#9

 智早がゆっくりとハジメを振り返った。

 涙に滲んだ智早の目がハジメを捉える。

「・・先輩・・・」

「ハジメちゃんが許してくれるまで・・・おれ、何でもするから・・・」

 頬に流れるそれを目で追い、ハジメはそれに手をかけた。

 智早の涙で濡れる自分の指先を見詰める。

「ハジメちゃん・・・?」

 智早の怪訝な声に構わずハジメは言った。

「・・・泣かないでください。ぼくも・・・つらい」

 微かだが微笑んだハジメに、智早はハジメを窺うように見詰める。

「・・・許してくれる・・?」

 ハジメは無言でそれを見返した。

「・・・許してくれないの?」

 智早の顔が悲しそうに歪む。

 しかし、智早は自嘲気味に笑った。

 ハジメに許してもらえないのは当たり前かもしれない。

 避けられていたところを連れて行って無理矢理犯したのだから。

 嫌われても仕方が無い。

「もう、坂遠の気持ちは決まってるよ」

 その言葉に、智早は、え・・・?、と顔を上げた。

「デショ?」

 松野に促され、ハジメは無言でコクンと頷いた。

「ハジ・・メちゃ・・・」

「ぼくは・・・。僕は自分が傷付くのが怖かった。だから先輩を遠ざけたんです。こんな僕は・・・先輩には似合わないのかもしれない・・・」

 智早を見て言うハジメの声は、段々と小さくなっていった。

 それは、やはり終わり・・・ということなのだろうか。

 嫌だ。終わらせたくない。

「そんなこと・・・っ」

 智早は泣きそうになっている自分に気付いていたが、そんなことも構わずにハジメを見詰めつづけた。

 見ると、ハジメの目も潤んでいて、智早と目が合うとその目はそらすように揺れた。

「嫌だよ・・・っ」

 とうとう智早も目をそらしてしまった。

 ハジメの顔を見られないのは辛いが、顔を見たまま別れを告げられるのはもっと辛い。

「でも・・・それでも僕は、麻生先輩が・・・好きなんです」

 その言葉に、智早はハッと顔を上げた。

「やっぱり・・・好き、なんです・・」

 ハジメは真っ直ぐに智早を見ていた。

 口唇を噛み締めて、懸命に訴えるような目をしている。

「ハジメちゃん・・・それ、って・・・」

 ハジメに近付くためによろよろと一歩を踏み出す。

「・・・先輩と・・・元の関係に戻りたい・・・」

 ハジメも智早に近寄ると、智早のシャツの裾を強く握り締めた。

「図々しいって解かっているんです・・・。でも・・・っ」

 その瞬間、ハジメの視界が急に暗くなった。

 意識を失ったとかじゃない。暖かいものが躯を包んでいた。

「・・・ハジメちゃん・・・っ」

 智早の腕がハジメの躯を抱きしめていた。

 ハジメは頬を染めるとおずおずとだが、ゆっくりと智早の背に手を回した。

 それを間近で見ていた松野は、みるからに大げさな態度で溜息をついた。

「はぁー。全く・・・坂遠みたいにいい子がこんな奴の為に泣くことなかったのになぁ〜」

 溜息を大げさならば態度も大げさだった。

 腕を大きく広げた松野のリアクションに、智早が眉間に皺を寄せる。

「・・・お前、もうハジメちゃんに気安くさわんなよな」

 この間のキスだって俺は怒ってるんだ、と続ける智早に、ハジメは慌てて止めに入る。

「せ、先輩・・。松野さんは・・・」

 松野を睨み続ける智早に、松野は生田のことが好きなのだ・・・ということを言いたかったのだが・・・。

「るせェよ。ハジメちゃんは黙ってろよ」

 ハジメはピタリと押し黙る。

「おい麻生。そういう言い方は・・・」

 松野が見かねて口を出した。

「いいんだよ。ハジメちゃんは俺のモンなんだから」

 な?、とハジメを覗き込んだ智早は、覗き込んだままでハジメをもっと強く抱き寄せた。

 それに抗議の言葉を上げようとした松野だったが、次の智早の言葉に苦笑する。

「けど、俺だってハジメちゃんのモンなんだからね?」

 その瞬間、ハジメはキョトンとしたが、その後瞬きを何度か繰り返すと頬を紅く染めて微笑んだ。







 その日も智早は授業中だというのにハジメのクラスの窓を覗いた。

「ハージメちゃんっ。帰ろうぜ」

 ハジメの席が一番廊下に近い列の席の所為で、いつも智早はこの窓を開ける。

「・・・今日も生徒会が・・・」

 ハジメは途中で言葉を止めて、チラリと智早を見上げた。

「・・・待っていてくれますか?」

 上目遣いで見られた智早は少しだけ頬を染めた後、微笑って頷いた。

 智早は、最近ハジメが積極的・・・とは言わないものの、以前より智早を必要としてくれている気がしていた。

 それは前からも思っていてくれていたのかもしれない、と思うと嬉しくてたまらない。

「当たり前だっての」

 智早は笑みを浮かべてハジメを見詰めていた。

「・・・あの、授業中なので・・・」

「別にいいだろ?」

 笑って済ませてしまう智早に、ハジメは困ったように眉を下げた。

 しかし、その顔は少しも嫌がっていない。

 それでころか嬉しそうにさえ見ええる。

「・・・耳、大丈夫?」

 突然の智早の言葉に、ハジメははにかんだように笑った。

「はい」

 ハジメの耳には今でもガーゼがかぶさっている。

「なぁ、直ったらまたピアスつけよーぜ?」

 俺のモンっていう証拠だからさ、と笑う智早に、ハジメはまた困ったような顔をした。

 しかし、それは本当に困っていたのだった。







「お先に失礼します」

「じゃぁな〜」

 二人して生徒会室を出て行ったハジメと智早に、生田は書類を片手に手を振った。

 仲直りをしたらしい二人の姿に、思わず口許を緩む。

 その日、生徒会長は用事があるとかで早々に帰った所為で、生田は一人生徒会室に残っていた。

 扉が開いたのはそのときだった。

 それに視線を走らせたのは一瞬で、生田は再び書類に視線を戻した。

「・・・何か用か?」

 素っ気無いその言葉に吐息で笑った松野は、扉にもたれかかって生田を見詰めた。

「透司に逢いに来た・・・ってのは用事にならない?」

 生田が一人になったのを見計らって来たのだろうことを予想した生田は、あくまでも冷たい態度で松野に接する。

「・・・ならないね」

 そんな生田に気付いている松野は、笑うとゆっくりと生田に近付いていく。

「相変らずだね」

 笑いを含んだその言葉に生田はカッとすると、つい声を荒げてしまっていた。

「用がないなら出てけっ」

 肩で呼吸をする生田に、松野は小さく笑うとその口唇を生田のそれに一瞬だけ触れさせた。

「用ならあるって、いっただろ」

 近距離で囁いた松野は、生田の胸ぐらをぐっと掴むと再び生田の口唇に自分の口唇を押し付けた。

 最初は啄ばむだけだった松野は、やがて生田の口唇を舌で割って巧みに生田の口腔内を動き回った。

「やめ・・・っ。んぐ・・・ぅ・・」

 いつの間にか押さえつけられていた腕を払った生田は、松野の両頬を掴み力任せに引き離す。

「何するんだっ」

 しかし、なおも口唇を寄せてくる松野に、生田は顔を遠ざけることでしか抵抗することが出来なかった。

 いつまでも抵抗を繰り返す生田に、松野は溜息をつくと少しだけ生田から距離を取った。

 そしてそっぽを向いている生田を尻目に松野は溜息まじりで言った。

「はぁー。いい加減俺のモンになれば?」

 呆れたような言い草に、生田の目尻がピクピクと引き攣る。

「・・・何がだ? お前の相手は坂遠だろう?」

 生田は椅子から立つと、鞄に書類を入れ始めた。

 帰る準備をはじめたのだ。

「・・・嫉妬?」

 ニヤリと笑った松野は生田の傍らに歩み寄った。

 その言葉にカッした生田が少しだけ小走りで寄る松野を蹴ろうとしたが、後少しの差で松野はそれを避けてしまった。

「図星? ひと肌脱いだかいがあったかなぁ〜」

 ニヤニヤと笑って生田を見る松野。

 それを見た生田は、顔を上げるなり睨みつけた。

「お前、わざと・・・っ」

 松野を睨み付ける生田は、耳まで紅かった。

「当たり前デショ。俺はずっと透司が好きなんだから」

 ジッと生田を見詰めて言う松野に、生田はビクリと躯を震わせた。

「・・・透司は応えてくれないけどね」

 先程とは違って静かに言葉を紡ぐ松野に、生田はハッとして松野の顔を見た。

 しかし、その後すぐさま視線をそらす。

「・・・だって、お前、坂遠にキス・・・」

「あんなの演出デショ?」

 松野は生田に手を伸ばすと、その両頬を覆った。

 伏せていた目を上げた生田と目が合うと、松野は優しく微笑む。

「・・・松野・・」

 真っ直ぐに見詰める生田に松野は目を細めると、微笑んだままで囁いた。

「・・・俺のモノになってくれる?」

 しばらく二人は何も言わずに、ただ立っていた。

 しかし、その間も松野は生田の顔を見詰めていた。

 そして次の瞬間、目を見開くことになる。

 松野の目に映っている生田が、小さく頷いたのだった。

End.



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