<注>このページは単に小分けページを繋いだだけです。

 

■□□■

 

 静まり返っている教室の中で、教師の声だけが坦々と響いている。

 その中で、黒板を見ていたハジメは、真横にある廊下に面する窓がいきなり開いたのに目を見開いた。

「い、今はまだ授業中・・・」

 ハジメは焦ったが、なんとか授業妨害にならない小声で話すことができた。

 しかし、問題は・・・。

「なぁ〜、早く帰ろうよ〜」

 肘をついてハジメの顔を覗き込むその仕草は、まるで子供のようだ。

 周りを憚らない智早も智早だが、それを見て見ぬ振りをする教師も教師だ。

 周囲に少し視線を配らせたハジメは、ひとつ溜息を吐くと智早を見た。

「・・・生徒会がありますから、まだ帰れません」

 とたんに智早の機嫌は降下した。見るからに不機嫌になる。

 しかし、次の瞬間には笑顔になり、お決まりの科白を言った。

「じゃ、俺も生徒会室に行くっ」

 基本的には部外者立入禁止なのだが、ニコニコと笑った智早に言えるハジメではなかった。それでなくとも、智早はいつも踏み倒しているのだから。

「先に行ってるから、ハジメちゃんも速く来いよな〜」

 手を振りながら歩いていく智早を、ハジメは呆れたような顔で見送っていた。

 智早と恋人関係になってから、いつも智早と行動している。それは登下校もしかり。

 あまり大っぴらにするのはどうか・・・と思うハジメだったが、一緒にいられるのならそれはそれで嬉しかったりもするのだ。

 しばらくボーっと見ていたハジメだったが、その後姿が突然ハジメの方へ振り返った。

 小走りで戻ってくると・・・。

「早く来ないとピアス増やしちゃうぞ」

 耳許で囁くのでも、小声で言うのでもなく。

 その智早の言葉に、ハジメは条件反射のように耳許に触れた。

 そこにはいくつかのピアスが嵌められている。

 じゃな、と今度こそ廊下の向こうに消えていった智早の後姿を、頬を紅潮させたままハジメは見詰めていた。

 

 

「そのピアス、どんどん増えてくと思ったら麻生先輩がつけてたのかよ」

 授業が終わったとたんハジメの席にやってきた神田は、ハジメの耳許をみてニヤニヤと笑った。

 いたたまれずに、ハジメは俯いて再び紅く染まった頬を隠す。

 ハジメの耳許を飾るものは、智早とケンカをするたびに増えていく。

 今では3個となった耳許のピアスを撫でたハジメは、治まってきていた頬の赤みを再び感じることになった。

 智早はピアスをつけるときは、いつでもその最中だ。

 痛いのか気持ちがいいのか解からなくなることもあったほど、その瞬間の記憶は曖昧だったが、酷く自分が乱れていた・・・というのは覚えている。

 願わくば、二度とされたくない行為である。

 帰り支度を整えたハジメは、鞄をもって教室を出て生徒会室に向かうことにした。本当にピアスを増やされたらたまったものじゃない。

 生徒会室まで行く間の廊下。授業が終わってまだ間がないというのに、歩いている生徒の数はほんのわずかだ。

 その中に、ハジメの顔をチラチラと見ていく生徒がいることにハジメは気付くいた。前方からすれ違う瞬間さえも見ている。

 いや、ハジメを見ているのは前方から来る生徒だけだ。

 怪訝な顔をしたハジメは、少しの間立ち止まったが再び歩き出した。

 例の噂のせいだと思ったのだ。智早と付き合っている・・・という。

 溜息を吐いて角を曲がったその時、正面に人がいることに気付き、顔を上げたハジメの目は驚愕に見開いた。

 重なるように立っている二人。背の高い男の首に腕を回している男はハジメと変わらぬ小柄な少年だった。

 ハジメはその場に立ち尽くしていた。躯が動かなかった。

 ただ、目の前の光景を見ているだけ。

 そのうち、背の高い男がハジメに気付いた。ハジメの姿を見つけると嬉しそうな顔をしたものの、今の状況を思い出ししまったという顔になった。

「ハジメちゃん・・・。もしかして・・・見た?」

 その時何と答えていいのか解からなかった。

「ほら、お前もう行けよ。あ、あのさハジメちゃん・・・。コレには深〜い訳が・・・」

 少年を邪険に追い払った智早は、ハジメに近寄ると引き攣った笑いを浮かべた。

 それを見たハジメは、眉を中央に寄せると下唇を噛んだ。

「ご、ごめんっ」

 俯いたハジメを目にした智早はとっさに謝っていた。

 泣いているかもしれない・・・と、ハジメの顔を覗き込んでみたが、ハジメは泣いていなかった。

 眉間に皺を寄せたまま、ただ脚許を見ているだけだった。

「あ、あのさ、あれちょっと不意打ちで・・・」

 焦っている所為なのか、智早は所々どもりながらハジメに説明する。

 智早は急な出来事で避けられなかった、というが、いまいちハジメの胸はすっきりしない。

「なぁ・・・怒ってる?」

 その言葉にハジメは無言で顔を上げた。

「・・・いえ」

 他に言う言葉が見つからなかった。

 

 

 モヤモヤしたままハジメは智早と生徒会室の扉を開けた。

 そこには既に会長と生田が居た。

「・・・遅い」

 会長が睨みをきかせている。・・・しかし、あまり怖くないといったら失礼だろうか。

「すみませんでした。あの・・・次からは・・・」

 ハジメは小走りで自分の席へつくと会長に謝った。

「いいんだよ、坂遠。コイツ、いつも時間より前に来てるもんだから。コイツに比べたら誰もが遅刻・・・ってことになるんだよ」

 生田はハジメをフォローするように言うと、気にするな、とハジメの肩を軽く叩いた。

 そういえば、とハジメは生田をマジマジと見た。

 生田はいつも部活を優先してなかなかこの議会に出ようとしない。それなのに、今日は時間どおりに生徒会室にいるなんて・・・。

 不思議そうにみているハジメに気付いた生田は、一瞬キョトンとした後すぐに口許を吊り上げていった。

「なに?智早から俺に乗り換える?」

 ニヤニヤとして言う生田に、ハジメはハッと我に返ると焦って勢いよく首を横に振った。

「い、いえ・・・っ。そんな・・・っ」

 そんなんじゃない、と言おうとしたハジメの視界が突然ガランと変わった。

「ハジメちゃんっ」

 驚いているハジメの目の前には智早の顔があった。

 顔を挟まれ強引に顔の向きを変えられたらしい。

 智早はハジメの顔を掴んだまま、眉間に皺を寄せてハジメを見ている。

「・・・ハジメちゃんは俺だけ見てればいいんだよ」

 遠くで生田が横暴とかなんとか叫んでいたが、ハジメは言われたとおり智早の顔だけを見詰めていた。

 整った男らしい顔。でも笑うと子供っぽくなることをハジメは知っている。

 以前は栗色だった髪の毛はハジメの為に黒くしたままになっている。

 ハジメはその髪の毛に触れてみた。

「・・・少し・・のびましたね」

 何気なく言った言葉だったのだが、智早が異常に反応したのでハジメは視線を髪の毛から智早の顔に移した。

 ハテナを浮かべているハジメに比べ、智早は苦々しい顔を浮かべている。

「・・・やっぱり・・・切った方がいい・・?」

 前に髪の毛を黒く染め直した時、智早は髪の毛も短く切ってきた。ハジメの気をひくためだけに。

 校則でも髪の毛は短くするようになっている。それなのに、ハジメはそんなことも忘れていた。

 智早があまりに長い方が似あうから。

「・・・そうですね」

 肯定してみたものの、実はそんなこと、全然思っていなかった。

 せっかく似合っている髪の毛を切ってしまうなんてもったいないとさえ思っている。

 校則違反だと解かっていても、きるのを止めてしまいそうになる。

 ヘヘヘ・・・と空笑いを浮かべた智早に止めようか否か迷ったが、すぐに議会が始まった所為もあり、ハジメは智早をそのままにして議会ノートを開いた。

 

■□□■

 

 翌日、また智早が教室の窓を開けた。

「先輩・・・」

 そのハジメの声はすっかり呆れきっている。

 今日も智早は、授業中にも関わらず窓を開けてきた。

「ハジメちゃん、帰ろうぜvv」

「・・・・・・今日も生徒議会です」

 授業が続いている中、相変らずな智早にハジメは小声でボソっといった。

 いつもならここで笑顔が崩れるのだが、ハジメの言葉に予想がついていたのか智早は先に行ってるね、と言い残すと廊下の向こうへスキップで歩いていった。

 その後姿を言葉なく見詰めるハジメ。

 どうしても昨日のことが頭から離れない。

 あの場では納得してみせたがやはり・・・。

 智早が他の人間と口唇を合わせているところを見た瞬間、ハジメの躯に恐怖が走った。

 耐えがたい恐怖が・・・。

 

 

「はぁ・・・。俺、ハジメちゃんに愛想つかされたかも・・・」

 生徒会室に入ってきた瞬間、智早は溜息をついた。

「はぁ?何で」

 一応聞き返してみたものの、珍しく休みの会長のおかげでヒマを持て余していた生田は、智早の鬱陶しげな溜息を聞いて今までのヒマな時間を取り戻したい気に駆けられた。

「・・・この間さぁ・・」

 智早は時折溜息を吐きながらそのことを話した。

 あの時、ハジメが納得していないことに智早は気がついていた。しかし、何もいえなかったのである、

 先程ハジメに声を掛けたときなど心臓がバクバクするほど緊張していたのだ。

 もしかしたらまだ怒っているかも。もしかしたら嫌われてしまったかも、と思いながらハジメの教室の窓を開けたのだ。

「・・・お前、バカだろ」

 話を聞いた生田の第一声はそれだった。

「・・・るせェよ。まさかハジメちゃんが見てるとは思わなかったんだ」

「・・・見てなかったらいいわけ?」

 智早は何も言わなかった。生田と目が合うと不自然に背ける。

 それは図星・・・ということなのだろう。

「・・・ふーん・・」

 生田は意味深に呟きながら智早に近付いていく。

 それに気付いた智早は軽く睨んだ。

「・・・何だよ」

 しかし、智早が睨んでいるにも関わらず、生田は構わず智早に歩み寄っていった。

「今、二人しかいないぜ?坂遠が見てなきゃいいんだろ?」

 智早は何を言っているのか解からなかった。

 考えているうちにどんどん生田の顔が近くなっていく。

 そしてその口唇が智早のそれに触れた。

 深くなっていく口付けに、智早は、まぁいいかという気になり、自分から口唇を深く重ねた。

―――カタンっ

 ハッとして躯を離す。

 振り向いたその先には・・・。

「ハジメちゃん・・・っ」

 気がついたときにはハジメは既に走り出していた。

 

 

 ただ、走りつづけていた。

 何も考えられなかった。いや、何も考えられなかったんだ。

 その時ドンっと何かにぶつかる。

「あ、ごめんなさ・・・っ」

 目の前に人の脚が見えたハジメは、勢いよく顔をあげた。

 そして、そこに見たことのある顔をみて驚愕に目を見開いた。

「あれ・・・。お前・・・」

 相手も気付いたのか、ハジメを見ると驚いた顔をした。

 しかし、次の瞬間には口許を吊り上げて笑った。

「・・・元気そうだね」

 ハジメの躯が震える。

 男とは一度しか会ったことがない。それも出会い頭に強姦されそうになったのだ。

 二人いたうちの体格の小柄な方の男だった。

 あの時は智早が助けてくれたから最期まではいたらなかったが・・・。

「一人歩きなんかしたら・・・危ないんじゃないの?」

 男がハジメに向かって一歩前へ出た。それと同時に一歩下がったハジメだったが、力の入らない脚は無残にもその場に崩れ落ちた。

 男の躯が段々近付いていくというのにハジメの躯は動こうとしない。

 ただ、震えるだけ・・・。

「この間の続きでも・・・する?」

 襲われた時の映像がつい昨日のように頭に流れた。

 二人がかりで押さえ込まれ、力いっぱい抵抗を繰り返したハジメだったがなす術もなかった。

 あの日から、色々なことがありすぎて今まで忘れていた。

 男の手がハジメの頬に掛かる。

 俯けていた顔を上げると、そこにはしゃがんだ男の顔が有り視線がぶつかってしまった。

「・・・っ」

 口をあけたが声が出ない。

 腕を突っぱねて抵抗するのだが、震えた腕では抵抗にもならなかった。

 それでなくとも、ハジメの力では敵わなかっただろうが・・・。

「ずっと・・・思ってだんだ。お前を抱いたらどんな感じなのかな・・って、さ」

 両腕をとられて片手で簡単に押さえられてしまった。

 腕を動かすたびに地面擦れる。それでもハジメはもがき続けた。

「この間は麻生に邪魔されただろ?・・・今度こそ犯ってやるよ」

 男の空いてる手が撫でるようにハジメの頬から首筋へと移動した。

 視線をそらすこともままならないハジメの目は、男の笑った口許が近付いてくるのをジッと見詰めていた。

 いや、映っていなかったかもしれない。

 ハジメは男の息を首筋に感じたと同時にそこに小さな痛みを感じた。

「や・・・ぁ・・・」

 か細く喘ぐことしか出来なかった。

―――助けてっ。麻生先輩・・・っ

 智早に助けを求める言葉も声にはならなかった。

 それでもハジメは智早の名前を呼びつづけた。

 何度も智早を呼びながら目を瞑っていたハジメだったが、不意に躯の上が軽くなりゆっくり開けた目に男が殴られる光景を目にする。

 それは以前にも見たことがある光景で、起き上がったハジメはそれをジッと眺めていた。

 次第に自分でも心が沈んでいくのが手に取るように解かっていた。

 ハジメの目尻に溜まる涙に気付いて覗き込むような影が見えたが、それでもハジメは顔を上げなかった。

「大丈夫だった?」

 何故なら、目の前にいる人物は―――智早では、なかったから・・・。

 

■□□■

 

 覗き込むようにしてハジメの顔を覗いてきた人物は、もう一度ハジメに声をかけた。

「おい?大丈夫かい?」

 ゆっくりと顔を上げたハジメは、そこにハジメを襲った男がいないことを知ると再び助けてくれた人物に視線を合わせた。

「・・・どうも・・ありがとうございまし、た」

 ハジメは震えの治まらない指で外された学ランのホックを嵌めようと試みるが、上手くはめられない。

 それでも頑張っていたのだが、不意に目の前にいた人物がハジメの学ランのホックに手をかけた。

 無言で嵌めていくのを、最初は驚愕の眼差しで見ていたハジメだったが、少したつとハジメもそれを無言で眺めていた。

「・・・君、麻生の・・・だろ?」

 突然言い出した男の言葉に、ハジメは複雑な目で見返した。

 男がいいたいのは、おそらく『麻生智早の恋人』だろ?、ということだろう。

 しかし、ハジメはそれを肯定するのを何故か躊躇していた。いや、理由は解かっていた。

 

 

「昨日のお礼、してもらってもいい?」

 男――松野 孝治(まつの たかはる)がそう言ってきたのは、翌日の朝だった。

 あの後、ハジメはお礼をしたいと申し出たのだが、松野は笑って断ったのだ。

 やっぱり、と思い直したのだろうが、ハジメにとっては願ってもいないことだった。

「あ、はいっ。是非させてください」

 お礼ができるのならば、とハジメは少し大きめに言った。

 その後何の変哲もない会話が続き、結局ハンバーガー一個というお礼になってしまったが、何もしないよりはハジメの気持ちが落ち着く。

「じゃ、今日ね」

 自分の教室へ戻っていく松野の後姿を何となくボーっと見ていたハジメだったのだが、背後に視線を感じて振り向いた。

 そこにいた顔を見て、ハジメは顔を少し強張らせた。

「・・・アイツ、何?」

 足音が立ちそうなくらいの勢いでハジメに歩み寄って来た智早は、松野の去って行った方をジッと見詰めてハジメに問うた。

「・・・先輩には、関係ないです」

「関係ないわけないだろう!?」

 ハジメの言葉にカッときた智早は、思わず大きな声をあげてしまい、きまりが悪くそっぽを向いた。

「・・・今の松野だろ?」

 智早のボソリとした声が聞こえたハジメは、眉間に皺を寄せている智早の横顔を見た。

「え?松野さんを知ってるんですか?」

 ハジメの言葉に、智早はチラリとハジメを見ると目を泳がせた。

 言い難いのか、智早はいうのを躊躇っていた。

「・・・透司の知り合いだからな」

 聞こえた言葉に、智早が何故いうのを躊躇ったのか解かってしまった。

 二人が気まずい状況になったのは生田が智早に口付けをしたからだ。

「・・・で?ハジメちゃんは何で知ってるんだよ」

 智早同様に眉間に皺を寄せたハジメに今度はハジメの番だとでも言うように、智早はハジメを促す。

「・・・絡まれていたところを助けて頂きました」

 今まで横目でハジメを見ていた智早だったが、今のハジメの言葉に完全にハジメを振り返った。

「絡まれた!?それで、大丈夫なのか?何もされなかった?」

 何もされなかったわけではないのだが、以前よりはずっとマシな状況だったのも本当なので、ハジメは小さく頷いた。

 智早が、よかった・・・と呟く。

 智早の腕が、慰めるようにハジメの頬に向かって伸ばされた。

 しかし、それは触れる前にピタリと止まると、ゆっくり下へ降ろされてしまった。

「・・・それって・・・あの後、だよな」

 ハジメは何も言わなかった。

「ごめん。あの後追いかけたんだけど・・・」

「別に・・・」

「怒ってる・・・?」

 二人の間に沈黙が流れる。

 俯いたハジメの視界に、智早の握ったり開いたりしている掌が映っていた。

 反対に、智早は俯いたハジメをジッと見詰めていた。

 瞬きをする度に震える睫毛を眺め、ハジメの答えをただ待っていた。

「・・・はっきり言って、呆れています」

 はっきりと聞こえたそれは、智早を慌てさせるのには充分すぎた。

「ど、どういう・・こと・・・?」

 智早は焦ってしどろもどろにハジメに問い掛けた。

 今度こそ本当に呆れてしまったかもしれない。

 握った掌に汗が滲むのが見なくても解かる。

「解かってたはずなんです」

 俯いたままの所為でハジメの表情がまるで見えない。

 それでも、智早はできるだけ冷静に問い掛けた。

「・・・何を・・?」

 ハジメは躊躇したのか、ひとつ間を置いてハジメは言った。

「・・・先輩は・・やっぱりひとりと付き合うことなんて出来ないんです」

「俺は・・・っ」

 ハジメの脚許にポツリポツリと水滴が落ちるのに智早は息を飲んだ。

 

 

「・・・それで、黙って帰ってきたわけ?」

 生田は智早が戻ってくるなりそう言った。

 何もいえない智早は、席につくと机に突っ伏した。

「・・・って言っても・・さぁ・・・」

 泣かれてしまった。

 それは智早の中で大きなダメージとなっていた。

 泣かせたくなんかなかったのに。

 そう思っていた自分が泣かせてしまったのだ。

「まぁ・・・。坂遠の気持ちもわかるよな。そういう関係になる前、散々こだわってたことだもんな」

「お前・・・っ。もとはといえばお前が悪いんだぞっ」

 智早は自分が最初にしたことを忘れ、生田にそんなことを口にした。

「・・・まあね」

 自業自得だろう、と思っている生田だったが、自分にも責任はある、と少し自嘲気味に笑った。

 あの時、実はハジメが見ているのを知っていて智早にキスしたのだ。

 理由は簡単。ただ、面白そうだったから。

 しかし、それだけではなかった。その前に面白くないことがあったのだ。

 それをつい、智早とハジメにぶつけてしまった。

 単に、八つ当たりだったのだ。

「このまま許してくれなかったらどうしよう・・・」

 智早が溜息を吐いて沈んでいた。

「・・・悪かったよ。あの時は悪ふざけが過ぎたみたいだ。俺も何か協力・・・するから、さ」

 まさかここまで事態が悪化するとは思っても見なかった。

 このままでは本当に二人の仲は壊れてしまうかもしれない、と思うと生田はやりきれない気持ちでいっぱいだった。

 とりあえず、その日の昼は智早にジュースを一本おごってあげることにした。

 

■□□■

 

 解かっていたはずなのに。

―――はっきり言って、呆れています。

 それは自分に向けた言葉だった。

 実は、ハジメには以前から思っていたことがある。

 それは、智早がハジメを好きになったのは、ハジメが智早になびかなかったからではないのだろうか。

 今まで考えないようにしてきたことが、不安になるといつも浮かぶことであった。

 いつかは自分から離れていくのだろう。

 それでもハジメは向き合うことを決めたのだ。智早の傍にいるために。

 智早が離れていってしまう時は潔く身を引こうと決めていたのに・・・。

 それなのに責めるようなことを言ってしまった。

 貪欲なまでの自分が呆れるほどに嫌気がさす。

「待った?」

 声を掛けられてハッと我に返ったハジメは、思いふけっている間に松野が間近に立っていたことに気がついた。

 どうやら待ち合わせに早く来てしまったおかげで考え込んでしまっていたらしい。

「あ、いえ。じゃぁ・・・」

 朝言っていたお礼の為に校門の前で待ち合わせをしていたのだ。

 ハジメは笑って答えると、学校付近にあるファーストフードへと松野と共に歩きだした。

「ちょっと待ったっ」

 数歩も歩かないうちに、背後から声が聞こえてきた。

 ハジメは聞き覚えのある声にハッとして振り返った。

「・・・先輩・・。何でここに・・・」

 同じ校門を使うのに『何で』もないのだが・・・。

 智早はハジメと松野を交互に見遣ると、ハジメに視線を戻し唸るような声で低く言った。

「・・・二人してどこ行くんだよ」

 智早の瞳がハジメを射るように見詰める。

「・・・先輩には関係・・」

「関係あるって言ってんだろ!?」

 智早の腕がハジメの肩を強く掴んだ。

 殴られそうな勢いに、ハジメは思わず目を瞑る。

「おい・・、乱暴するな」

「お前は黙ってろよっ」

 あまりの剣幕に見兼ねた松野が智早を制したが、それさえも智早は跳ね除けた。

「・・・だいたいお前は何なんだよ」

 掴んでいたハジメの肩をゆっくり離す智早は、松野をきつく睨み付ける。

「先輩・・・っ。松野さんは・・・」

 智早は、松野を睨み付けたままでハジメの腕を掴んだ。

 何を言おうとも、智早はハジメの言葉を聞こうとしない。

「ハジメちゃんを助けてくれたのは感謝してるけど・・・これ以上コイツに構うなよ」

「先輩・・・っ!!」

 ハッと、智早がハジメを見た。

 ハジメは俯いたままだったが、泣いているような気がして智早はその顔をそっと覗き込んだ。

「・・ハジメちゃん・・・?」

 泣いてはいなかった。いなかったが・・・。

「・・・今日は松野さんにお礼がしたいんです・・」

 今にも泣きそうな顔だった。

 それに智早は何も言えなかった。

「・・・ごめんなさい」

 ハジメの伏せた睫毛が震えている。

 ハジメ自身、気付いていた。自分の握った拳が震えていることに。

 行こう・・・、と松野に促されたハジメは、黙ってハジメを見詰めている智早に一瞬だけ視線を送ったが、そのままその場をあとにした。

 それを智早は、ただ見送ることしかできなかった。

 

 

 店内は意外とすいていた。

 注文をすませたハジメと松野は窓側の席につく。

「ごめんな、図々しくお礼してもらっちゃって」

 最初に口を開いたのは松野だった。

 その時校門で智早と別れてから、最低限のことしか話していなかったことに気付く。

「あ、いえ。僕のほうこそありがとうございました」

 男が襲われているところを助けるなんて、そうそうないのだろう。

 しばらく何の変哲もない世話話が続いた。

「・・・今、麻生と喧嘩中なんだって?」

 それは唐突に言われた言葉だった。

 ハジメはハッとして顔を上げる。

 なんで・・・、と呟くハジメに松野は苦笑した。

「有名だよ」

 ハジメは無言で俯く。

 日頃から派手な智早は、常にあることないこと言われていたが、そんなことまで回っていたのか・・・とハジメは少し困惑していた。

 気付いていなかったのはハジメだけで、傍からみたらバレバレなのだが・・・。

「話してみれば・・?少しは楽になるかもよ」

 ハジメは俯けていた顔をゆっくりと上げた。

 松野は何事もなかったかのようにハンバーガーを頬張っていた。

「・・でも・・・」

 ハジメの目が泳ぐ。

 そんなことをまだ逢って間もない松野に言ってもいいのだろうか。

 ハジメは、言うか言うまいか迷っていた。しかし、目があったとき微笑む松野に、ハジメは口唇を開けた。

「・・・麻生先輩と、生田先輩が・・・その・・キ・・ス・・・して・・て・・・」

「それで?」

 ゆっくりとたどたどしく言うハジメに、松野は話しやすいように相槌を入れた。

 伏せた瞼を一度あげたハジメは、その瞬間に松野と目が合ってしまい再び目を伏せた。

「それ・・で、やっぱり先輩は・・・」

「本気じゃないって?」

 言葉を途切れさせたハジメに、松野が続きを言うように続けた。

 本気だ、と言っていた智早を信じていないわけではない。

 しかし、それがいつまで続くのか解からない。今日、明日かもしれないのだ。

 ハジメが悩んでいることを何故松野が知っているのだろう、と少し疑問にも思ったが、智早が生田の知り合いだと言っていたのを思い出し、生田に聞いたのかもしれない、と頭の隅で考えていた。

 ふーん・・・と呟く松野に、ハジメはハッと我に返る。

「別れちゃえば?」

 スラっと言われた言葉に息を詰まらせたハジメに構わず、松野はなおもハンバーガーを頬張っていた。

「もっとさ、自分だけを見てくれる人探しなよ」

 少なからず、ハジメは傷付いていた。

 その松野の言葉にではない。第三者から見てもそう見えるのだ、ということに。

「・・・そう・・ですね」

 視界の滲む中、ハジメは考えていた。

 やはり、自分から別れを言い出したほうがいいのだろうか。

 いや、違う。智早からそれを聞くのが怖いんだ。

 ハジメは食べかけのハンバーガーを、意味もなくジッと見詰めていた。

「で、さ。その後、俺と付き合わない?」

 一瞬、何を言われたのか解からなかった。

 何度か瞬きをしたハジメは、少し遅れてマヌケな返事を返す。

「・・は?」

 前から好きだったんだ、という松野に、ハジメは目を泳がせて当惑していた。

 そんなこと、一度だって考えたことなどなかったのだ。

 智早のことで頭がいっぱいで、そんな余裕などひとかけらもなかった。

「かわいいな・・・って思ってたんだけど、麻生のお手つきだから誰も近づけなかったんだよなぁ・・・。でも、性格までこんなに可愛いなんて、もう諦められないってやつ?」

 微笑いながら話す松野を、ハジメは無言で見詰めていた。

「ね?俺と付き合おうよ」

「・・・無理です」

 迷わずに言った。理由は簡単だから。

「何で?アイツと別れるんだろ?」

「・・・・・・男同士だし・・・」

 呟くように言ったハジメに、智早も男だ、ということを指摘され、ハジメはアっ・・・と声を漏らした。

「ふーん・・・。アイツは特別ってことか。・・・そうだよな。君に男同士なんて容易に認められないよな」

 アイツと付き合うまでは、と続けた松野に、ハジメは目をそらすように瞼を伏せた。

 しかし、次の瞬間には再び松野を見詰めたハジメは、迷いのない声で言う。

「・・・僕は、松野さんとは付き合えません。男で好きになったのは、麻生先輩が最初で・・・・・・最期です」

 

■□15□■

 

 朝、その人物を見た瞬間、ハジメは目を見開いた。いや、実際にはその姿を見た瞬間に。

 目をパチパチと瞬きを繰り返したハジメは、目の前にいる智早をマジマジと見詰める。

「先輩・・・」

 呼びかけたわけではない。どう反応していいのか解からないのだ。

「あ、あのさ、ハジメちゃんこういうの、好きなんだろ?」

 照れたように智早が、短くなった自分の髪の毛を弄っている。

 いつかのように短くした智早は、全くもって進歩がない。

 ハジメが思わず無言になるのも仕方がないことだろう。

「そ、それでさ、今日久しぶりにどっか行かね?」

 誰にも見えていなかったが、智早には心情の焦る気持ちが現れている。

「・・・・・・行きません」

 ハジメは一瞬だけ目を伏せた。

 視線の片隅に見知った人物が映ったが、ハジメは一瞥しただけで再び智早を見据えた。

 そんなハジメに智早は焦るばかりである。

「じ、じゃあさ、今日、昼一緒に・・・」

「すみませんが・・・」

 智早が言い終わる前に智早の言葉を遮ったハジメは、廊下の向こうから歩いてきた人物に視線を流した。

「松野さんとご一緒しますので・・・」

 松野の目が少しだけ大きくなった。しかし、智早がそれに気付くわけもない。何故なら、そのときの智早にはハジメしか見えていなかったのだから。

「何でアイツと食うの!?」

 目尻を吊り上げて言う智早。ハジメはそれを直視することができないでいた。

 しかし、智早と逢ったら言おうと思っていたことがあった。

 今言わなければ覚悟が鈍るかもしれない・・・。

「麻生先輩・・・」

 ハジメはそらしていた目を智早に向けた。

 ハジメを見ていた智早と当然目が合ってしまったが、ハジメはもうそらさなかった。

「・・・お付き合い、止めませんか」

 予想もしていなかっただろう言葉に、見詰め合ったままの智早の瞳が大きく開いた。

「僕、松野先輩と付き合うことに・・・」

「ヤダよっ!!」

 ハジメはハッとして智早を見た。

 ハジメの言葉を掻き消すようにして言った智早は、切羽詰った顔でハジメの見詰めていた。

「嫌だよっ。俺は絶対に別れたりしないっ」

 泣きそうに歪んでいるその顔を見ると胸の奥が痛むが、ハジメにはどうしようもない。

 握った拳が痛い。きっと掌には爪の跡がついているのだろう、と意外と冷静に考えていた。

 そのとき、突然凄い力で頭をつかまれた。いや、正確には顔を。

 両手で挟むようにして掴むと、智早は力任せに上向けにした。

「俺のだろ?ハジメちゃんは俺のモンだろ!?」

 それでもハジメは何も言わず、智早は伏せてしまったのハジメの瞼を見詰めていた。

「・・・そんなの・・嫌だよ・・・」

 力なく呟いた智早を見詰めていると、ふと智早の手がハジメに近付いてくるのに気付く。

 智早の手は、ハジメの頬を撫ぜてゆっくりと耳下へもっていかれる。

 軽く耳朶を擦られてハジメの躯がビクリと揺れた。

 智早が触れたハジメの耳朶を飾るものこそが智早のものという証である。

「・・・先輩は・・以前取ろうと思えば簡単に取れるって・・・言ってましたよね」

「え?ハジメちゃん・・・?」

 ハジメは智早の腕を避けると、耳朶から一個ずつ嵌められていたピアスを取り始めた。

 それをずっと見ている智早の顔は無表情だ。しかし、ハジメを見詰めた目はそらされることなく真っ直ぐだった。

「・・・僕は男を好きになってしまった自分が許せませんでした」

 どんどん取れていくピアスが小さな音をたてて床に落ちる。

「でも、それでも麻生先輩が僕をすきだって・・・本気だっていうのなら・・・っ」

 最期の一個に手を掛けた時、ハジメの腕に少量の涙がポタリと落ちた。

「ハ、ハジメちゃ・・・っ。それは無理・・・っ」

 ハジメはぐ・・・っと手に力を入れた。

 そのピアスは止め具のところが折れていて、普通には取れないようになっている。

 それは以前に智早が無理矢理嵌めさせたものだった。

 痛むのにも構わずハジメは力任せに思い切り引っ張った。

 とたんにとめどなく溢れる紅い液体に、智早は考えるより先に腕を伸ばしていた。

「馬鹿・・・っ」

「触らないでくださいっ」

 しかし、智早の腕はハジメに届くことはなかった。

 拒絶された腕は行くあてをなくし空で浮いたままになってしまう。

 降ろすこともままならない。智早は動きを止めたまま、ただハジメを見詰めていた。

 智早の目が悲愴に歪む。智早の目を捕えて離さない。

 それはハジメの耳から流れる血と同じように、ハジメの目からも涙が溢れていたから。

「ぼくはもう・・・傷付きたくない・・・っ」

 その瞬間、ハジメの躯がフラリと揺れた。

 ハッとした智早はすぐに手を伸ばしたが、それより先に松野がハジメの躯を受け止めた。

「・・・保健室に運ぶ」

 智早を冷たい目で一瞥した松野は、ハジメに視線を落とすと低い声で呟くようにして言った。

「おれが・・・っ」

「ハジメの恋人は俺だ」

 一瞬だけグ・・・っとなった智早は目を伏せた。

「・・・俺たちは・・まだ別れてなんかいない・・・っ」

 視線の先に青くなっているハジメの顔が見えた。

 どうしても別れなくてはならないのだろうか・・・。

 そんなこと、今まで考えたこともなかった。

 だいたい今まで智早から振ることはあっても、逆に振られたことなど一度もなかったのだ。

 最初から初めてづくしだったハジメとの恋愛に、智早は唇を噛み締めた。

「おい、そんなことより早く運んでやれよ」

 突然聞こえた声に、智早は背後を振り返った。

 そこには生田が眉を顰めて立っていた。

「透司・・・でも・・・」

 自分の腕でハジメを運びたいがそれが出来ない智早のもどかしさを察した生田は、溜息をつくと松野から強引に奪うような勢いでハジメの躯を抱えあげた。

「俺が運ぶ。・・・それでいいだろ?」

 

 

 保健室についた生田は、ハジメの躯をベッドに横たえるとカーテンを閉めた。

「どういうつもりだ?」

 カーテンに手をかけたまま、生田は振り向かずに問うた。もちろん松野に向かって。

「・・・何が?」

「おい、何の話だ?」

 松野が返答するのと同時に智早が疑問げな声をあげた。しかし、振り向いた生田は、智早に構わずに会話を進める。

「解かってるんだろ?・・・お前と坂遠が付き合ってるって何だよ。話が違うじゃないか」

 硬い表情の生田に比べ、松野の顔は笑っていた。

「よく知ってるね。いつからあそこにいたの?」

「・・・アレだけ騒げば誰だって気付くさ」

「お前ら何の話をしてるんだっ。おい、透司っ」

 全く話の見えない智早が生田の肩を掴み強引に振り向かせた。

「話が違うってどういうことだよっ」

 智早の強い視線に、生田は少し躊躇ったように松野を見た。しかし、次の瞬間には視線を智早に戻し、溜息混じりに呟いた。

「・・・お前にはいってないけど、坂遠が絡まれたあとコイツが俺にそのことを知らせに来たんだ」

 声は小さかったがはっきりと智早の耳に入ってきた。

「何で俺に言わねェんだよっ」

 智早は松野を睨みつけると叫ぶように怒鳴る。

 松野はそれを平然として受け止めた。

「喧嘩中みたいだったから生田の方がいいと思ったんだよ」

 心なしか、松野の智早を見る目が冷たい。

 智早がそれに気付く間もなく生田が松野に付け足すように口を開けた。

「そう。それで、それなら坂遠を助けたついでにもう一つ助けてやってくれ・・・って、俺が言ったんだよ」

 その言葉に智早が疑問に眉を顰めさせた。

 生田はわかっていない智早に気付いたのか、溜息を吐くとそのまま言葉を続ける。

「ほら。俺がお前らの中を壊しちゃったようなものだろ?だから、お前らが仲直りできるようにしてやろうと思って、な」

 智早は生田の言った言葉を考える。しかし、考えれば考えるほど智早の表情は苦悩に歪んでいく。

「・・・・・・悪化してんじゃん」

「・・・・・・まあな」

 ボソリといった智早に、生田も頭を掻きながらボソリと返した。

 二人の間にきまづい雰囲気が流れたが、それも一瞬のことだった。

「仕方が無いだろう。実は俺も坂遠のことが前から好きだったんだから」

 その声に智早と生田は振り向くと、松野は笑って二人を眺めていた。

 しかし、驚いたのはその科白だ。

 あまりの驚愕に、生田は目を大きくしていた。智早もしかりである。

「いっぱりいるよ?坂遠のことを好きなやつくらい。ただ、みんな軽蔑されるのが辛いから誰も口にしてない。けど・・・」

 松野がチラリと智早をみる。それに気付いた智早は、ギンっと睨みつけるが全く効果はないようだった。

 智早の様子に小さく笑った松野は、智早を見詰めたまま言葉を続ける。

「けど、麻生のおかげでそれも変わった・・・」

 微笑ったままの松野に、智早は警戒心まるだしの顔で睨みつづける。

「・・・智早がいいなら俺も・・・ってことか・・・?」

 強張った顔の生田に松野は無言の肯定を返す。しかし、その顔は笑っていた。

「・・・お前がそんなこと考えてるなんて知らなかったよ。知ってたら、お前なんかに頼まなかった・・・っ」

 吐き捨てるように言った生田に、智早は驚いていた。

 普段、あまり生田は怒ったことがない気がする。

 もちろんたまには怒るのだが、こんなに風に怒鳴ったりなんかしない。

 今の生田は・・・・・・傷付いているような気がする。

「もう、遅いよ」

 松野はフっと笑うとベッドを遮っているカーテンを軽くめくりあげた。

 中には静かに眠っているハジメがいる。いや、気を失っているというのだろうか。

 松野はハジメをジッと見詰めたあと、ベッドの隅に腰をかけてハジメの頬に手を寄せた。

「・・・この子は俺がもらう」

 いい様、松野はハジメに顔を近づけると、その唇に自分のそれで触れた。

 その光景を見た瞬間、智早は弾かれたように松野の胸座を掴みあげた。

 そして、気付いた時には既に殴り終わっていた。

 壁に激突した松野はゆっくりと体勢を整えると、自分を睨みつける智早に薄く笑う。しかし、その目は笑っていなかった。

「コイツに手ェだすんじゃねェよっ!!」

 智早は松野とハジメの間に立つと、松野をハジメに近づけないように吠えた。それは、まるで威嚇しているようだった。

「・・・キスしただけだよ」

「だけじゃねェだろ!?」

 例えキスだけでも、自分以外がハジメに触れるのは嫌だった。誰にも触れてほしくなかったのだ。

「でも、お前も同じことしたんだぜ?」

 智早はぐっと息をつまらせた。自覚がある所為か視線が泳いでいる。

「そ、それとこれとは・・・」

「違わないね」

 鼻で笑うような松野の態度に腹が立った。しかし、松野の言っていることは、きっと正しいのだろう。

「この子がどれだけ傷付いたか解かっただろ?」

 智早には、もはや何もいえなかった。

 無言で松野を睨むように見詰め、唇を噛み締める。

「お前にこの子と一緒にいる資格はないよ」

 背後にハジメが眠っている。

 目を覚ましたら、いったいどんな反応をするのだろう。

 もしかしたら智早の顔をみて、顔を歪ませるかもしれない。

 ハジメのそんな顔は見たくない。だが、ここを去るのも嫌だ。

 智早は、後ろを振り向くことができなかった。

 

■□□■

 

 目が覚めると白い天井が見えた。

 はっきりとしない頭で考える。

 ・・・ここは・・?

「あ、気がついた?」

 カーテンが開く音がした方へ顔を向ける。

 その人物の顔をみて、今自分の状況を思い出した。

「・・・はい・・」

 教室の前で倒れたことを思い出したハジメは、顔を曇らせて上体を起こした。

 そのとき、右耳に激痛が走る。

「ああ・・・。耳、消毒しておいたからね。・・・まったく・・無茶をする・・・」

 痛さに小さく呻いたハジメに、松野は苦笑した。

 ハジメの頭を軽く叩いた松野をジッと見詰めると、ハジメは謝ってはにかむように笑った。

 今の頭を叩くところなんか生田にソックリだと思ってしまった。

 よく考えてみると、少しだけ二人は似ているかもしれない。

「え・・っと・・・。ここにいるのは僕たち・・だ・・・け・・・?」

 縋るように見上げるハジメに、松野は微笑って頷く。

「うん、そうだよ」

 それを聞いたハジメは瞼を伏せると小さな声で呟くようにして言った。

「・・・そう、ですか・・・」

 何を期待しているんだ・・・。

 智早がここにいるかもしれない、と思った。ハジメを、自分を心配して。

 終わりにしよう、といったのは自分なのに、未だにそんなことを考えている自分に自嘲する。

 それきり顔を上げないハジメを松野はジッと見詰めていた。

 本当は追い出したんだけど・・・。

 

 

―――君にこの子と一緒にいる資格はないよ。

 あの後、それでも出て行こうとしない智早に、松野は溜息を吐きつつ言った。

「あのさ、二人にしてくれないかな」

 すぐ様智早は異議を申し立てる。

「何でだよっ?」

 目くじらを立てて言う智早に、松野は冷めた目で返す。

 それも、今智早が言われたくない科白で。

「恋人だから、だろ?」

 智早は拳を強く握り締める。

 当然という顔で言う松野を睨みつけた。

「ハジメちゃんの恋人は・・・っ」

「今は俺だよ」

 智早が息を詰まらせて何も言えなくなる。

 口唇を噛み締めてこみ上げてくる激動を抑えていた。

 そんな智早を鼻で笑った松野は、智早の横をすり抜けてベッドで寝ているハジメの横に立った。

 ハジメに松野を近づけないように立っていたはずなのに、躯が全然動かない。

「俺は・・・認めていない・・」

 弱々しい智早の声が松野の耳にも入る。きっと離れている生田にも聞こえているのだろう。

「・・・お前が認めてなくても、実際はそうなんだよ」

「俺は・・・っ」

 智早を振り向かずに言った松野に、智早は何かを言いかけるが松野の言葉で掻き消された。

「お前の所為でどれだけこの子が傷付いてたか解かってないのか?」

 目線だけで智早をみる松野の言葉に、智早の躯はビクリと揺れた。

 思い出すのは先程の松野の言葉。

―――お前にこの子の恋人でいる資格はないよ。

「・・・確かに傷付けたと・・思うよ。けど、お前にならその資格ってのがあるってのかよっ」

 先程の声とは裏腹に、松野を睨みつける智早は糾弾するように怒鳴った。

「あるね」

 松野は目を細めてハジメの頬を撫ぜる。既に視線は智早をみていなかった。

「俺ほどこの子を想ってる奴はいないと思うよ?」

「俺のほうが・・・っ」

 ハジメに触れる松野の手を止めさせたいと思う智早だったが、今は・・・。

 最初に見たときは可愛いな、と思っただけだった。

 生田を見る眼差しが悔しくて、面白半分でからかったこともある。

 けれど、日を追うごとにその目に映りたくなった。自分だけを映してほしいと思うようになった。

 自分を避けるように見ないハジメにムキになって追いかけた。

 気がついたら好きになっていたのだ。

「そうかな。俺だったら、この子と付き合ってるのに他の奴とキスなんかしないよ」

「・・・っ。あれは・・・不可抗力だ・・」

「お前に隙があったんだろ?」

 その言葉にいつかの生田の言葉を思い出した。

―――・・・見てなかったらいいわけ?

 智早は答えなかった。そのとおりだと思っていたのだから。

 しかし、流石に自分の口ではいえなかった。それが、よくないことだと解かっていたから・・・。

「そ、れは・・・」

 目を伏せていいよどんだ智早に、松野はもう振り返りもしなかった。

「やっぱりお前に恋人の資格はないよ。さっさと出て行ってくれない?」

 しばらく誰も何も言わなかった。

 下を向いたまま立ち尽くす智早。

 しかし、握った拳に力を入れると、智早は唸るような声で言った。

「俺は・・・諦めない・・。俺だってハジメちゃんが好きなんだ。ハジメちゃんと元の関係に戻れるのなら・・・なんだってする。今までだって・・・そうしてきたんだ・・・っ」

 智早は強く松野を睨みつけると出口の方へ向かう。

 扉に手をかけた智早は、松野を睨み付けたままの目で後ろを振り返った。

「絶対に・・ハジメちゃんは渡さないからな・・・っ」

 バシン・・・っと大きな音を立てて扉が閉まった。

「・・・まるっきりガキだな。以前のアイツが嘘のようだ」

 松野は薄く笑いながら、残された生田と向き合った。

 相変らず生田は眉間に皺を寄せている。きっとずっとそうだったのだろう。

「・・・お前、何考えてるんだ?これ以上智早たちをかき回すなよ」

 生田の言葉に、松野は小さく笑った。

「最初にかき回したのはお前だろう?お前が麻生にキスなんかしなければこんなことにはならなかったんだから」

 目を細めて言う松野に、生田はますます眉を寄せる。

「・・・確かにな・・。けど、ここまでコトを荒げたのはお前だよ」

 松野は無言で笑うだけだった。

 これ以上話していても無駄だと思った生田は、智早の後を追うべく扉へ向かったのだった。

 

 

「迷惑をかけてしまって・・・すみませんでした」

 顔を俯けたままで言うハジメに、松野は笑って答える。

「迷惑なんかじゃないよ。君を運んだのは俺じゃないし、ね」

 生田が運んだんだよ、というと、ハジメは苦笑にもみた顔を見せる。

 それは、智早じゃなくて安堵しているのか、それとも智早は運ぶはずがないと初めから思っていたのか・・・。果たしてハジメが何を思ったのか、松野にはわからなかった。

「いえ。そうじゃなくて・・・、その・・付き合ってる・・・って・・・」

 言いにくそうに言うハジメに、松野はああ・・・と思い出したように相槌を打った。

「・・・ごめんなさい、利用してしまって・・・」

 シュンと耳が垂れているような感覚を受けた松野は、プっと笑ったがハジメに悪いと思い慌てて口を押さえた。

「それこそ全然迷惑じゃないよ。そこから本気になることも・・・」

「それはないです」

 松野が言い終える前にはっきりっと言ったハジメ。

「・・・僕はもう・・・」

 呆気に取られた顔で松野がマジマジとハジメを見詰める。俯いていたハジメには解からなかっただろう。

 以前、好きなのは智早だけだ、と言っていたハジメ。松野は今更だったがそのことを思い出していた。

「・・・冗談だよ。それより、大丈夫?躯・・・」

「あ、はい。すみませんでした」

 やっと顔を上げたハジメだったが、その口唇から出た言葉は謝る言葉で・・・。

 そればかり口にしているな、と松野は密に笑ってしまった。

 

■□□■

 

 その日から、ハジメは智早を徹底的に避けた。

 智早が教室に来てもあわないように常に教室から離れたし、時には松野と一緒にいることもあった。

 智早は、何故か松野といる時はハジメに近寄ってこない。その所為か、必然的に松野と一緒にいることが多くなっていた。

 たまに視界に入ってしまう智早は、狂おしいほどにハジメだけを見詰めている。

 それを見るたびにハジメはその瞳に見入ってしまいそうになるのを叱咤しているのだった。

 背中に智早の視線を感じては意識する。

 いつまでこんなことを続けるのだろう。

「坂遠・・・。昼休み、麻生先輩来てたぜ?」

 眉を顰めてそう言ったのは神田だった。

 いつも智早と食べていた昼食は、最近松野と一緒に食べていた。

 最初は一人で食べよう・・・と思っていたのだが、松野に誘われたので一緒に食べることにした。

 松野といれば智早と逢わないですむ、と思ったのも事実だった。

「・・・そう・・」

 神田はハジメのいい加減な返答に溜息を吐いたが何も言わなかった。

 ハジメだってこのままではいけないことぐらい解かっていた。

 解かっていたが、何をどうすればいいのか解からない。

 ハジメには智早を避ける以外どうすることも出来ないのだから。

 そうしなければ思い出してしまう。智早をいつまでも忘れられない。

 逢ってしまってはせっかくの決心が鈍ってしまうのだ。

 逢えば智早は以前にも増してハジメを口説こうとするのだろう。

 それでは駄目なのだ。それは所詮手に入らないオモチャを欲しがるようなもので・・・。

「・・・結局・・・僕は自分が大事なんだな・・・」

 智早の口から拒絶を聞くのが怖いから、傷付きたくないから。

 結局、逃げただけ・・・なのだ。

「坂遠?」

 何か言ったか?、という神田に笑って首を振ったハジメは、予鈴とともに自分の席へとついたのだった。

 

 

 智早と逢ってしまったのは、その日の放課後だった。

 ハジメは靴を履き替えると校門の隅を歩いていた。

 そのとき、腕を掴まれてガクリと躯のバランスが崩れた。

「!?」

 驚いたハジメは勢いよく後ろを振り向き、更に驚いた。

 そこにいたのはアレだけ避けていた智早だったのだから。

 智早はハジメをジッと見詰めると、おもむろに口を開いた。

「・・・話、あるから・・。ちょっと来て」

 腕を強く引っ張られ、ハジメの躯はなすがままに連れて行かれる。

「あ、あの・・・っ。何処へ・・・っ」

 振りほどこうにもどうにもならない腕を見詰めて問いかけたハジメに、智早は前を向いたままでボソリと呟くようにして言った。

「・・・俺ん家」

 言ったきり、智早は何も喋らなかった。

 ハジメが、何で・・・とか、どうして・・・とか聞いても、智早は黙ったままだった。

 智早は親が海外にいるおかげで一人でマンションを借りて暮らしていた。

 智早の家に行くのはこれで何度目になるのか。気がついたら数え切れないほど訪れていた。

「・・・入れよ」

 着くと、智早は開けっ放しにして部屋の中へ入っていった。

 その後をハジメが追う。

「ハジメちゃん・・・」

 え・・・と顔を上げたときには捕まっていた。

 息を吐く間もなく腕を絡み取られ、後ろ手に取られた両腕が軋んだ。

「や・・・っ。痛・・・っ」

 ギリギリと痛む手首。何かで縛られたらしい。

 床に組み敷かれズボンのファスナーを下ろされたハジメは、更に下着ごとズボンを下ろされた。

「な、に・・センパ・・・っ」

 性急な智早に、ハジメの頭は混乱していた。

 うつ伏せの格好ではどうしても臀部が上がってしまい、腰を自ら突き出すような格好になってしまう。

 躯を捩るが効果も無く、どんどんと焦りを感じていた。

 智早の指が双丘の奥を乱暴にこじ開ける。

 痛みを感じる間もなく、智早がハジメの自身を激しく擦りあげる所為で、ハジメの口唇から漏れる嬌声は段々と大きくなっていった。

 それでも残ったわずかな理性でハジメは智早を制止する。

「やぁ・・・っ。センパ・・やめ・・・っ!!」

 その瞬間、強い衝撃がハジメの躯を襲った。

 あまりのコトに声が出ないハジメは、声もなく悲鳴をあげる。

「・・・るせェよ。黙って寝転がってろよっ!!」

 智早は反りたったものを一気にハジメの中へおさめると、ハジメの呼吸が整う前に動き出した。

 激しい律動に、肉と肉とがぶつかり合う音が大きく部屋中に響き渡っていた。

「・・あぁ・・・っ。や・・んぅ・・・っ」

 口唇を塞いで声を押さえようとするのだが上手くいかず、その腕はハジメの涙で濡れていた。

「ハジメちゃんが悪いんだよ・・・っ。俺から逃げようとするから・・・っ」

 薄れる意識の中、ハジメは智早の声を遠くで聞いていた。

 

 

 シンと静まり返った部屋の中で、荒い呼吸の音だけが響いていた。

 ハジメは最初のままにうつ伏せになったままで、背中に智早の重みを感じていた。

 智早の荒い呼吸がハジメの耳許をくすぐっている。

 ハジメは目を閉じてそれを聴いていた。

「・・がう・・・」

 何か聞こえて目を薄っすらと開けたが、すぐに再び目を閉じてしまった。

 今はこのまま眠りたかったのだ。

 しかし、眠りにつくより先に、ハジメの最奥を穿っていたものがゆっくりと出て行った。

「――あ・・・っ」

 ハジメはその感触に躯を震わせた。

 今まで否応なく蹂躙されていた箇所が厭らしく伸縮を繰り返しているのが自分でも解かっていた。しかし、それを止める術も解からない。

「違う・・・っ」

 強い声に、ハジメは初めて後ろを振り向いた。

 腕を縛られているので十分に躯が動かず、智早を振り返ることは叶わなかった。

 しかし、それでも智早が泣いている・・・と気付いていた。

「違うんだ・・。こんなことがしたいわけじゃない・・・っ」

 叫ぶようなその声に、ハジメは胸が締め付けられる思いに駆けられる。

「俺はただ・・・好きなだけなのに・・・っ」

 背後から聞こえてくる声に手をさし伸ばしたくてハジメは腕を動かすが、ギチギチと音がするだけで何も変わらない。

 しばらくそうして躯を捩っていると、それに気付いたのか智早がハジメの手首に手を這わせた。

「・・・ハジメちゃんの気持ち、よく解かったよ・・・。確かにあれは堪える・・・」

 ハジメの手首を拘束していたものを取りながら、智早は先程とは違う穏やかな声色で話す。

「おれ、アイツのこと殴ろうとしちゃったよ・・・」

 自由になった躯で振り返ると、そこには苦笑いを浮かべた智早がハジメを気まずそうに見詰めていた。

「何・・・?」

 話の見えないハジメは智早に戸惑ったような顔を返した。それにますます顔を歪ませた智早は、小さな声で呟いた。

「・・・ハジメちゃんに・・キス、した時・・・」

 目を伏せて言った智早。

「・・・・・・誰・・・」

「アイツだよっ!!・・・松野・・」

 唇を噛み締める智早に、ハジメは当惑する。

「・・・? え・・・、松野さん・・・?」

 そのハジメの様子に気付いた智早は思わず確認する。

「・・・付き合ってるんだろ?」

 堪えは解かっているのに、否定してくれることを期待している自分がいる。

「あ・・・は、い・・・」

 小さく頷いたハジメに、智早は苦笑した。

「好きなやつに目の前でキスされるのって、こんなに辛いことだったんだな・・・」

 俯いて言う智早。

 最近、俯いている智早をよく見る。

 以前にも思ったことがあった。

 あれは、まだハジメ達がこういう関係になっていない頃。

「え・・、キス・・・って・・?」

 思わず聞き流しそうになったその言葉。

 ハジメには覚えの無いことだった。

「酷いことして・・ごめん。でも・・・ハジメちゃんが悪いんだ・・・。俺を捨てるから・・・」

 俯いたままで言う智早に、ハジメは手を伸ばした。

 間違っていたのかもしれない、と思う。

 傷付くのは嫌だ。でも、智早を傷付けたかったわけではない。

 目の前にいる、項垂れた智早が見たかったわけではないのだ。

 俯いて表情の見えない智早の頬にハジメの手が触れようとしたそのとき、その腕を強い力で引き寄せられた。

「センパ・・・っ」

「ハジメちゃん以外何もいらない・・・っ。ハジメちゃんに捨てられたら、俺・・・っ」

 苦しいくらいに抱きしめられ、ハジメは智早の腕の中でもがくがそれは智早が許さなかった。

「ハジメちゃんが誰を好きでも、俺はハジメちゃんが好きだ。・・・これは・・・本当の恋、だから・・・」

 より一層強く抱きしめられ、ハジメはそこから抜け出そうとするが失敗に終わる。

「先輩・・・っ。くるし・・・っ」

「俺のこと、怒ってる? 他の奴とキスしたから? 謝ったら許してくれる?」

 抱きしめながら問い掛けてくる智早だったが、今のハジメには何も答えられなかった。

「センパ・・・イ、離して・・・」

「離さなねェよ・・・っ。・・・離したら、逃げちゃうんだろ・・?」

 背中を抱く腕はそのままで、智早はハジメの顔を覗き込んだ。

 ハジメは智早のその顔を見詰めて言う。

「・・・逃げ・・ない・・・」

「本当に・・?」

 すぐ返ってきた言葉は、不安に揺れていた。

「・・・本当に逃げないです」

 ハジメのその言葉を聞いた智早が、最期に少しだけ力を入れると名残惜しそうに躯を離した。

 それでも目はハジメを見詰めていた。それをハジメもジッと見詰めている。

「・・・先輩、僕は怒っているんじゃないんです」

 しばらく見詰めあい、ハジメが口を開けた。

「じゃあ、何・・・?」

 ハジメは何も言わなかった。

 ただ、黙って智早を見詰めるだけだった。

「・・・僕は・・もう誰ともこういう関係にはなりたくないです」

 不意に目をそらしたハジメの言葉に、智早は頭をかしげた。

「・・・誰とも・・? ・・・松野は?」

 無言になってしまったハジメは目を泳がせると、静かに言った。

「・・・すみません。アレは・・・嘘、なんです」

「ウソ!?」

 智早の目が大きく開かれた。

 それも当然である。間違いなくハジメと松野は付き合っている・・・と思っていたのだから。

「・・・って・・・、だってアイツ・・・っ。アイツ、ハジメちゃんにキス・・・っ」

「・・・僕も疑問なんですけど・・・。あの、キス・・・って・・・」 

 先程からも不思議に思っていたのだが言い出せずにいたことを口にする。

 そのとたん、智早がハジメの肩をガシっと掴んだ。

「そうだよっ!!寝てるハジメちゃんにアイツが・・・っ。松野がキスしたんだよっ!!俺の目の前でっ!!ハジメちゃんのその、ク・チ・にィっ!!」

 掴んだハジメの肩を強く揺さぶる智早は、わざとクチの部分を強調する。

 揺さぶられた上に口唇を掴まれたハジメはアヒル顔になってしまい、思わず眉を顰めてしまった。

 それに気付いた智早が、わりィ・・・と慌てて掴んでいた手を離すがハジメの中央に寄っている眉は直らなかった。

「・・・・・・・」

 無言になってしまったハジメに智早は焦っていたが、実はハジメはアヒル顔にされたことに腹を立てていたわけではなかった。

―――その後、俺と付き合わない?

―――可愛いと思ってたんだけど、麻生のお手つきだから誰も近づけなかったんだよなぁ・・・。

「あ・・の・・? ハジメ、ちゃん・・・?」

 顔を覗き込んでハジメを窺った智早は、ハジメが何やら考え込んでいるらしいことを知る。

 何の反応も返さないハジメに、智早は段々不安になってきていた。

 そのとき不意にハジメが顔を上げた。

「先輩、僕の服は・・・」

 あ・・・と、呟いた智早は、脱ぎ捨ててあるハジメの衣類を拾い集める。

 そして、それをハジメに手渡した。―――が、渡す瞬間に智早は衣類をハジメから遠ざけた。

「先輩?・・・あの、服・・・」

 服を見ていたハジメは気付いたように智早を見詰めた。

 真剣そのものの眼差しで一点を見詰めている智早はおもむろに口唇を開いた。

「・・・これ・・・渡したら、ハジメちゃん帰っちゃうだろ?」

 智早が高く掲げたハジメの衣類をパサリと床へ落とした。

「・・・それは・・・」

 ハジメは答えられずに、ただ智早を見詰めていた。

 それでも床を見詰めている智早と目が合うことはない。

 互いの間に沈黙が流れる。

「・・・ずっとここにいてよ・・」

 最初にそれを破ったは智早だった。

 囁くようにして呟くそれはとても弱々しく、智早には不似合いだ。

「・・そんなこと・・・」

「・・俺と一緒にいてよ・・・」

 ハジメの前に座り、縋りつくようにハジメの脚を撫でる。

 ハジメには智早が泣いているように見えた。実際に泣いているわけでもないのに・・・。

 ハジメはキュッと口唇を噛んだ。

「・・・どうしたんですか? 今日の先輩はいつもの先輩じゃない・・・」

 いつも・・・とうか、前の、だ。

 ハジメと出会うよりももっと・・・。

「・・・ハジメちゃんは・・・どんな俺が好きなんだ? どんな俺なら好きでいてくれる?」

 智早が顔を上げる。

「ハジメちゃんの好きだった俺ってどんなの?」

 目が合いそらせなくなる。

 ベッドに座ったままのハジメと違って床に座っている智早の目線は低い。

 ハジメは智早の頬に手を伸ばすと、その横に伸びている髪の毛を弄った。

「・・・先輩・・は・・・すごく強引で、自分勝手で・・・。僕はいつも先輩に振り回されてた・・・」

 目を細めて言うくせに、ハジメの口唇から出た言葉は智早を情けなくさせていた。

「・・・ハジメちゃん・・・。俺のことそんな風に思ってたの?」

 顔を歪ませて複雑そうに言う智早だったが、ハジメは構わず続けた。

「でも、先輩に触られると心臓が速くなって・・・僕は・・・」

 段々とハジメの目尻に涙が溜まっていった。

「ハジメちゃ・・・」

 小さく呟いた智早は、衝動に駆られてハジメを思わず抱き寄せた。―――が、次の瞬間にはハジメに突っぱねられてしまった。

「・・・帰ります」

 小さく言って身支度を始めたハジメを、智早は引き止めることができなかった。

 

■□□■

 

 朝。

 智早は校舎内を見渡しながら走り回っていた。

 ただ走っているわけではない。探しているのだ。

 登校した後にハジメのクラスに寄ったのだが、ハジメがいなかったので智早は仕方なく自分のクラスへ行った。

 そうしたら、ハジメと松野が連れ立って教室を出て行ったということを聞かされたのだ。

「・・・ちっ。何処いったんだよ・・・っ」

 息をきらせて智早は額の汗を拭った。

 ・・・付き合ってないって、言ったんだ・・・っ。

 それなのに、何故あう必要があるのか・・・。

 屋上へ続く階段を上がる。

 この先にはいつもハジメと智早があっていた場所があった。

 校舎の中を散々捜したが、ハジメならきっとここを選ぶだろう、と今では思う。

 上に上がるに連れ、登る速度が落ちてきた。

 智早は肩で息をしながら歩きながらゆっくりとあがっていった。

 しばらくすると、微かだが話し声が聞こえてきた。

 よく聞くと、それはハジメと松野の声に間違いない。

 顔をあげ、段々と姿も見えてきた。

 そして、ハジメの表情も・・・。

「・・・っ」

 智早は息を呑むと同時に頭に血が上るのを自分で感じていた。

 そのときに見たハジメの顔は紅潮しており、松野に向かってはにかむように微笑んでいた。

 

 

 話は少し戻り、朝、ハジメは3年生の教室の前にきていた。

「坂遠・・・?」

 扉の内側から顔を出したのは松野だった。

 珍しく教室に訪れたハジメに、松野は驚きの表情を隠せずにいた。

「ちょっと・・・いいですか・・」

 遠慮がちに、しかし強い意志をもった目で言ったハジメに、松野は苦笑すると頷いた。

 二人になれる場所に移動する二人を教室の中から見ていた生田は、その後姿を表情の無い顔で見詰めていた。

 屋上への扉の前までくると、先に松野が口をあけた。

「躯はもう大丈夫?」

 微笑って言う松野はいつもと変わらなかった。

「はい。ご迷惑をおかけしました」

 軽く頭を下げたハジメに、だから迷惑じゃないって・・・と松野は苦笑した。

「どうして僕にキス・・・なんか、したんですか?」

 今まで微笑っていた松野がハッとした顔でハジメを見た。

 しばらくハジメを凝視していたが、松野は躊躇いがちに口を開く。

「・・・透司が君に・・?」

「いえ、麻生先輩が・・・」

 ああ・・・、と呟いた松野は、溜息をつくと頭を掻いた。

 しかし、次の瞬間には気を取り直したようにハジメの顔を覗き込んだ。

「でも、どうしてなんか愚問じゃない? だって俺は君のことを・・・」

「松野さんが好きなのは・・・僕じゃないです」

 松野の動きが止まる。

「こんなことをしたのは・・・生田先輩の為、ですか・・?」

 松野は驚愕に目を見開いた。

 しばらくハジメをジッと見ていた松野だったが、顔を歪ませると苦笑した。

「・・・驚いたな。いつから・・・。いや、何でそう思うの?」

 まさか気付いているとは思わなかった。

「最初から・・・」

 その時のハジメは、照れたように苦笑していた。

「・・・そう。あいつは解かんないのにな・・・」

 松野は遠くをみるように空を仰いだ。

 生田と共にいた時間は智早より短い。

 しかし、松野は智早とは違う感情を生田に抱いていた。

 何度か意思表示をしてきたつもりだった。

 それなのに、生田は何も言わない。

「・・・僕が生田先輩を見てたいから・・」

 そのとき、松野はハジメの言葉に頭をかしげた。

「・・・君、透司が好きだったの?」

 その言葉に、今度はハジメが慌てて首を横に振る。

 しかし、それを松野は疑わしげに見るだけだった。

「あ、あの・・っ。なんていうか、憧れて・・・」

 それでも松野は疑わしい目でハジメを見ていたが、それは信じてもらうほかない。

 汗をかきまくっているハジメに苦笑した松野は、軽くハジメの頭を叩いてから言った。

「憧れ・・・ね。でもあいつ、他の奴らが認識してるようなやつじゃないけど?」

 それは煙草その他のことをいってるのだろうか。

 ハジメはチラリと松野を見たが、よく解からなかった。

 確かに最初見たときは驚いたしショックだった。

 だけど・・・。

「・・・でも、基本的なところは同じ、ですから」

 生田がどんなことをしていても、ハジメは軽蔑など出来なかった。変わらず尊敬していた。

「だから、松野さんも・・・。今も変わらず生田先輩のことを・・・」

 ハジメと松野の目があった。

 松野は表情を殺したまま何も言わない。

 ハジメもその目をそらさなかった。

「・・・そうだよ。俺をアイツのことが好きなんだ。きっとアイツの為ならなんだってするんだろうね」

 そう言った松野は静かに微笑んだ。

 ハジメはそれを羨ましく思っていた。

 何故そこで微笑えるのか。ハジメならきっと・・・。

「・・・だから・・・大嫌いな麻生先輩の為にひとはだ脱いだ・・・?」

 ハジメのその言葉を聞いた松野は、気付いたようにハジメを見ると驚いた顔を見せた。

「あ、気がついてた? そう。俺は麻生なんか嫌いだよ。あんな奴に気安く透司に触れてほしくなんか無いね」

 嫌そうに顔を歪ませて言う松野に、ハジメは渇いた笑いを送った。

 松野が随分智早のことを毛嫌いしているな、と思っていたハジメだったが、そこまで嫌われてるとは・・・と少しだけ頬を引き攣らせてしまっていた。

「けど、よく言えるね。ひとはだ脱いだ、なんて。透司にはかき回したって言われたよ」

 手を左右に大きく開いた松野は、大げさなリアクションをしてみせた。

「・・まぁ・・・そうかもしれませんね・・・」

 松野の仕草に吐息だけで笑ったハジメに、松野はアレ?、という表情をするとハジメのの顔を凝視した。

「あれ? もしかして・・・昨日何かあった?」

 ギクリとハジメの躯が揺れる。

 そぉー・・・と目線だけ上げてみると、ばっちり松野と目があってしまった。

 叫びたい気分でハジメは目をそらす。

「ふーん? 何々?」

 ニヤニヤと笑ってハジメの顎をくすぐる松野。

 逃げるばかりのハジメを面白そうに追いかけている。

「あ・・・いえ・・っ。あの・・・」

 ハジメは自分の顔が段々紅くなっていくのが解かっていたので顔を上げたくなかったのだが、松野についに強引にも顔を上げさせられてしまった。

「んだよ。俺と君との仲・・・デショ?」

 微笑んで言う松野が怖い。

 ・・・なんか松野さん、思っていたのと違う・・・ような・・。

 逃げられないと解かったハジメは、仕方なくポツリポツリと話し始めた。

「えー・・・と、麻生先輩の家に・・・」

「で、エッチ?」

 その言葉にハジメの頬が真っ赤に染まった。

「エ、エ・・・ッ・・。・・・というか・・・その・・・っ」

 しどろもどろになるハジメに、松野はニヤニヤと笑いハジメの頬をつついた。

「・・・よかったじゃん?」

 優しい声色に、ハジメがはっと松野を見上げた。

 微笑んでいる松野にハジメは紅潮したままの顔ではにかむように笑う。

「ちょっと待ったーっ!!」

 そのとき、驚くほど大きな声で乱入してきたのは・・・。

「ハジメちゃんに近付くなよ」

 ハジメと松野の間に強引に入った智早は、ハジメを背に隠すようにして松野を睨みつけた。

「なんだよ。仲直りしたとたん自分のモノ気取りか?」

 松野は眉を顰めて智早を嫌そうに見た。

 智早のことを相当嫌いらしい。

 しかし、そんな松野の視線にも構わず、智早はそんなことより松野の言った科白の方が気になっていた。

「仲直り?」

 パッとハジメを振り返ったその顔は期待に染めていた。

 突然のことに、ハジメはビクリとすると「あ・・・」と小さく声を漏らして松野をチラリと見た。

「何だ。してないのか? だったら、お前にそんなことを言う権利は無いんじゃない?」

 その言葉に智早がぐっとなった。

 しかし、負けじと言い返すところが智早だろう。

「け、けどっ。お前と付き合ってないって・・・っ」

 目尻を吊り上げて言う智早を、松野はフンと鼻で笑う。

「まあね。付き合ってないよ」

 松野の態度のでかさに智早は目元をピクピクとさせた。

「・・・じゃあ、何でハジメちゃんにキスしたんだよっ」

 段々智早の声が大きくなっていく。

 側で見ながら、ハジメはそわそわと何もただ何も出来ずにいるだけだった。

 しかし、それを真正面から見据えている松野は、眉一つ動かさずに言い放った。

「したかったから」

 その直後、ガツンと言う音とともに松野の躯が地面に倒れ落ちた。

 拳を握ったままの智早は肩で息をして松野を凄い目で睨んでいた。

 特別な理由があったって許さないところだった。それなのに・・・。

「センパ・・・っ」

 松野の胸ぐらを掴み再び殴りかかろうとした智早を、ハジメは背後から抱きつくようにして何とか止めに入る。

「・・・そこまで怒るなら、もっと大切にしたら?」

 松野の声が今まで以上に冷たい。

 この声に、流石に智早も少し怯んだ。

「・・・大切に、してたさ」

「どこが!? もっと大切にしてたら坂遠が泣くわけないっ」

 智早は無言になってしまった。

 居たたまれなくなり、ハジメはそっと智早の躯から離れた。――が、ハジメの手を智早は取ると、そのままの状態で話し出した。

「・・・俺だって・・・大切にしたい・・・。ハジメちゃんが傷付かないように・・・ちゃんと・・大切に・・・」

 掴まれた腕が段々と圧迫されていく。

 智早の掴む力が強くなっていく。

「・・・もう・・ハジメちゃんに避けられるのは・・・辛い・・」

 

■□□■

 

 智早がゆっくりとハジメを振り返った。

 涙に滲んだ智早の目がハジメを捉える。

「・・先輩・・・」

「ハジメちゃんが許してくれるまで・・・おれ、何でもするから・・・」

 頬に流れるそれを目で追い、ハジメはそれに手をかけた。

 智早の涙で濡れる自分の指先を見詰める。

「ハジメちゃん・・・?」

 智早の怪訝な声に構わずハジメは言った。

「・・・泣かないでください。ぼくも・・・つらい」

 微かだが微笑んだハジメに、智早はハジメを窺うように見詰める。

「・・・許してくれる・・?」

 ハジメは無言でそれを見返した。

「・・・許してくれないの?」

 智早の顔が悲しそうに歪む。

 しかし、智早は自嘲気味に笑った。

 ハジメに許してもらえないのは当たり前かもしれない。

 避けられていたところを連れて行って無理矢理犯したのだから。

 嫌われても仕方が無い。

「もう、坂遠の気持ちは決まってるよ」

 その言葉に、智早は、え・・・?、と顔を上げた。

「デショ?」

 松野に促され、ハジメは無言でコクンと頷いた。

「ハジ・・メちゃ・・・」

「ぼくは・・・。僕は自分が傷付くのが怖かった。だから先輩を遠ざけたんです。こんな僕は・・・先輩には似合わないのかもしれない・・・」

 智早を見て言うハジメの声は、段々と小さくなっていった。

 それは、やはり終わり・・・ということなのだろうか。

 嫌だ。終わらせたくない。

「そんなこと・・・っ」

 智早は泣きそうになっている自分に気付いていたが、そんなことも構わずにハジメを見詰めつづけた。

 見ると、ハジメの目も潤んでいて、智早と目が合うとその目はそらすように揺れた。

「嫌だよ・・・っ」

 とうとう智早も目をそらしてしまった。

 ハジメの顔を見られないのは辛いが、顔を見たまま別れを告げられるのはもっと辛い。

「でも・・・それでも僕は、麻生先輩が・・・好きなんです」

 その言葉に、智早はハッと顔を上げた。

「やっぱり・・・好き、なんです・・」

 ハジメは真っ直ぐに智早を見ていた。

 口唇を噛み締めて、懸命に訴えるような目をしている。

「ハジメちゃん・・・それ、って・・・」

 ハジメに近付くためによろよろと一歩を踏み出す。

「・・・先輩と・・・元の関係に戻りたい・・・」

 ハジメも智早に近寄ると、智早のシャツの裾を強く握り締めた。

「図々しいって解かっているんです・・・。でも・・・っ」

 その瞬間、ハジメの視界が急に暗くなった。

 意識を失ったとかじゃない。暖かいものが躯を包んでいた。

「・・・ハジメちゃん・・・っ」

 智早の腕がハジメの躯を抱きしめていた。

 ハジメは頬を染めるとおずおずとだが、ゆっくりと智早の背に手を回した。

 それを間近で見ていた松野は、みるからに大げさな態度で溜息をついた。

「はぁー。全く・・・坂遠みたいにいい子がこんな奴の為に泣くことなかったのになぁ〜」

 溜息を大げさならば態度も大げさだった。

 腕を大きく広げた松野のリアクションに、智早が眉間に皺を寄せる。

「・・・お前、もうハジメちゃんに気安くさわんなよな」

 この間のキスだって俺は怒ってるんだ、と続ける智早に、ハジメは慌てて止めに入る。

「せ、先輩・・。松野さんは・・・」

 松野を睨み続ける智早に、松野は生田のことが好きなのだ・・・ということを言いたかったのだが・・・。

「るせェよ。ハジメちゃんは黙ってろよ」

 ハジメはピタリと押し黙る。

「おい麻生。そういう言い方は・・・」

 松野が見かねて口を出した。

「いいんだよ。ハジメちゃんは俺のモンなんだから」

 な?、とハジメを覗き込んだ智早は、覗き込んだままでハジメをもっと強く抱き寄せた。

 それに抗議の言葉を上げようとした松野だったが、次の智早の言葉に苦笑する。

「けど、俺だってハジメちゃんのモンなんだかね?」

 その瞬間、ハジメはキョトンとしたが、その後瞬きを何度か繰り返すと頬を紅く染めて微笑んだ。

 

 

 その日も智早は授業中だというのにハジメのクラスの窓を覗いた。

「ハージメちゃんっ。帰ろうぜ」

 ハジメの席が一番廊下に近い列の席の所為で、いつも智早はこの窓を開ける。

「・・・今日も生徒会が・・・」

 ハジメは途中で言葉を止めて、チラリと智早を見上げた。

「・・・待っていてくれますか?」

 上目遣いで見られた智早は少しだけ頬を染めた後、微笑って頷いた。

 智早は、最近ハジメが積極的・・・とは言わないものの、以前より智早を必要としてくれている気がしていた。

 それは前からも思っていてくれていたのかもしれない、と思うと嬉しくてたまらない。

「当たり前だっての」

 智早は笑みを浮かべてハジメを見詰めていた。

「・・・あの、授業中なので・・・」

「別にいいだろ?」

 笑って済ませてしまう智早に、ハジメは困ったように眉を下げた。

 しかし、その顔は少しも嫌がっていない。

 それでころか嬉しそうにさえ見ええる。

「・・・耳、大丈夫?」

 突然の智早の言葉に、ハジメははにかんだように笑った。

「はい」

 ハジメの耳には今でもガーゼがかぶさっている。

「なぁ、直ったらまたピアスつけよーぜ?」

 俺のモンっていう証拠だからさ、と笑う智早に、ハジメはまた困ったような顔をした。

 しかし、それは本当に困っていたのだった。

 

 

「お先に失礼します」

「じゃぁな〜」

 二人して生徒会室を出て行ったハジメと智早に、生田は書類を片手に手を振った。

 仲直りをしたらしい二人の姿に、思わず口許を緩む。

 その日、生徒会長は用事があるとかで早々に帰った所為で、生田は一人生徒会室に残っていた。

 扉が開いたのはそのときだった。

 それに視線を走らせたのは一瞬で、生田は再び書類に視線を戻した。

「・・・何か用か?」

 素っ気無いその言葉に吐息で笑った松野は、扉にもたれかかって生田を見詰めた。

「透司に逢いに来た・・・ってのは用事にならない?」

 生田が一人になったのを見計らって来たのだろうことを予想した生田は、あくまでも冷たい態度で松野に接する。

「・・・ならないね」

 そんな生田に気付いている松野は、笑うとゆっくりと生田に近付いていく。

「相変らずだね」

 笑いを含んだその言葉に生田はカッとすると、つい声を荒げてしまっていた。

「用がないなら出てけっ」

 肩で呼吸をする生田に、松野は小さく笑うとその口唇を生田のそれに一瞬だけ触れさせた。

「用ならあるって、いっただろ」

 近距離で囁いた松野は、生田の胸ぐらをぐっと掴むと再び生田の口唇に自分の口唇を押し付けた。

 最初は啄ばむだけだった松野は、やがて生田の口唇を舌で割って巧みに生田の口腔内を動き回った。

「やめ・・・っ。んぐ・・・ぅ・・」

 いつの間にか押さえつけられていた腕を払った生田は、松野の両頬を掴み力任せに引き離す。

「何するんだっ」

 しかし、なおも口唇を寄せてくる松野に、生田は顔を遠ざけることでしか抵抗することが出来なかった。

 いつまでも抵抗を繰り返す生田に、松野は溜息をつくと少しだけ生田から距離を取った。

 そしてそっぽを向いている生田を尻目に松野は溜息まじりで言った。

「はぁー。いい加減俺のモンになれば?」

 呆れたような言い草に、生田の目尻がピクピクと引き攣る。

「・・・何がだ? お前の相手は坂遠だろう?」

 生田は椅子から立つと、鞄に書類を入れ始めた。

 帰る準備をはじめたのだ。

「・・・嫉妬?」

 ニヤリと笑った松野は生田の傍らに歩み寄った。

 その言葉にカッした生田が少しだけ小走りで寄る松野を蹴ろうとしたが、後少しの差で松野はそれを避けてしまった。

「図星? ひと肌脱いだかいがあったかなぁ〜」

 ニヤニヤと笑って生田を見る松野。

 それを見た生田は、顔を上げるなり睨みつけた。

「お前、わざと・・・っ」

 松野を睨み付ける生田は、耳まで紅かった。

「当たり前デショ。俺はずっと透司が好きなんだから」

 ジッと生田を見詰めて言う松野に、生田はビクリと躯を震わせた。

「・・・透司は応えてくれないけどね」

 先程とは違って静かに言葉を紡ぐ松野に、生田はハッとして松野の顔を見た。

 しかし、その後すぐさま視線をそらす。

「・・・だって、お前、坂遠にキス・・・」

「あんなの演出デショ?」

 松野は生田に手を伸ばすと、その両頬を覆った。

 伏せていた目を上げた生田と目が合うと、松野は優しく微笑む。

「・・・松野・・」

 真っ直ぐに見詰める生田に松野は目を細めると、微笑んだままで囁いた。

「・・・俺のモノになってくれる?」

 しばらく二人は何も言わずに、ただ立っていた。

 しかし、その間も松野は生田の顔を見詰めていた。

 そして次の瞬間、目を見開くことになる。

 松野の目に映っている生田が、小さく頷いたのだった。

 

End.

back

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送