#1

 朝、家を出るときに言われる言葉。

「今日は早く帰ってこいよ〜」

 2階から聞こえる声。篤志は一度その声に振り返ったが、返事をするわけでもなく玄関のドアを開け放った。

 今年大学生になったばかりの兄は、毎夜遊び惚けている篤志に毎朝同じ言葉をかける。

 兄としては弟の乱交を何とかして止めようとしているのだろうが、篤志は複雑な気持ちで聞いていた。

 幼い頃から仕事で家を留守がちにしていた両親。共働きのため、仕方が無いことだったが親に遊んでもらった記憶は全くない。

 しかし、篤志には二つ違いの兄がいた。だから全然寂しくなどなかったのだ。

 兄はとても篤志に優しかった。何をするのにもまず兄だった。

 そして、物心が付いた頃、兄にある感情を抱いていることに気付いてしまった。

 それは高校2年となった今でも未だ篤志の中でくすぶっている感情だ。

 何も知らない兄は、平気で篤志に触れてくる。時にはそのまま押し倒してしまいそうな衝動に駆けられた。

 しかし触れてしまえば最後。

 失いたくない。失うくらいなら・・・。






 互いの荒い息が耳につく。

 安いベッドの軋む音が篤志の眉間に皺を作る。

「篤・・・っ」

 目の前で喘ぐ男の首筋に口唇を落とす。

 『篤』。それは兄が篤志を呼ぶ時の名前。

「・・・兄ちゃん・・」

 男を抱きながら兄を呼ぶ。

 不毛だと解かっていながら止められない。

 呟くように小さかった篤志の声に気付いたのか、男は微かに口許を笑わせると耳元で囁いた。

「・・・篤。愛してるよ、篤」

 普段、篤志をこう呼ぶのは兄だけだ。

 篤志は息を詰めると激しく腰を振る。やがて硬直したように止まった躯から力を抜くと、男ごとベッドに力尽きるように寝そべった。






「全く、不健全だよな」

 その言葉に篤志はチラリと目を向けた。

 男の名前は富樫 瑞生(とがし みずお)と言った。出逢ったのはそれ系のバーだったのだが、付き合って1年、それなりに続いていた。

「・・・うるせェな」

 自分でも解かっているのだ。どんなに思っても仕方が無いことも。

 しかし、この気持ちを抑えるのに他に方法が思いつかなかった。

 兄に似た背格好。まるで兄を抱いているかのように感じながら、コトが終わると一気にさめてしまう。

「あ、そうだ。明日はオレ、彼氏とデートだから」

 にっこりと微笑んで言う瑞生。それは明日は来るな・・・と言うことなのだろう。

 付き合っていると言っても、別に互いが恋人と言うわけではない。

 篤志は興味が無いとでもいったようにそっぽを向いた。・・・実際、興味がないのだが。

 冷めている篤志の反応に瑞生は目を細めると、篤志の近くへ寄って行きおもむろに篤志の躯を覆っているシーツを剥いだ。

「―――っ」

 驚愕に見開いている篤志に構わず、瑞生は篤志の背中を指でツーっとたどった。

 くすぐったいのか、感じているのか・・・。篤志は身じろいで瑞生から離れようとした。

 それを軽く止めると瑞生は篤志の耳元で囁いた。

「な、やらせろよ」

 口では了解を取りながらも、瑞生の右手は既に篤志の臀部を撫でている。

 眉を顰めた篤志は瑞生を軽く押し退け、その腕からシーツを奪った。

「いいじゃん。な、篤・・・一回だけでもいいよ」

 シーツの上から擦るような感触に、篤志は顔だけ覗かせて瑞生を睨む。

「・・・そんなふうに呼ぶな」

 篤志は、ベッドの中ではその名前を強要しておきながら、ベッドから出るとその名前で呼ばれるのを拒んだ。

 それはいつもの事なので瑞生も解かっていることだったのだが、ついつい篤志をからかうように呼んでしまう。

「お前絶対ネコも似合うよ?」

 笑いながら言う瑞生をしばらく睨んでいた篤志だったが、瑞生はいつもこんな調子だと言うことに気付き、不貞腐れたように顔ごとシーツに潜り込んだ。

 瑞生はタチもネコも出来る奴だった。いや、篤志が誘った相手は大抵両方出来る奴かタチなのだ。

 というのは、兄に似ている男を捜すとどうしてもそうなってしまう。

 兄の容姿は整っている顔をしているが女顔というわけではなく、体型は細くはないがガッシリともしていない。言うならば優男。

 数いる同士の中から兄に似た顔の男を捜すのは難しい。せめて、体型だけは兄とそっくりな男と寝たい。

 その結果が瑞生だった。

「なぁ、お前の兄貴・・・名前なんだったっけ?」

 突然の瑞生の言葉に、無視を決め込んでいた篤志の肩が揺れた。

「・・・何で」

「何となく」

「・・・・・・・」

 即答されて篤志は一瞬沈黙した。

 何となくで聞くなんて・・・。相変らず気まぐれな男だった。

「・・・亮平」

 他の男なら聞かれても答えなかっただろう。しかし、瑞生なら・・・と思わせた。意外と長く続いているからかもしれない。

 しばらくボーっとしていたが、篤志は立ち上がると服を着込み始めた。

「なに?帰るの?」

 篤志は頷くだけで返し、身支度が整うと挨拶もなしに寝室をあとにした。






 家に着くと、既に灯りは消えていた。当たり前だ。もう深夜なのだから。

 篤志は鞄から鍵を取り出すと静かに玄関の扉を開けた。

「・・・お帰り」

 部屋に入ろうとした時、隣りにある兄、亮平の部屋から亮平が出てきた。

「・・・ただいま」

 まだ起きていたのか・・・。

 電気が消えていたので寝ていると思っていた篤志は内心驚いていた。

 そのまま何事もなく部屋へ入っていこうとすると、思わぬ力で手を引かれた。

「・・・ちょっと部屋、来いよ」

 その時亮平がいつもと違うことに気付いた。

 いつもニコニコとしている顔が強張って・・・いや、無表情に近い。

 篤志が戸惑っていると、亮平が顔を歪ませていった。

「・・・怖いか?」

 訳が解からなかった。何故突然そんなことを言い出すのか。

 篤志はなんといっていいのか解からなかった。

 とにかく来いよ、と連れられて亮平の部屋に入る。

 亮平の部屋は机の上の電気スタンドがついているだけの薄暗い部屋だった。

 部屋に入れてどうするつもりなんだろう・・・。

 こんなことは初めてだった。

 亮平は机の上に広げていたノート等をしまうと篤志を振り返る。

 その後姿を見ていた篤志は亮平と目が合いそうになって思わず俯いてしまった。

「篤は俺から目を背けてばかりだな」

 声がすぐ近くから聞こえたことに驚いて顔を上げると、目の前に亮平がいて更に驚く。

 目が合ってしまい、どうしようと迷い目を泳がせた。

 その時篤志の視界に映った亮平の口許は歪んでいた。

 それを気にする間もなく篤志の視界がガラリと変わる。篤志の躯がベッドに沈んだのだ。

「な・・・っ」

 抗議の声を漏らすより先に亮平の口唇が篤志の口唇に触れた。

 息苦しいほどに口唇を吸われる感触に、いつしか篤志は我も忘れてその口付けに酔っていた。

 口唇が離れた頃、焦点の合っていない目で篤志は亮平を見詰めていた。

「・・・お前はいつもそんな目で見てたよな」

 その言葉で篤志はハッと我に返った。

「な、何・・・」

 目の前に居る兄が知らない人のように思えた。

 怯えている篤志を面白そうに眺めているそれは、篤志の知っている亮平ではない。

「気付いていないとでも思ってたのか?・・・お前、俺が好きなんだろ?」

 衝撃だった。篤志の口唇を奪ったことも、篤志の気持ちに気付いていたことも。

 なにより、薄っすらと笑って話す亮平に・・・。

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