彼はエイリアンF

 

 本当に触れたのか解らないほど一瞬で離れた。

 それなのに彼の口唇の感触が、これでもかというほど口唇に残っていた。

 その時の感動といったらない。

 いまだかつてキスだけでこれほどの思いを抱いたことがあっただろうか。

 けれど俺は忘れていた。彼とキスが出来た嬉しさに舞い上がりすぎて、一番大切なことを・・・。

 市ヶ谷くんが・・・目尻に涙をためていたのだ・・・。

「市ヶ谷くん・・・」

 しまった!なんてもんじゃない。一気に躯の周りが冷えた。

 涙を滲ませた市ヶ谷くんは両の手で拳を作り、愛らしい口唇はギュッとかみ締められている。

 やってしまった・・・。力ずくで奪ったわけではないけれど、彼の意に反した行動をしてしまったのだ。

「ご、ごめ・・・ごめんね・・・?」

 慌てて彼の肩に手をやり、目尻にたまっている涙を指でぬぐった。

 ああああああ・・・っ!俺はいったい何をしているんだっ!

 こんなに可愛い市ヶ谷くんを泣かせて・・・。キスがなんだというのだ。

 彼が傍にいてくれるのならば、そんなもの・・・っ!

 ・・・いや正直に言えばキスぐらいは欲しい。

 傍にいれば当たり前だろう? 触りたいしキスだってしたい。その先だって・・・。

 そうさ。俺は市ヶ谷くんを抱きたいと思っている。

「・・・まだ・・・まだ早いって・・・」

 そのか細い声にハッとした。

 いかんいかん・・・今は邪まなことを考えている場合じゃない。

「うん、うん。そうだよね。ごめんね?」

 胸に抱き寄せその頭部を優しく撫でた。

 変なことを考えるなよ?俺。

 今この腕にいる市ヶ谷くんが可愛いからって、この華奢な躯を無理やり開こうなんて思っちゃいけない。

 そうだ。違うことを考えるんだ。

 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、羊が四匹・・・!

「先輩が・・・先輩が・・・っ」

「うん、うん」

 羊が五匹、羊が六匹、羊が七匹・・・!

「先輩がまだ早いって言ったくせに・・・っ!」

 羊が八匹、羊が・・・な、なんだってー!?

 ちょ、ちょっと待て!

「え、え? 市ヶ谷くん?」

 俺は胸に抱き寄せてたその躯をバッと勢いよく離した。

 何かとてつもなく違うことを言われたぞ!!

「まだ早いって言ったの・・・市ヶ谷くんじゃなかった・・・?」

「違うよ!先輩だよ!」

 ・・・そんな間近で睨まれましても・・・。

 思い返してみても、どう考えてみたって・・・。

 まだ早いと言って走り去っていったのは市ヶ谷くんだし・・・。

「えー・・・? でも市ヶ谷くんが・・・」

「海はまだ早いって言ったじゃんか!!」

「は?海?」

 ・・・どこから海が出てきたんだろう・・・。

 確か俺たちは海じゃなくてキスの話をしていたような・・・。

 俺の頭は既にグルグルだった。

「だから・・・だから俺は・・・っ!うわぁぁぁぁぁんっ!!」

 ついには泣き出してしまった市ヶ谷くんに俺は慌てて頷いた。

「そ、そうだったね。うん、確かに言ったよ。うん、言った言った」

 海はまだシーズンじゃないから早いとは確かに言ったし。

「ほら見ろぉ!だから俺は・・・。なのに先輩はキスするしーっ!!」

 何が『だから』で何が『なのに』なのか全然わからない。

 けれど、市ヶ谷くんの泣き様がだんだんと激しくなっていくのに俺は焦らずにはいられない。

 あわわわわわ・・・っ!!

「うんうん。ごめんね? ごめんね?」

 謝り倒す男。これいかに・・・。

 はっきりいって情けないなんてもんじゃないと思う。

「先輩が・・・先輩が・・・っ」

 同じ言葉を繰り返してなき続ける俺の可愛い恋人・・・。

 いったい何が彼をそんなに泣かせているというのか。

 俺にはさっぱりわからない。

 その時、彼のエイリアン説の度合いが高まったことは言うまでもなかった。






 後日。俺は彼を海に誘った。

 そんなに行きたいというのなら、まだ泳げはしないが見るだけでも連れて行きたかったのだ。

「うわー!先輩見て!青い!青いよ!」

 そりゃ青いだろう。海が真っ赤だったり真っ黄色だったりしたら地球は終わるよ。

 そう思いながらも俺は笑いながら頷いた。

「ほんとだね。下におりてみる?」

 はしゃぐ彼の後ろをついて歩き、彼がチラチラとこちらを伺っていることには気がついていた。

 ・・・今度は何だ?

「ね、先輩、あっちの方いってみない?」

 アッチ・・・と市ヶ谷くんが指をさすのは、人気がない岩場。

 もしこれが普通の恋人から言われた言葉だったとしたならば、「あ、もしかして誘われてる?」くらいには思うのだが、如何せん相手は市ヶ谷くんだ・・・。

「あっちに行っても何もないと思うよ?」

「いいから!行こう?」

 少し首を傾げて言う市ヶ谷くんに、俺は思わず鼻の下を伸ばした。

「そうだね。ちょっと行ってみようか」

 ニコニコとして俺の腕を引っ張るその様は、つい先日まで沈み捲くっていたとは思えない。

 けれどその元気になってくれた姿に、俺もつい笑顔になった。

 そしていざ岩場に来てみると・・・。

 ・・・これはヤバイかもしれない・・。

 何がって? もちろんナニが。

 岩場の影は人気が全くなく、隠れラブラブスポットとして有名である。

 夏場はこういうところでイタしちゃうカップルも多いだろう。

「先輩、ここの足場、ゴツゴツしてて素足だったら絶対痛いよね」

 確かに痛そうだ。こりゃここじゃイタせないな。

 いや立ったままヤっちゃえば・・・。って何考えてんだ俺は。

「あ!先輩そこヌルヌルしてるから気をつけてね!」

 ヌルヌル・・・。ハッ!もう今はそういう言葉を言わないでくれ。頼むから。

「先輩、見て見て。ここの穴から海水が湧き出てるよ」

 穴だぁ!?

 俺はそんな穴より市ヶ谷くんの・・・って俺はどこの親父だっての。

「あっ」

 その時だった。市ヶ谷くんが滑っている岩場で脚を滑らせたのだ。

「あぶない・・・っ!!」

 当然俺は慌てて市ヶ谷くんを抱きとめる。

 こんなところで転ぶなど流血沙汰もいいところである。

「あ、ありがと・・・」

 俺の腕の中で頬を染めて見上げてくる彼はかなりグッとくるものがある。

 が・・・ここは我慢我慢・・・。この間のことを思い出せ。

 キスでさえ泣き出したんだぞ? 何もできやしないじゃないか。

「大丈夫?」

 けれど俺は優しく声をかける。

 触れる距離にいる彼に何もできないのは苦しいが、彼の悲しむ顔は見たくない。

「・・・うん」

 ・・・?

 一瞬彼は変な顔をした。変な顔・・・というか怪訝な顔・・・というのだろうか。

 彼は少し考えるような顔で俺を見上げていた。

 ああ彼の頭の中を割って見ることができたなら・・・っ!

 そのときだった。

 チュッ・・・と小さな音が俺の口唇と彼の口唇の間で鳴ったのは。

 その時の俺は吃驚なんてもんじゃない。

 だってそうだろう?

 あのキスはまだ早いと言った市ヶ谷くんが!

 あのキスだけで泣いていた市ヶ谷くんが!

 あのキスした俺を無茶苦茶に責めた市ヶ谷くんが!

 俺は吃驚を通り越して呆然としていた。

「えへへ♪」

 照れたように笑った市ヶ谷くんが、固まっている俺の脇を走っていく。

 ・・・今までの俺の我慢はなんだったんだ?

「せんぱーい!寒いからもう帰ろーっ!」

 彼をエイリアンだと確信したのは、この日だったかもしれない。

END. 

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