#8

 朝。

 智早は校舎内を見渡しながら走り回っていた。

 ただ走っているわけではない。探しているのだ。

 登校した後にハジメのクラスに寄ったのだが、ハジメがいなかったので智早は仕方なく自分のクラスへ行った。

 そうしたら、ハジメと松野が連れ立って教室を出て行ったということを聞かされたのだ。

「・・・ちっ。何処いったんだよ・・・っ」

 息をきらせて智早は額の汗を拭った。

 ・・・付き合ってないって、言ったんだ・・・っ。

 それなのに、何故あう必要があるのか・・・。

 屋上へ続く階段を上がる。

 この先にはいつもハジメと智早があっていた場所があった。

 校舎の中を散々捜したが、ハジメならきっとここを選ぶだろう、と今では思う。

 上に上がるに連れ、登る速度が落ちてきた。

 智早は肩で息をしながら歩きながらゆっくりとあがっていった。

 しばらくすると、微かだが話し声が聞こえてきた。

 よく聞くと、それはハジメと松野の声に間違いない。

 顔をあげ、段々と姿も見えてきた。

 そして、ハジメの表情も・・・。

「・・・っ」

 智早は息を呑むと同時に頭に血が上るのを自分で感じていた。

 そのときに見たハジメの顔は紅潮しており、松野に向かってはにかむように微笑んでいた。







 話は少し戻り、朝、ハジメは3年生の教室の前にきていた。

「坂遠・・・?」

 扉の内側から顔を出したのは松野だった。

 珍しく教室に訪れたハジメに、松野は驚きの表情を隠せずにいた。

「ちょっと・・・いいですか・・」

 遠慮がちに、しかし強い意志をもった目で言ったハジメに、松野は苦笑すると頷いた。

 二人になれる場所に移動する二人を教室の中から見ていた生田は、その後姿を表情の無い顔で見詰めていた。







 屋上への扉の前までくると、先に松野が口をあけた。

「躯はもう大丈夫?」

 微笑って言う松野はいつもと変わらなかった。

「はい。ご迷惑をおかけしました」

 軽く頭を下げたハジメに、だから迷惑じゃないって・・・と松野は苦笑した。

「どうして僕にキス・・・なんか、したんですか?」

 今まで微笑っていた松野がハッとした顔でハジメを見た。

 しばらくハジメを凝視していたが、松野は躊躇いがちに口を開く。

「・・・透司が君に・・?」

「いえ、麻生先輩が・・・」

 ああ・・・、と呟いた松野は、溜息をつくと頭を掻いた。

 しかし、次の瞬間には気を取り直したようにハジメの顔を覗き込んだ。

「でも、どうしてなんか愚問じゃない? だって俺は君のことを・・・」

「松野さんが好きなのは・・・僕じゃないです」

 松野の動きが止まる。

「こんなことをしたのは・・・生田先輩の為、ですか・・?」

 松野は驚愕に目を見開いた。

 しばらくハジメをジッと見ていた松野だったが、顔を歪ませると苦笑した。

「・・・驚いたな。いつから・・・。いや、何でそう思うの?」

 まさか気付いているとは思わなかった。

「最初から・・・」

 その時のハジメは、照れたように苦笑していた。

「・・・そう。あいつは解かんないのにな・・・」

 松野は遠くをみるように空を仰いだ。

 生田と共にいた時間は智早より短い。

 しかし、松野は智早とは違う感情を生田に抱いていた。

 何度か意思表示をしてきたつもりだった。

 それなのに、生田は何も言わない。

「・・・僕が生田先輩を見ていたから・・」

 そのとき、松野はハジメの言葉に頭をかしげた。

「・・・君、透司が好きだったの?」

 その言葉に、今度はハジメが慌てて首を横に振る。

 しかし、それを松野は疑わしげに見るだけだった。

「あ、あの・・っ。なんていうか、憧れて・・・」

 それでも松野は疑わしい目でハジメを見ていたが、それは信じてもらうほかない。

 汗をかきまくっているハジメに苦笑した松野は、軽くハジメの頭を叩いてから言った。

「憧れ・・・ね。でもあいつ、他の奴らが認識してるようなやつじゃないけど?」

 それは煙草その他のことをいってるのだろうか。

 ハジメはチラリと松野を見たが、よく解からなかった。

 確かに最初見たときは驚いたしショックだった。

 だけど・・・。

「・・・でも、基本的なところは同じ、ですから」

 生田がどんなことをしていても、ハジメは軽蔑など出来なかった。変わらず尊敬していた。

「だから、松野さんも・・・。今も変わらず生田先輩のことを・・・」

 ハジメと松野の目があった。

 松野は表情を殺したまま何も言わない。

 ハジメもその目をそらさなかった。

「・・・そうだよ。俺はアイツのことが好きなんだ。きっとアイツの為ならなんだってするんだろうね」

 そう言った松野は静かに微笑んだ。

 ハジメはそれを羨ましく思っていた。

 何故そこで微笑えるのか。ハジメならきっと・・・。

「・・・だから・・・大嫌いな麻生先輩の為にひとはだ脱いだ・・・?」

 ハジメのその言葉を聞いた松野は、気付いたようにハジメを見ると驚いた顔を見せた。

「あ、気がついてた? そう。俺は麻生なんか嫌いだよ。あんな奴に気安く透司に触れてほしくなんか無いね」

 嫌そうに顔を歪ませて言う松野に、ハジメは渇いた笑いを送った。

 松野が随分智早のことを毛嫌いしているな、と思っていたハジメだったが、そこまで嫌われてるとは・・・と少しだけ頬を引き攣らせてしまっていた。

「けど、よく言えるね。ひとはだ脱いだ、なんて。透司にはかき回したって言われたよ」

 手を左右に大きく開いた松野は、大げさなリアクションをしてみせた。

「・・まぁ・・・そうかもしれませんね・・・」

 松野の仕草に吐息だけで笑ったハジメに、松野はアレ?、という表情をするとハジメのの顔を凝視した。

「あれ? もしかして・・・昨日何かあった?」

 ギクリとハジメの躯が揺れる。

 そぉー・・・と目線だけ上げてみると、ばっちり松野と目があってしまった。

 叫びたい気分でハジメは目をそらす。

「ふーん? 何々?」

 ニヤニヤと笑ってハジメの顎をくすぐる松野。

 逃げるばかりのハジメを面白そうに追いかけている。

「あ・・・いえ・・っ。あの・・・」

 ハジメは自分の顔が段々紅くなっていくのが解かっていたので顔を上げたくなかったのだが、松野についに強引にも顔を上げさせられてしまった。

「んだよ。俺と君との仲・・・デショ?」

 微笑んで言う松野が怖い。

 ・・・なんか松野さん、思っていたのと違う・・・ような・・。

 逃げられないと解かったハジメは、仕方なくポツリポツリと話し始めた。

「えー・・・と、麻生先輩の家に・・・」

「で、エッチ?」

 その言葉にハジメの頬が真っ赤に染まった。

「エ、エ・・・ッ・・。・・・というか・・・その・・・っ」

 しどろもどろになるハジメに、松野はニヤニヤと笑いハジメの頬をつついた。

「・・・よかったじゃん?」

 優しい声色に、ハジメがはっと松野を見上げた。

 微笑んでいる松野にハジメは紅潮したままの顔ではにかむように笑う。

「ちょっと待ったーっ!!」

 そのとき、驚くほど大きな声で乱入してきたのは・・・。

「ハジメちゃんに近付くなよ」

 ハジメと松野の間に強引に入った智早は、ハジメを背に隠すようにして松野を睨みつけた。

「なんだよ。仲直りしたとたん自分のモノ気取りか?」

 松野は眉を顰めて智早を嫌そうに見た。

 智早のことを相当嫌いらしい。

 しかし、そんな松野の視線にも構わず、智早はそんなことより松野の言った科白の方が気になっていた。

「仲直り?」

 パッとハジメを振り返ったその顔は期待に染めていた。

 突然のことに、ハジメはビクリとすると「あ・・・」と小さく声を漏らして松野をチラリと見た。

「何だ。してないのか? だったら、お前にそんなことを言う権利は無いんじゃない?」

 その言葉に智早がぐっとなった。

 しかし、負けじと言い返すところが智早だろう。

「け、けどっ。お前と付き合ってないって・・・っ」

 目尻を吊り上げて言う智早を、松野はフンと鼻で笑う。

「まあね。付き合ってないよ」

 松野の態度のでかさに智早は目元をピクピクとさせた。

「・・・じゃあ、何でハジメちゃんにキスしたんだよっ」

 段々智早の声が大きくなっていく。

 側で見ながら、ハジメはそわそわと何もただ何も出来ずにいるだけだった。

 しかし、それを真正面から見据えている松野は、眉一つ動かさずに言い放った。

「したかったから」

 その直後、ガツンと言う音とともに松野の躯が地面に倒れ落ちた。

 拳を握ったままの智早は肩で息をして松野を凄い目で睨んでいた。

 特別な理由があったって許さないところだった。それなのに・・・。

「センパ・・・っ」

 松野の胸ぐらを掴み再び殴りかかろうとした智早を、ハジメは背後から抱きつくようにして何とか止めに入る。

「・・・そこまで怒るなら、もっと大切にしたら?」

 松野の声が今まで以上に冷たい。

 この声に、流石に智早も少し怯んだ。

「・・・大切に、してたさ」

「どこが!? もっと大切にしてたら坂遠が泣くわけないっ」

 智早は無言になってしまった。

 居たたまれなくなり、ハジメはそっと智早の躯から離れた。――が、ハジメの手を智早は取ると、そのままの状態で話し出した。

「・・・俺だって・・・大切にしたい・・・。ハジメちゃんが傷付かないように・・・ちゃんと・・大切に・・・」

 掴まれた腕が段々と圧迫されていく。

 智早の掴む力が強くなっていく。

「・・・もう・・ハジメちゃんに避けられるのは・・・辛い・・」


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