまうのだろう。

 そんなことは容易に想像できた。無理矢理に智早が引き止めているのだ。

 だから、この手を離せない。

 どんな反応をされるか解かっていても、構わずにはいられなかった。

 こんな気持ちになったのは初めてだった。何故こんな風に思ってしまうのか・・・。

「あなたと先輩とじゃ、天と地ほども違うじゃないかっ」

 智早は目の前にあるハジメの形相に息を呑んだ。

 両腕を拘束されたままで、なおも必死に智早を睨み付けていたのだ。

 ハジメはいつもそうだった。智早が何をしようと睨み付けるだけで・・・。

「先輩は優しいです・・・。僕の・・・尊敬する人だ」

 呼吸を整えて言うハジメの口調はあまりに静か過ぎて、口を挟むことも問われるほどだった。

 智早を睨んでいた目を、今では俯けている。この違いは何なのだ・・・。

「俺と一緒にお前を犯した奴だぜ?」

「それは・・・っ」

 ハジメの噛み締めた口唇が見える。強く噛んでいるのか、軽く震えているように見えた。

 智早はハジメの腕を拘束したまま、俯いているハジメの頭を見詰めていた。

 長い間見詰めていたが、結局ハジメは顔を上げなかった。

「・・・そんなに、アイツのことが好きなのかよ・・・」

 唸るように言ったその言葉はハジメには微かにしか聞こえず、ハジメは思わず顔を上げた。

 顔を上げたとたん、ガクンと視界が揺れた。

 小さく悲鳴を漏らしたが、それも長くは続かなかった。

 拘束された腕を強引に引き寄せられ、悲鳴は智早の口唇で塞がれたのである。

 その頃交代を受けて、マネージャーからタオルを受け取った生田は、聞き覚えのある声に振り向き眉を顰めた。

「・・・あーあ・・。アイツら・・・」

 目立ちすぎだよ・・・と、一人呟きながら、呆れた顔で脚を向けたのだった。






 「離して・・・っ」

 ハジメはとにかく抵抗していた。

 智早は何が何でも引き寄せようとしていた。

 二人が同じことを繰り返し息が上がってきた頃、突然第三者の手で止められた。

 そのとき生田が割り込まなければ、いつまで続いていたか解からないだろう。

「何やってるんだよ、お前ら」

 生田が呆れた声を二人にかけた頃には、上がりっぱなしの呼吸は肩で息をするほどに達していた。お互いに呼吸も荒く睨みあっている。

「坂遠、悪かったな。俺を呼びに来たんだろ?すぐ行くから先に戻っててくれるか」

 ハジメと智早の視線が一斉に生田に向いた。

「おい、透司っ」

「いいから行け」

 智早の責める声を無視してハジメに顎をしゃくる。

「・・・ありがとうございます」

 ハジメは生田に一礼すると、体育館を後にした。

 その後姿に口を開きかけた智早だったが、何も言わなかった。

 そんな智早を生田はジッと見ている。

 生田が智早を見ていることなど知らない智早は、目尻を吊り上げて、ハジメの後姿をただ見ているだけだった。






 ハジメの後姿を黙って見詰めていた智早は、ハジメの姿が消えたとたん生田に食いかかった。

「おいっ、ナニ邪魔してんだよっ」

 智早が生田の胸倉を掴んだ。憤っている様子は誰が見てもバレバレだろう。

 反対に、生田は始めから冷静で、智早の掴んでいるシャツには目もくれなかった。

 それどころか、怪訝な顔で智早を見たのだ。

「・・・何ムキになってるんだ?お前・・・もしかして・・・」

「あ?」

 意味深に呟く生田に智早も眉を顰めた。

 何を言ってるんだ、と智早は目で訴えていたが、生田は構わず続けた。

「お前・・・坂遠のことが好きなのか?」

 智早の動きがピタリと止まった。驚愕の瞳で生田を見る智早の目は焦点が合っていない。

 俺が・・・アイツを・・・?

 生田はシャツに掛かっている智早の手をやんわりと外すと、動揺している智早に向き合った。

「お前がそんなにムキになるところ、初めて見たよ」

 それはからかっているようで、尚更智早を赤面させた。

 智早が赤面するほど動揺するところを見るのも初めてな生田は、もっとからかいたかったがとりあえずはやめておく。

「お前って、いつもどこか身が入ってないんだよな。心がないっつーの?だから余計に躯、求めちゃうんだろ?」

 知ってたよ・・・とどこか遠くを見るように生田は言う。

 そんな生田の声を智早はそっぽを向いたまま、黙って聞いていた。

「今まで散々色んな奴と寝てきたお前も、やっとホンキで恋が出来たんだな」

 弾かれたように生田を見た。

 そこには穏やかな顔をした生田がいた。いつも生田はそうだった。

 どんな時でも智早の見方で、いつも助けてくれていた。

 くすぐったくて考えないようにしていたが、ハジメの言うとおり、生田は優しい奴だったんだ。

「よかったな、智早」

「・・・透司・・」

 涙が出そうに嬉しかった。

 たとえ自分の気持ちに気付いてなかったからといって、ハジメに言った数々の生田に対しての暴言を謝りたかった。

 アレは決して本気で思っているわけではない。気が付いたら言っていたんだ、と。

 本当なのだから仕方がない。あまりにハジメが生田を慕うものだから、つい口から出てきてしまったのだから。

 生田が智早の肩に手を置いた。智早も生田を見た。

 今なら素直になれる気がした。

「ま、坂遠は俺に惚れてるけどな」

 そのとき、智早の額に血管が浮き出たのは、言うまでもなかった。






 ざわざわとした雑音が広がる昼休み。

 食べ終わった弁当箱を鞄へと入れていたハジメのところへ、ニヤニヤと特に用事も無いのに神田が脚を忍ばせてきた。

 神田を見たハジメは、また来たのか・・・と言わんばかりに呆れた顔をした。

 ここのところ、神田は昼休みにそれも弁当を食べ終わった頃になると、いつもハジメのところへやってくる。そして、毎日同じことをいうのだ。

「そろそろ来るぜ」

 聞きなれた言葉に、ハジメはウンともスンとも言わなかった。

 その瞬間、教室の扉が開いた。

 その場にいた全員が注目する中、その人物は一目散にハジメの元へ駆け寄り、にっこりと笑っていつもと同じにハジメをこう呼ぶのだ。

「ハジメちゃん

 最初のうちは止めてくれと頼んだハジメだったのだが、今ではもう何も言わない。たとえ言ったとしても、直してくれないのだから仕方ない。

 ハジメの前に来た智早は、ハジメの手を取り握り締め、自分は机の前にしゃがみこんだ。

 気になるのは語尾のハートマーク。いつだったか、昼休みにこうしてハジメの教室に訪れた日から、智早は同じことを繰り返し言っていく。

「おれ、ハジメちゃんのことが好きなんだ」

 腕を思いきり振り上げて智早の腕から逃れたハジメに、智早は尚も後押しするように囁きかける。

「ね、御願いだからさ、俺のこと好きになってよ。それで俺と付き合お?」

 首をかしげて言う智早。人目を憚らず言うものだから、すっかり校内公認となってしまっていた。

 言われ始めてもはや半年も立つというのに周囲の注目度は高い。何しろあの麻生智早がたった一人、それも真面目な年下を無我夢中で口説いているというのだから。

「お断りします。僕は男に興味などありませんから」

 このハジメの一言も毎日同じことであった。

 最初のうちはもちろん戸惑っていた。何の企みだろう、と怯えてさえいたのだ。

 しかし、次第に戸惑いよりも苛立ちが増してきてしまった。

 あんなに人を人と思っていないような扱いをされていたのに、今では何だ、と。

 ハジメの口調が冷たくなるのも無理は無かった。

 麻生智早は同じ人間に振られ続けているのだ。

「いいじゃん。付き合おうよ。きっと楽しいよ?」

 智早がハジメに笑いかける。それを羨む人もいるのだろう。しかし、ハジメから見たらすべて戯言であった。初対面の時のことを忘れることも無く、よくそんなことが言えたものだと思う。

 しかし、智早は変わった。

 以前とは一変して優しくなっていることに、ハジメは気が付いていた。

 だからといって、あの日のことを許せるかといったら、そんなことは出来ないのである。

 簡単に忘れることができるのならば、とっくにそうしていたのだ。

 とにかく、智早はどんな場所でもハジメを見かけると、常に『好き』を連呼していた。

 その日の放課後も、議会のために生徒会室にいたハジメを見付けては口説き始めた。

「ねェ、何で好きっていってくんねェの?こんなに俺が口説いてんのに・・・」

 電卓を片手に予算の計算をしているハジメの横に座って、わき目も振らず話し掛けている智早に、ちらりとも目を向けずにハジメは黙っていた。

 生田も会長も、その光景には既に慣れていたが、最近冷たくあしらわれている智早が可哀相になってきていた。

「な、なぁ、坂遠。生徒会の仕事はもういいからさ、少しはそのぉ・・・なんだ。付き合わなくても相手くらいしてあげたら・・・どうだ?」

 遠慮がちに言う会長に見向きもせず、一心に電卓を叩きつづけながらハジメは言った。

「駄目です。今日中に経費や予算額をまとめてしまわないと、明日の予算委員会までに間に合いません」

「・・・ハジメちゃん、冷たい・・・」

 ガックリと肩を落とす智早と同時に生田が進言した。

「坂遠、ちょっとだけでいいから智早の相手してやれないか」

 電卓の叩く手を止めたハジメは生田を困ったような顔で見詰め、それから智早を見た。

「ちょ、ハジメちゃんっ。何で透司だと素直に聞くんだよっ」

 会長も全くだ、と頷きたいところである。

 理不尽だっ、不公平だっ、と言う智早から視線を背けたハジメは再び電卓を手に取った。

「・・・邪魔をするなら帰って頂いて結構ですよ」

 その場にいた誰もが凝固し、嫌な沈黙が辺りを包んだ。

 我に返った智早は、酷いっ、と言って喚き散らし、会長と生田にうるさいと言われるはめになり、そんな中で一人冷静に作業に戻るハジメは結構なツワモノなのかもしれない。






 よく飽きないな、と思う。

 最初のうちは昼休みだけ訪れていた智早が、朝のST前に顔を見せるようになった時、ハジメは心底驚いた。

 何しろ麻生智早は、遅刻をせずに登校する日はほとんど皆無といってもいいほどだった。それなのに、今では毎朝ハジメのいる2−Aまで脚を運んでくる。

 ハジメの冷たいあしらいに焦れたのか、最近では毎放課まで来るようになってしまっていた。

 ハジメが呆れた眼差しを送っても、智早は全く堪えていない。それどころか、瞳を輝かせてハジメに言うのだ。

「ハジメちゃん・・・。そんなに俺のこと見詰めてくれちゃって。やっと俺の愛に気付いてくれたんだ

 もはやハジメに言う言葉は何も無かった。

「坂遠、悪いが・・・前の授業で集めた問題集を取りに、教務室まで来てくれないか」

 廊下を歩いていたハジメは、偶然居合わせた教師に頼み事を言い渡された。

 このように教師達がハジメに言付けたりするのは稀じゃない。生徒会役員を務めている所為か、よく頼まれるのだ。

 ハジメは頼まれるとどうしても断れない体質で、なかなか断ったことはない。

 それに特別な用事があるわけでもなかった。

「ハジメちゃんっ」

 教務室からの帰り、クラス分の問題集をバランスよく両手で抱えて歩いていたハジメの後から声がした。

 振り返らなくても解かる。

 この学校でハジメをそう呼ぶのは一人しかいない。

 ハジメが聞こえない振りでそのまま歩いているのと、当然のように横に並んだ智早は、意地でも前を見ているハジメの顔を覗き込んだ。

 その動作に驚いたハジメは、手一杯に持っていた問題集を思わず落としてしまった。

「あー・・・ごめんっ。悪気は無かったんだ」

 ハジメと一緒になって、問題集を拾い始めた智早が体操服を着ていることに気付き、ハジメは慌てて智早の腕から問題集を奪い取った。

「こんなこといいですからグランドへ行ってください。次は体育なのでしょう?」

 智早は一瞬キョトンとしたが、次には目を細めて微笑っていた。

 ハジメが智早を心配したことなど一度も無い。

 前は近寄っただけでも威嚇するように睨み、触れようとするだけで怯えた顔をしたハジメだったが、智早の日々の行動で慣れたのか、今では普通に接してくれるようになった。

 呆れたような顔で智早を見ることも多々あるが、それでも進歩である。

「授業ぐらい、遅れたって大丈夫だって」

 ハジメの腕から問題集を奪い返し、再び床に散らばっているものも拾い始めた。

 智早にしてみれば、嬉しさのあまり調子に乗ってみただけなのだが、その言葉を聞いたハジメは眉を顰めた。

 学生の領分は勉強であって、授業はきっちりと受けるものなのだ。

「何バカなこと言ってるんですか。大丈夫なわけ無いでしょう」

 拾い終わった問題集を半分持とうとしていた智早の腕を払い除け、早脚で自らの教室へと向かう。

 慌てて追いかけた智早は、問題集を持つことは諦めて後からハジメを抱きしめた。

「なぁ・・・いいかげん俺のこと好きになれよ。絶対に損はさせないから」

 耳朶を舐めるように囁かれ、ハジメは湧き上がる感情に困惑したが、何とか留まらせて思い切り智早の脚を踏みつけた。

「・・・僕は損得で人を好きになったりしません」

 踏まれた個所を押さえながら、しまったという顔をする智早を置いて、早脚で教室へ向かうハジメの姿を智早は情けなく思いながらも溜息を吐いて見詰めた。

 どうすればいいのかさっぱり解からない。

 今までは智早が微笑むだけで相手から寄って来たのに。だが、今回は違う。

 どんな愛の言葉を囁いたとしても全然なびかない。それどころか嫌われていく気さえする。

 どうしたものかと前髪を掻き揚げた。

 しかし、諦める気は毛頭ない。

 これは――本気の恋、なのだから。






 階段を上りながら、落ちそうな問題集を懸命に支える。

 そろそろ予鈴が鳴るはずだ、とますます歩く脚を速くした。

 階段をつなぐ踊り場を小回りで進もうとした時、前方に人がいたらしくぶつかってしまい、情けなくもハジメはバランスを崩してその場に崩れこんだ。

 当然、大量にあった問題集は見事に冷たい床に散らばり、焦るあまりなかなか上手く拾えない。

「おい、ぶつかっておいて挨拶もなしかよ」

 ハジメはそこで初めて気がついた。

 バツが悪く、慌てて立ち上がる。

「す、すみませんっ。前をよく見ていなくて・・・っ」

 目の前にいる男は明らかに気分を害していた。

 校章の色から3年生だと解かる。

 ハジメが飛ばされたのが納得できるほど、その男のとハジメの体格は違っていた。ハジメの細く華奢な身体つきとは違い、がっしりとした大柄な男だ。

 その男には連れがいるらしく、隣りにはハジメと同じくらいの小柄な少年がハジメを睨み見ていた。この少年も3年生らしい。

「今更謝ってもらっても・・・なぁ」

 絡んで来たのは小柄の少年の方だった。

「はぁ・・」

 ハジメは何ともいえないマヌケな声をあげた。

 ハジメとしては、謝って終わりだと思っていた。これ以上何をすればいいのだろう、と目の前の人物を交互に見遣る。

 小柄の少年が目線で合図のようなものを送ると、大柄の男が突然ハジメの腕を掴み取った。

 乱暴で痛かった所為もあり、ハジメは拾い上げた少量の問題集を再び床に取り落としてしまった。

「な、何・・・」

 何するんですか、と言う前に、男は口許を吊り上げると何も言わずにハジメの腹に拳を叩き込んだ。

 小さく呻くとハジメはその場に崩れ落ちそうになったが、腕を掴まれているので宙ぶらりんの状態になる。酷い嘔吐感がハジメを襲った。

 息が詰まって呼吸もできず、しばらくしてやっと咳き込むように息を吐く。

 頭がボーっとするようにクラクラする。殴られた腹部はジンジンと未だにハジメを苛んでいた。

 長い間意識が無かったような気がする。

 気がついたときには、見上げる天井の色が変わっていた。






 霞む目で辺りを見回すと、そこは踊り場ではないようだった。ハジメが力なくしている間に移動したらしい。

 見たところ、使われていない教室らしく、埃っぽい空気で余計に咳き込んだ。

 しばらくすると、目を伏せたままだったハジメの視界に誰かの足が入ってきた。

 ここに連れてきたのは意識が無くなる前に話をしていた2人だろうと、ハジメは考えた。顔を上げるとやはり踊り場であった男が立っていた。

 しかし、目に映るのは小柄な少年だけで、ハジメは不覚にもその時腕を拘束されていることに気がついたのだった。

 自由にならない躯を無理矢理捻ると、微妙に学ランが見える。大柄な男の方は後ろにいるらしかった。

 「な・・・んの・・・つもり・・・」

 呼吸が整っていない所為か、上手く言葉が話せない。

 背後から両腕を拘束されている為、少しでも身じろぐと腕が凄く痛んだ。

 何とか抜け出せないかと抵抗を繰り返すが、男の拘束は外れない。

 不意に頭部に痛みを感じたハジメは、視線を正面に戻すと驚愕に目を見開いた。

 小柄な少年が、ハジメの髪の毛を掴みあげるとおもむろに口唇を寄せたのだ。

 動揺したハジメは必死に頭を逸らそうとしたが、顎を掴れておりそれも無駄な抵抗に終わった。

「――っ」

 少しの間、濡れた音がしたと思ったら、弾かれたように少年が顔を離した。その口唇からは紅い血がチラリと見える。

「ふーん・・・。可愛いじゃん」

 少年は、血のついた口唇の端を舐め取ると、目を細めて淫猥に口許を吊り上げ、ハジメの頬を撫でた。

「俺ら、麻生に借りがあるんだよね・・・。君に手を出すなんてバカな奴・・とか思ったけど、アイツならやり遂げかねないからね。何せ、人の男、取るやつだし・・・」

 言われていることが理解できなかった。

 少年はニヤニヤと言葉を紡ぎながらもハジメの肌を露わにしていく。

「や・・・め・・っ」

 口だけで抵抗しても無駄だとは解かっていが、ハジメにはどうしようもなかった。

 腕は後に取られ、脚はしどけなく開脚させられて・・・。

 学ランは既に肩から落とされ、腕に引っ掛かっている状態で、中に着ていたシャツも、もうその役目をはたしていなかった。

 シャツを開いた所から忍び寄る少年の指の感触は耐えがたいものがあり、悲鳴をあげずにはいられないくらいだ。

 次第に指は下肢へのびていき、ベルトもズボンのファスナーも全て解かれて下着の中に入ってきた。

 その瞬間、背筋に冷水を浴びたように全身が凍った。感じたことの無い気持ち悪さだったのだ。

 今まで何回か智早に無理矢理強いられてきた行為だが、智早に対しては感じなかった嫌悪感。

 智早に触られると嫌でも反応した。自分の躯がおかしくなったとさえ思ったのに。

「や・・・っ。やめ・・・っ」

 抵抗するハジメに構わず少年は、ハジメの最奥を窺う。ハジメの躯がビクリと震えると同時にハジメ自身も反応してしまった。

 ハジメの躯の反応に気付いた少年は、うっすらと笑うと指の根元まで思い切りねじ込んだ。

「あぅ・・・っ」

 いくらも濡らしていなかった指は、拒むハジメの躯を強引にねじ伏せ、激痛がハジメを襲った。

 しかし、智早によって慣らされたそこは、しつこい抜き差しに快感を感じ始めていた

 指が出入りするたびにハジメの秘部が収縮する。いつの間にか痛みは消えていた。

「ナニ?もしかして、もう麻生のお手付きだったわけ?」

 少年の指は段々と速度を増していき、ハジメは堪えきれない声をあげた。

「なんだ・・・あいつが犯る前にいただこうと思ったに。・・・悔しいな」

 それでも少年の指は止まらない。本数が増えても、ハジメの躯はもう拒むことは無かった。

 自分の躯が恨めしい。以前ならこんな扱いを受けることなど無かったのに。

 涙でぼやけた瞳で目の前の少年を見たハジメは、少年の瞳が嬉々として輝いているのに気がついた。

 その時何を思ったのか、それが智早の顔とダブった。正確に言えば、智早を思い出させたのだ。

 智早はハジメがどんなに嫌がっても、否応無くハジメを蹂躙した。

 だけど・・・。

 ハジメが涙を流せば優しく拭き取ってくれた。いつでも、どんな悪態をついていても最期には優しかった。

 いつの間にか指は抜かれていた。

 少年はハジメの脚を抱え込むと、自分の昂ぶったものをハジメの双丘の奥にあてがう。

 貫かれる感覚を思い出し、ハジメは躯を竦めた。段々と圧迫感が増してくる。

「や・・・っ。・・・けて・・っ」

 圧迫感が増すたびに躯の震えが大きくなった。

 少年が何か言っているが頭に入ってこない。ハジメの頭はもう一つの・・・一人のことでいっぱいだったのだ。

「センパ・・・麻生先輩・・たすけてっ。いやだぁ・・・っ」

 何故そこで智早に助けを求めたのか。

 理由は解かっていた。

 嫌だと思った。智早はどうだっただろう、と思い浮かべただけで目の前にいる少年に嫌悪感が増した。

 散々刺激されて屹立していたハジメの下肢は、いつの間にか萎えていた。

 少年がわずかに侵入しかかったその時、突然教室の扉が勢いよく開かれる音が響いた。

 ハジメが入口を見遣るよりも速く、ハジメに覆い被さるようにしていた少年が退かれていた。

 最期にハジメが見たものは、智早の泣きそうな瞳だった。






 辺りは静かだった。

 それもそのはずである。今は授業中なのだ。

 本当ならハジメも授業に参加しているはずだったのだが・・・。

「ハジメちゃん・・・ごめんね・・」

 静かな空間の中、ハジメのすすり泣く声がやっと止んだ頃、智早はハジメを抱きしめたまま項垂れて謝った。

 智早はハジメの後姿を見送った後、少し遅れて後を追った。しかし、途中で見たものは、ハジメが持っていくはずだった問題集。きっと、今も散らかっているのだろう。

 智早は焦った。

 ハジメが途中で投げ出すということは絶対無い。探すといってもあては無い。

 途方に暮れていると、階下からなにやら物音がすることに気付いた智早は、不審に思い駆けつけたのだ。すると、中からハジメの声が聞こえるではないか。

――麻生先輩、たすけて・・・っ

 明らかに涙声だった。

 あの声を聴いた後、反射的に扉を開けていた。あの時ほど人を憎いと思ったことは無かっただろう。

 涙を流すばかりのハジメを宥めながらハジメの身なりを正し、ハジメちゃん・・・と声を掛けるとハジメの方から智早に縋りついた。

 事態が事態なだけに、安心して人恋しいのかもしれない、とどこか漠然と思っていた。普段なら勘違いしてしまいそうだ。

「・・・誰の所為だと・・思ってるんですか・・・」

「ごめん・・・」

 全てハジメを襲った男たちから聞き出していた。

 智早に覚えはなかったが、両者とも智早に恋人を寝取られたのだという。

 ハジメは智早の胸に縋りながら、呟くようにして言った。

「キライだ・・・」

 智早からハジメの表情は見えない。

「あんたなんか・・・大嫌いだ・・・」

 ハジメは掴んだ智早の学ランを強く握り締めた。

 伏せたその睫毛は震えており、頬は僅かに紅潮していた。





 午後の授業がかったるいからというわけでもなく、智早は思い切りへこんでいた。体育の時間、そんな時に迷惑するのは柔軟体操のペアである。

「おい、智早・・・。いい加減にしろよ」

 智早の下から唸るような声を出したのは、不幸にも智早の相手をさせられている生田である。

 授業の前、ハジメのところへいそいそと出かけていったのに、戻ってきた時の顔は凄かった。

 智早の落ち込んでいる顔など滅多に見れたものではないので、最初は興味津々だった生田だが、ここまでくると鬱陶しい。

 だいたい理由さえ話さないのだ。

 生田は遅れてきた智早に付き合い、2度目の前屈運動を永遠とさせられていた。これでは智早の柔軟体操になっていないのだが、落ち込んでいる智早は生田の背中で伸びたまま動こうとしなかった。

「おいっ、智早っ」

 いい加減前屈にも飽きていた生田は、智早を無理矢理に背中から落とす。力なく乗りかかっていた智早は、あっけなく砂の地面に転がり落ちた。

 それでも智早は何も言わない。ただ、空を仰ぎ見るだけ。

 呆れていた生田だが、智早が何もしないので仕方なく傍らに腰掛けた。

 生田の座る気配に気付いたのか、智早も起き上がり脚を抱えて座る。

「・・・初恋・・・なんだ」

 腕に顔を埋めている智早の声は、くぐもっていていた。

「・・・ああ。知ってるよ」

 きっと、そうなのだろう・・・と思っていた。何せ本気で恋をしたことがない奴だから。

「キライだって言われた」

 先程と同じ音で呟く智早に、それが原因か・・・と生田は苦笑して、地面の上に転がった。

「今更何言ってんだよ」

 ハジメが智早を好んでいないのは傍から見てもよく解かる。

 その上、追いまわされているのだから嫌いにもなるだろう。

「そうだけどさぁ・・・。あぅ〜っ」

 生田に苦笑まじりに言われ、智早は頭を抱えてしまった。

 前にも言われたことがあった。

 最初に強姦したことをたてに、無理に強要したときのことだ。

 あの後ハジメは智早に言ったのだ。

――あなたみたいな人、大嫌いです。

 あの時は自分の気持ちに気づいてなかったので何とも思わなかったが、こんなにショックが大きいとは思わなかった。

 智早は項垂れて溜息を吐いた。

「麻生ーっ。次、おまえだぞっ」

 打順が回ってきた智早は、めんどくさそうにバッドを手に持ち無気力な声をあげてグラウンドへ入っていった。

 いかにもかったるそうな智早の後姿を見送った生田は、溜息を吐くと両手を後頭部に置いて空を仰いだ。

 口では色々言っているが、これでも智早の恋を応援しているのだ。

 親友の為に人肌脱ごう、という気だってある。しかし、その機会に恵まれず・・・。

 その時、生田は校舎に見慣れた人影を見つけて首をかしげると、口許を緩ませて勢いよく立ち上がった。

 グラウンド上にいる智早は、もといた場所に生田がいなくなったことなど気付くこともなかった。






 先程から一つのことしか考えられなかった。正確に言うと、襲われた時から・・・。

 授業中だというのに、人気の無い廊下の窓から見えるグラウンドを見ていたハジメの目には智早しか映っていない。

――あんたなんか・・・キライだ・・・

 抱きしめられながら罵った自分。縋りついた智早の暖かさが忘れられないでいた。

「どうしてくれるんだ・・・僕を・・・こんな・・・」

 ハジメは口唇を噛み締め、胸の中を彷徨う不可解な気持ちに戸惑っていた。

 ハジメ自身、この気持ちがどんなものが解かっていた。解かっているからこそ、自分が解からない。

 出会いは最悪だったし、始めから印象も良くなかった。

 だいたい男同士だ。男子校な所為か、あまり抵抗が無いこの学校で今更なのかもしれない。

 しかし、偏見は無いが自分では無理だと思っていた。智早のように大っぴらには出来ないだろう。

 思いふけっているとチャイムが鳴り、何時までも突っ立っているわけにもいかなくなったハジメは窓辺から離れて歩き出そうとしたが、その時視界に映った人物に目を見張った。

「今・・・体育の時間じゃ・・・」

 今まで智早のことを考えていた、なんてことを生田が知っているはずが無いと思いながらも後ろめたい気持ちで目を泳がせてしまった。

 生田はハジメの素直な反応に気付いてはいたが、何も言わずにハジメの言葉に続けた。

「今終わったところだ」

 生田の言うとおり、グラウンドにいる生徒たちは散りぢりにロッカー室の方へ歩いていく。しかし、それでは生田がここにいる説明にはなっていない。

 ハジメの見せた曖昧な顔を気にいったのか、可笑しかったか、生田は微笑して目を細めた。

「坂遠をサボらせるなんて、凄いやつだな。智早は」

 グラウンドからハジメの姿を見付けた生田はニヤ付きながらも校舎をあがってきた。

 校舎の影にハジメを見た時は自分の目を疑った生田だが、もしハジメも同じ気持ち、もしくは少しでも智早やのことを気にしているというのであれば納得がいく。ハジメはこれでもか、という位、真面目な性格をしているので授業をサボるなどありえないのである。

 脈なしというわけでもなさそうだ、と思った生田だったが、智早にはしばらく内緒にしておこうと思っていた。何せアレだけ落ち込んでいるのだ。しばらくの間はあのままの方が楽しいかもしれない。

 反対に、ハジメは意味深な生田の言葉にカッとなり、少し焦ってしまう。

「そ、そんなんじゃ・・・っ」

「ホントにない?」

 遮るように生田は更にたたみかける。

「・・・それは・・」

 ハジメは言葉に詰まり俯いてしまう。適当に誤魔化せばいいものを、ハジメにはそれが出来ない。

 その様子に生田が再度笑った。

「本当に坂遠は可愛いな。どんな時でもウソがつけない」

「・・・からかわないで下さい・・・」

 嘘なら付いた。さっき、智早に。

 俯いたままのハジメに、生田は更に笑いがこみ上げてきたがここで笑ってしまったら泣き出してしまうかもしれないと思い、なんとか踏みとどまる。

「からかってなんかいないさ。そこが坂遠のいいところ、だろ?」

 生田の優しい声に顔を上げたハジメは、口許だけで微笑んだ。

 どんな時でもそうだった。ハジメの憧れた『先輩』は、ハジメのいいところを見付けては誉めてくれたのだ。

「で、智早が好きなのに応えないのは・・・男同士だから?」

 ハジメの顔は強張ったが、ポツリ、ポツリと言葉を漏らす。

「・・・それも・・・あります・・けど・・・」

 肯定してしまうのは勇気がいるけれど、否定しても生田が相手だときっと見抜かれていたであろう。

 生田が続きを促すと、ハジメは視線を落として自分を抱きしめるように、胸の前で腕を組んだ。

「・・・あの人は・・・本当に僕のことを・・・その・・・好き、なのでしょうか・・・」

 気持ちを自覚してからハジメの頭をよぎるのは、智早の数々の噂。最初に見たときの光景。

 あの時、智早と生田は同じベッドにいたのだ。酷く服装が乱れていたのを覚えている。

 「は?」

 予想外の返事に、生田は間の抜けたような声を出した。

 ――可哀相に、智早・・・。あんなに一生懸命なのに全然伝わってないよ・・・。

 ソコには明らかに笑いを堪えている生田の姿があった。

 ハジメは悩んでいたのだ。それもそうだろう、と生田は思った。智早には悪いが、あの初対面はいただけなかった。

 飛び掛る噂の中にも『一度落としたら終わり』などというものまである。確かに今までの智早はそういう生活をしてきたのだから間違ってはいない。

「あ――・・・。もしかして、俺のことも疑ってる?」

 上目で生田を見詰めるハジメの目がそれを肯定していた。

 生田は溜息を吐くと、智早に後でおごらせようと企てていた。ここで生田が弁解の一つでもすれば上手く納まるところに納まるかもしれない。

「アイツとはもうヤってないよ。ホンキの恋ってやつ、見つけたみたいだからな」

「ホンキの恋・・・?」

 少しクサいかな・・・?と思い、照れながら言った。

「そ。坂遠という・・・」

 これで上手くいくぞ、と生田が最期の仕上げをしようとしたとき、廊下の向こう側から大きな声で遮られた。

「智早センパ〜イっ」

 ハジメと生田は、条件反射のように振りかえる。

 廊下の端には智早と、160にも満たない背丈の少年が立っていた。ハジメと生田に気付いていないらしく、智早は下級生と話し出す。

「なに?」

「センパイ。ボクと2人で遊園地に行く約束っ、明日にしようよー」

 いつまでたっても誘ってくれないんだもん、と続ける下級生に、智早は面倒くさそうに唸り左手で頭を掻いた。

 すっかり忘れていたのだ。最近ではハジメのことで頭がいっぱいで、そういえばそんなことも言っていたような・・・と今思い出した。

 智早が下級生の頭を軽く叩き、よし行くかぁ、と呟くと下級生は歓喜の声を上げて大胆にも智早に抱きついた。

 その光景を、一部始終見ていたハジメと生田は絶句である。

 生田は呆れたように溜息を漏らすと、隣りのかわいそうな後輩に目を向け驚愕に目をむいた。

 拳を強く握って耐えているハジメの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいたのだ。

「・・・やっぱり・・僕の事は噂どおり遊びなんです」

「あ――・・・、そうじゃな・・・」

 生田が否定しかけると、添えを遮るようにしてハジメが微笑みかけた。

「いいんです。先輩はいつも優しいですね」

 ハジメの笑い顔がとても儚くて、否定したくても生田は何も言えなくなってしまった。

 ハジメと生田が向き合っている頃、智早は2人の存在に気付いて嬉しそうに寄って行く。その後を慌てて下級生が追った。

「そういう意味じゃないですけど・・・」

 ハジメは少し間を置いて言葉を続けた。

「僕・・・先輩が好きです」

 智早の脚がピタリと止まる。最期の言葉だけはっきり聞こえてしまった。

 智早に気付いたハジメは、顔を強張らせてすぐに俯いてしまう。

「・・・じゃあ、生田先輩・・・。また、生徒会室で」

 ハジメは声が震えないように注意して声を掛け、早足で智早の横を通りぬけると安堵した。

 今、智早と向かい合うのは嫌だ。きっと普段どおりに振る舞えない。

「ちょっと待て」

 智早はハジメの腕を後ろ手に掴むと強引に引き寄せ、ハジメを冷たく見下ろした。

 驚愕したハジメは、どうにか離れようともがくが一向に腕が離れる気配は無い。

「来い」

「え・・・や・・・」

 智早の低い声に、ハジメはビクリと躯を震わせて、抵抗する力を無くしてしまう。

「悪いけど、明日はキャンセルだ」

 下級生の前を押し退けるように通ると、我に返った下級生が背後から何か叫んだが、智早は構わずにそのまま歩いていく。

 あとに残された生田は、相変らず呆れた顔で呟いた。

「・・・ホント、タイミング悪い奴ら・・・」

 溜息を吐いてしばらく後姿を見送っていたが、やがてその姿は見えなくなった。br>





 乱暴に連れて行かれたのは、使われていない教室だった。

 雰囲気がこの間の時と似ていて少しだけ怯えていたハジメを、智早は性急に床へと押し倒す。

 ハジメの脚を割り、制服をボタンが飛ぶほどに荒々しく開け、愛撫とは言えない程に強く刺激を与えていった。

 執拗に口腔を弄り、胸の突起を痛いくらいにつねり・・・。

 今まで呻きながら罵声を放っていたハジメだったが、痛かったはずの感覚が段々と快感に変わってくると、喘ぎ声を我慢しようとして声を飲み込むことしか出来なくなってしまった。

「好きなんだよっ」

 智早は始終、同じことを何度も繰り返して言った。

 ハジメはそんな智早の視線を避けた。智早の目を見たら何か口走ってしまいそうで・・・。

 ハジメは涙を浮かべることしか出来なかった。

 いつも智早を睨んでいたハジメが目さえ合わせない事に苛つき、智早はハジメの学ランに付いていたネームプレートを外してピンの部分を真っ直ぐに伸ばした。

 目をきつく閉じていたハジメには智早が何をしているのか解からなかったが、右の耳朶を舌で丹念に舐められて震える躯を襲った痛みに驚愕し、ハジメは目を大きく見開いた。

 あまりの痛みにハジメは止めさせようと智早の腕を払おうとしたが、智早のピンを持っていない方の腕で押さえ込まれて躯を捩っても意味がなかった。

「痛・・・っ。いたいっ。・・・いたいよぉ・・・っ」

 最期には子供のように泣きじゃくるハジメを愛しいと思ったが、深く入れたピンを躊躇なく引き抜いた。

 感覚が麻痺してしまったのか、ハジメは泣き続けるだけで大人しかった。

 智早は、用済みになったピンを床に転がすと、自分の耳からピアスを一つ取ってハジメの耳に近づける。それを見たハジメは、押さえをとかれていた腕を振り回した、

「や・・・っ。付けないでっ。そんなの付けないで下さ・・・っ。やぁ・・・っ」

 智早は無言で付ける。ピアスを上から舌で舐めあげ、ピアスの止め具の先から延びている部分を曲げて取れなくすると、そのままハジメの耳許で囁いた。

「お前は絶対に、誰にも渡さなねェ・・・」

 ハジメの躯の中に入れたままだった自身を緩く動かすと、わずかに呻いたハジメの瞼に口唇を落とす。

 痛みに萎えているハジメのものを手に取った智早は、腰を突き上げるリズムと同じに上下に擦りあげるように動かした。

 快感に歪むハジメの顔を見ながら智早は思う。

 何故こんなに上手くいかないのか・・・。

 いつだってやりたいことをしてきたし、大抵のことは上手くいった。なのに、こんなにも思ったようにならないなんて。

「やぁ・・・っ。んぅー・・っ」

 泣きながら喘ぐハジメは言いようが無いほどに智早の欲望を直撃する。

 喘ぎ声を何とか抑えようと努力しているのは解かっていたが、そんなことを考えさせないほどに追い上げる。そして、しばらくして気付くのか、ハジメは再び口唇を必死に押さえるのだ。

 その仕草はハジメらしいが思わず笑ってしまう。――だが、そのことにハジメは気付いていない。

「なぁ・・・。早く俺を好きになれよ・・・」

 何度も口にする言葉。しかし叶えられた事は無い。

 それでも智早は何度だって口にする。

 それでハジメが自分を振り向いてくれるのならば、そんなことなど気にならない。

 案の定、今回も返事を得られなかった。

 与えられる激しい快楽に意識がはっきりしていないのだろう。智早が言葉を発していることさえ気付いていない。

 しかし、それでも智早は何度もその言葉を繰り返した。






  ハジメの中で果てた智早は、そのままハジメの躯の上で荒い呼吸を整えた後ハジメの上から退いた。

「・・・ごめん・・」

 流石に顔を向けられず、智早は素早く身支度をするとハジメの躯を起こし、視線を外してハジメの乱れた衣服を直す。

「・・・これがあなたの言う『好き』ですか?」

 ハジメの目は虚ろで、躯はピクリとも動かない。

 智早が答えられないでいると、ズボンを履かせていた智早の腕を払い除けた。

「そんな愛は・・・いらない」

 好きな相手にオモチャのような扱いをされては耐えられない。

 智早は払われた掌を見詰めて、もう片方の手で痛む胸を押さえる。

「好きなんだ・・・。本気で好きなんだ・・・」

 小さく呟いた智早の声は、かろうじてハジメの耳許まで聞こえた。

「他にもいるくせに・・・」

 無意識に口に出してしまった言葉が嫉妬を帯びていることにハッとし、目尻をうっすらと紅くして誤魔化すようにハジメは立ち上がった。

 出口へと向かっていくハジメに、智早は縋るように腕を掴んだ。

「ホンキの奴はいないっ」

「いい加減に・・・っ」

 非常識な言い草にカッとなり、ハジメは掴れていない腕を振り上げたが智早の頬に当たる前に捕われてしまった。

「どうしたらホンキだって伝わるんだよっ!!」

 強引に引き寄せられ、智早の胸にすっぽりと収まる。しかし、強く抱きしめる智早の力は段々弱くなっていった。

「なぁ・・・。何で信じねェの?俺ってそんなに信用ねェ・・?」

 智早らしくない弱々しい声で囁かれ、緩い抱擁の中でハジメは力なく躯を預けていた。

 頭の隅でハジメは思う。最近、智早のこういう声を聴くことが多い。

 ハジメは黙ったまま、ただ智早の声を聞いていた。

「・・・どうしたら信じてくれる?」

 強姦まがいなことをした男と何をしているんだ、とハジメは頭の隅で漠然と思っていた。

 頬をくすぐる智早の長い髪の毛がくすぐったい。抱き込まれたままの体勢では智早の表情を見ることは叶わないが、智早の躯から聞こえる少しだけ速い心臓の鼓動に安堵の笑みを浮かべていた。

 長い間、智早の腕の中にいた。

 ハジメは何も話さなかった。そして、智早も・・・。

 しかし、いつまでもここでこうしているわけにもいかない。

「・・・貴方は・・あまりにも不見識すぎる。」

 ハジメが初めに感じていたのはこれだった。智早は常識がなっていないと思う。いつもからかうように人を見て、あまつさえ強引に・・・。

「じゃあ・・・、俺がハジメちゃんみたく真面目になったら・・・俺を、受け入れてくれる?」

 別に自分が真面目だと感じたことは一度としてなかったが、否定はしなかった。智早からみたら大真面目だろうから。

「・・・それとこれとは話が別です」

 ハジメは今度こそ智早の腕を振り払うと、教室の出口へ向かった。

 慌てて智早が追いかけてその腕を取ろうとしたが、今度は捕まえられずスルリと腕の中をすり抜けた。

「・・・もう僕には構わないでください」

 はっきりとした声だった。智早の位置からでは後姿しか見えないので、ハジメが涙を流していたことなど智早はに全く知らないことだった。






 時計の針が2周はした頃、鞄を2個抱えた生田が教室の扉を開けた。

「探したんだぜ。こんな所で何してんだよ」

 智早は床に座ったまま、何も答えない。

 ハジメが出て行った後も、智早はずっと同じ格好で座っていた。

「おい?」

 生田が訝しげに智早を窺ったが、智早はピクリとも動かない。

「・・・嫌われた・・」

 虚ろな目で呟く智早に、生田は呆れた顔をする。

「またか?」

「完璧に嫌われた。もう構うな・・・だって」

 顔をうつ伏せたままの智早に、生田は明後日の方向を見て頭を掻いた。

「・・・何しでかしたんだよ」

 ま、想像はつくけど・・・、と続けた生田に、智早は泣き笑うような表情で生田を見上げる。

「・・・愛の押し売り」

 ヘヘヘ・・・、と薄ら笑いを浮かべた智早は、深く溜息を吐くと床に崩れるように転がった。

「あ――・・・。もう、俺死ぬかも」

 確かに声だけ聞いていると死にそうだ、と思った生田は智早を鞄で殴ると小さな声で呟いた。

「あほ」

 これでも生田なりに慰めているのだ。






 智早がハジメに告白した日くらい、その日の朝は騒がしかった。

 智早は朝、登校すると、いつもどおりハジメのクラスへ出向いていた。

 ハジメが絶句しているのが手にとるように解かる。智早自身も、ハジメの為に自分がここまで出来るとは思っていなかった。

 いや、ハジメの為・・・ハジメが手に入るなら何でも出来る。

 例え、自分のポリシーを曲げてでも。

「何・・・麻生・・先輩、ですか・・・?」

 ハジメの、目は驚愕で零れ落ちそうな程大きく見開かれていた。

 呆然と見詰めるハジメに智早は頬を僅かに紅く染めた。何しろ、ハジメが智早を見詰めることなど滅多にないのだから。

 ハジメの中途半端に開いたままの口唇から見えている紅い舌に視線を奪われる。この場で口付けたいほどであったが、やめた。智早は決めたのだ。

 智早が肯定すると、ハジメは改めて智早の全身を眺めた。

「どうしたんですか・・?それ・・・」

 驚倒しているのはハジメだけではない。登校中にも感じたいつもと全く違う視線。

 今日の智早はいつもの智早ではなかった。

「ハジメちゃんに、俺がホンキだってこと・・・伝えたいから・・・さ」

 智早は昨日、ハジメが言った事を考えていた。どうしたらハジメが振り向いてくれるのかを。

 その結果がコレだ。

 延び放題だった髪の毛をばっさり切り落とし、ブリーチしていたのを元に戻した。両耳に付いていたピアスを外して、短ランだった制服も規定サイズに戻した。

 一応、これが智早の出来る誠意だった。

「・・・受け入れるとは言ってませんよ」

「解かってるよ。でも、ホンキだって、これで信じてくれるんだろ?」

 智早の声はハジメの頭に優しく響き、ハジメを見詰める目を離すことが出来ない。このまま見ていてはダメだと思うのに。

 ハジメの反応に満足した智早は目を細め、いつもの調子で危うくハジメの腰を抱こうとしてギリギリのところで踏みとどまった。そして、勢いよく躯を180度回転させた。

 ・・・ったく、可愛いってのは罪だよなぁ・・・。

 危ない、危ない・・・と小さく呟く智早の声は、ハジメには全く聞こえていない。

 最初が肝心だ、と脂汗をかきながら、智早はチラリとハジメを見た。

「俺はハジメちゃんが好きなんだ」

 軽く手を上げて告げた智早は、言葉が終わる前に歩き出した。引き際も肝心なのだ。

 前を向いて歩き出した智早の後姿を見送ったハジメは、しばらくの間呆然と立ち尽くし右手をソロソロと口許にあてた。

 ハジメは遅れながらも、智早の言葉に顔を赤らめていたのだ。






「どういうつもりだよ」

 智早がハジメの教室から自分の教室に戻り、入るなり生田は言った。

「何がだ?」

 自分の席に座った智早を追いかけて、生田は智早の目の前に仁王立ちする。

「お前、昨日はあんなにへばってたじゃないか」

 生田の声は既に呆れモードになっている。

 ニッと笑った智早は、指を左右に揺らしながら舌を鳴らし、解かってねェなぁ・・・と、生田に言った。

「元々嫌われてんだから、もっと嫌われたって今更ど―――ってことないってこと。ようは大嫌いから大好きにさせればいいんだよ」

 智早は、口笛を吹いて久しぶりに持って来た鞄を机の横にかけた。

「・・・それは開き直りという・・・?」

 生田は鞄を持ってきても、中身が入っていないのでは意味が無いじゃないか・・・と、思いながらも智早のしつこさに呆れきっていた。






 朝。いつもと同じ廊下を歩く。

 どうしよう・・・。

 ハジメは教室の前に来ると、少し立ち止まり溜息を吐いてから扉に手をかけた。

 どうしよう・・・。

 ハジメは先程から同じことばかり考えていた。

 智早が頭を黒くしてきてから数日が過ぎたが、あれから毎日のように初めに逢いに来ては、何もしないで帰っていく。

 以前もそういう傾向にあったが、今回はそれよりも酷い。

 唯一智早のしていくことは、ハジメの耳許で熱い吐息を漏らすこと。

―――好きだ。

 何度もフラッシュバックするその言葉。声。表情。これではハジメの心臓はもちそうに無い。

 囁かれるその声でハジメは・・・。

「坂遠っ」

 席につこうとした時、呼ばれたのに気付いて振り返った。

「あ、何・・・」

「おい、大丈夫か?」

 神田は何度も呼んだんだぜ、と言うがハジメには全く聞こえていなかった。

「ごめん・・・この頃寝不足で・・・」

 理由は同じ。起きていても寝ていても、考えることは智早のことばかり。

 更にボーっとしてしまったハジメを見詰め、神田は何もかも解かっているような目で言う。

「・・・最近、今までにも増してよく来るよな。麻生先輩」

 見透かされているようで驚いたハジメは、目を大きく開いて神田を見たが、次には居心地悪そうに俯いてしまった。

「・・・先輩、健気じゃん。髪の毛黒く染めたりしてさ」

「・・・・・・」

「・・・そろそろ応えてあげてもいいんじゃないか?」

 神田の言葉にハジメの口唇がピクリと動いた。

「好き・・・なんだろ?」

 俯いていた顔を上げたハジメは、神田を強く睨みつける。

「僕は・・・っ」

「好きなんだろ?見てれば解かるよ」

 間髪入れない神田に息を詰めたものの、ハジメは正直にいえない。

「・・・っ。そんなんじゃ・・・っ」

 それでもハジメの目は泳いでしまっている。嘘をつけないのも困りものだな、と内心苦笑する神田だったが、ハジメの泳いでいる目を捉えて言い放った。

「こだわっているのは男同士だから、だろ?」

 生田にも言われた科白・・・。

 ハジメは何も言えなかった。

 確かにそうなのだが、それだけではない・・・。

「誤魔化したって無理だって。正直に話してみろよ」

 神田の目を一瞬だけ見上げたハジメは、次には再び顔を俯けた。

 しかし、神田の真剣な表情に、小さな声で呟くように言う。

「・・・だけどあの人は・・・」

「・・・ホンキじゃない、って?」

 保持目は否定はしないが肯定もしなかった。

 不可解なことがあった。

 あの時、智早は何故ハジメの耳にわざわざ穴を開けたのか。まるで、所有の証のようにピアスまでつけて・・・。

 ハジメは無意識のうちに、付けられたピアスを弄った。

 今ではもう痛みも何も感じない。いや、本当を言うと少し痛いのだが・・・。

 智早が外せないようにしたのか、手探りで触っただけでもピアスが普通につけられていないということが解かる。

「ホントは解かってるんだろ?先輩がホンキだってこと・・・」

 そんなことはとっくに気付いていた。解かっていたのだ。

 思い出すのは数々の智早がハジメに言った言葉。

―――好きなんだよっ。

―――どうしたらホンキだって伝わるんだよっ!!

―――そしたら俺のこと、受け入れてくれる?

「・・・そんなの・・困る・・・」

 だって、あの人は男で僕も男で・・・。違う、そうじゃない。そんなことじゃない。

 ハジメが本当に拘っている事は・・・。

 色んな噂がある智早。いつかは自分にも飽きる日が来るのではないかという恐怖。

 オモチャのように捨てられるのは怖い。

 ハジメを口説く智早の目はいつだって熱かった。

 冷めた目で見られたらハジメは・・・。

 神田は後悔していた。

 ハジメはハジメなりに、自分の中の葛藤に悩んでいたのだ。

 好きなのに躯であらわせない。口に出していえない・・・。

 それなのに、神田の言った言葉はまるでハジメを責めているようで。

 そして、目の前で涙を見せているハジメをみて、初めて気がついた自分に、尚・・・。






 智早はハジメに逢いに1年A組を訪れたが、なかなか教室に入れずウロウロとしていた。

 今にも入っていきたいが、その衝動を何とか抑えているのだ。

 何故なら今、ハジメはクラスメートと話をしているようだった。無理に入っていって嫌われるのは嫌だ。

 しかし、だからといってこのまま黙っているのも悔しい。

 智早はジレンマに陥っていたが、遠くからハジメを見詰めて落ち着こうとしていた。

 その時、智早は気付く。智早の目がくぎづけになる。

 見開いた目がみるみるうちに険を潜んでいく。

 それは一瞬だった。

 扉からわりと近くにあるハジメの席まで走った智早は、ハジメのクラスメートらしき人物―――それは神田なのだが―――の頬を容赦なく殴りつけたのだ。

「おい、てめェ・・・っ。何泣かせてんだっ!!」

 倒れこんだ神田の胸ぐらを掴んだ智早に、ハジメは驚いた。

 突然現れたと思ったら、いきなり神田を殴ったのである。驚かない方がおかしいだろう。

「あ、あの・・・」

「コイツを泣かせていいのは俺だけなんだよっ」

 クラス中に響いたその声は、その場にいる人々を注目させるのには十分だった。否、その前からされていたのだが・・・。

「先輩、違う・・・」

 智早の行動を止めようと手をだしたハジメの手をつかんだ智早は、その瞳を突き抜くようにハジメを睨み付けた。

「・・・コイツを庇うのかよ」

 あまりの声の低さでビックリしてしまう。それでもハジメの鼓動は次第に速く、高くなっていった。

「何で・・・」

 俯いて智早を見ないハジメに、智早は下唇を噛んだ。

「俺、お前のコト・・・ハジメちゃんのことが好きって・・・っ」

―――やっと人を好きになれたんだな。よかったな、智早。

「ホンキで好きって・・・っ」

 ・・・手に入らない恋なんて、全然よくなんか、無い・・・っ

 智早は衝動に駆けられ、強引にハジメの口唇を自分のソレで覆う。

 もがくハジメの抵抗を塞ぐように腰に手を回したその時、ハジメの意識はなくなっていた。

 真っ先に目に入ったのは真っ白の天井。そして・・・。

「・・・ごめん・・」

 智早はハジメの顔を見ずに言った。

 ハジメを見ていないことをいいことに、ハジメは俯いたままの智早をジッと見詰める。

「・・・何・・・」

「さっき・・・教室で・・・」

 智早の言っていることは教室で口唇を合わせたことだ。

「・・・ああ・・・」

 不思議と何も思っていなかった。あれほど体裁を気にしていたのに・・・。

 なんとなくハジメの俯いた。二人して俯いている今の状況は、傍から見たら変に見えるだろう。

 しばらく二人は何も言葉を交わさなかったが、不意に智早がわずかに動いた。

「これ、まだつけていてくれたんだ・・・」

 智早の声は静かだった。

 ハジメの耳許を触った手付きは、珍しくしおらしい。

「・・・だって・・とれない・・・」

 とろうとも思っていなかったが・・・。

 校則で禁止されているピアス。普段のハジメなら絶対にしない代物。

 でも、それは智早がつけて物なのだ。

 智早は俯いたままのハジメの顔をマジマジと覗き込んだ。

「それ、とろうと思えば取れるよ・・・?」

 その瞬間、ハジメの頬は上気した。

 取れるということはハジメも知っていたのだ。それでも智早が取れないと思っているのなら、と・・・。

「ハジメちゃん?」

 頬を紅く染め、ますます俯いたハジメを凝視する。そして、智早の頭の中に浮かんだのは・・・。

「・・・俺が・・・好きなの・・?」

 口に出していうと、憶測が確信に近付いた気がした。

 びくついたハジメを畳み掛けるように、その華奢な肩を揺すぶる。

「ねェっ、好き?少しでも好き!?」

「好きだなんて変だっ」

 ハジメは肩を揺さぶる腕を乱暴に払うと、ベッドから降りようとした。

 ここで否定しなければ、考えていたとおりになってしまうかもしれない。焦るあまり、ハジメはベッドから転がるようにして落ちた。

 それでも構わずに出口へ向かおうとするハジメを、許すまいと智早は力ずくでハジメを引き寄せる。

「でも、好きなんだろ!?」

 拍子に智早とハジメの視線が絡んだ。

 いつもと同じ熱い視線。ハジメだけを見る瞳。

 しかし、これが、この瞳がいつまでハジメを見続けるのか・・・。

「どうして僕を・・・」

 涙が止まることなくあふれていく。

「・・・僕を好きにさせるんだ・・・っ」

 視界は既に涙でぼやけていた。言葉を発しても嗚咽ばかりで上手くいかない。

 しかし、気がついたらハジメは智早の腕の中にいた。

「好きだ。・・・好きなんだよ。他に何もいらないくらい・・・好き、なんだ」

 それはいつにも増して静かな声だった。しかし、智早の腕はいつにも増して強くハジメを拘束する。

「ハジメちゃんは?ね、何か言ってよ・・・」

 智早の声は震えていた。微かだが、涙声になっている。

「・・・俺のこと・・好き・・・?」

「・・き・・・っく・・・。・・す、きィ・・・」

 泣きながらも訴える。震える指を智早の背に回し、握り込んだ。

 このままに二度と離れないように・・・。






-エピローグ-

 ハジメはお弁当箱の蓋をカポリと閉めた。そして、チラリと向かいの席に座っている男を見る。

 しかし、そのハジメの顔は呆れていた。

「ねェねェ。次の時間、サボろうよ」

 向かいに座っているのはハジメの恋人・智早だ。

 智早は先程から同じことばかり繰り返して口にしている。

「・・・ダメです」

 そして、ハジメもまた・・・。

 しかし、そんなことでめげる智早ではない。

「じゃあさ、屋上行こうっ。この昼休みにさ〜」

「屋上は立ち入り禁止です」

 妥協案をだした智早に、即答で答えるハジメ。

 そんなハジメを智早は、実は自分の事をホントは好きではないのかも・・・という不安を抱くが、口にはださない。

 だって・・・。

「・・・ハジメちゃんは相変らず真面目すぎる・・・」

「先輩が不真面目すぎるんです」

 口を尖らせて呟いた智早を咎めるように、ハジメは横目でいうと席を勢いよく立ち上がった。それに慌てて智早も立ち上がる。

 その時、ハジメの頬が少し紅潮していたのを、智早は見逃してはいなかった。

End.

侵蝕的恋心、終わりました〜。

はっきりいって、智早はハジメに尻しかれてますね(笑)

思えば、生田&神田は友達の鏡みたいな奴でした。

なんて友達思いのいいやつらなんだ・・・っ!!(爆)

しかし、今では無事に終わってホッとしております。

次は「侵蝕的恋心2」で、奴らと逢ってやって下さい。

ここまで読んで下さってありがとうございましたvv

 

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