#3

 ハジメは何気なく顔を上げた。そこには見慣れた顔が。そして、今は見ていたくなかった顔が・・・。

「よぉ」

 生田はいつもどおりの笑顔で手を振ってくる。何もなかったかのように。

「・・・こんにちは」

 ハジメは困惑した顔で生田を見詰めるが、生田は気にも止めずに寄って来た。

 そんな所は『麻生 智早』と似ているかもしれない、と密かに思ってしまった。

「お前は何か部活に入ってたっけ?」

「・・・いえ」

 多少ハジメの気が落ちていたが、コレだけ聞くと全くいつもと同じ会話だ。

「帰宅部か・・・。駄目だぞ、そんなんじゃ。だから躯が細いんだ」

 ギクリとする。

 ハジメの躯を見れば、ほとんどの人が持つ感想だ。普通なら何の反応も起こさない科白なのに、あんなことをした後だと・・・。

「よ・・よく・・・言われ・・ます・・・」

 ハジメが顔面蒼白にしていることを知ってか、生田はハジメの顔を覗き込んだ。

「ま、俺が鍛えてやるよ。なんならバスケ部に来てくれてもいいぜ」

 生田はハジメの背中を音が出るほど叩くと自分の席へと戻っていった。

 本当に以前と何も変わっていなかった。昨日のことを仄めかす素振りさえなかった。

 あるはずないのに、昨日のことは夢だったと思ってしまう自分がいることをハジメは情けなく思う。






 しばらくの間誰も話さなかった。

 だが、その静寂は突然破られた。静かな空間の中で扉が開く音だけが響き渡る。

 その音に反応したハジメは顔を上げ、次の瞬間顔が強張るのを自分で感じていた。

「透司ィ、もう終った?一緒に帰らねェ?」

 生徒会室に入ってきた智早は生田に話しかけながらもキョロキョロと辺りを見回した。そして、視線でハジメを捉えるとニヤリと笑い、ハジメに向かって手を振った。

「よぉ、ハジメちゃん。昨日はどぉーも」

 あんなことをしておいてその話を持ち出す無神経さに腹が立ち、ハジメは鞄を手にすると勢いよく席を立った。

「会長。書類整理、終りましたのでお先に失礼してもいいですか?」

 会計書記の仕事はほとんど雑用だけなのである。

「あ、ああ。構わないよ。気をつけてね」

「はい。お先に失礼します」

 突然のハジメの行動に会長はたじろいでいたが、ハジメは気にせずに席を整頓し、帰る準備ができると智早を避けるために大回りをして扉から出て行った。

「お、おい・・・ハジメちゃん?」

 智早が止めることも忘れ呆然として我に返ったのは、扉が閉まった後だった。

「あーあ。嫌われてやんの」

 生田は書類から目を離さずに言った。しかも、その口調はなにやら嬉しそうである。

 その言い草にカチンと来た智早は眉を顰めた。

「ぶあーか。お前もそうだろう?」

「あ? 何言ってんだ? 俺とはちゃんと会話してくるぜ。嫌われてるお前と違って」

 生田はわざと最期の部分を強調していった。

「何ソレ」

 生田の言い方にもむかついたが、何故自分だけ避けられるんだと智早は理不尽に思った。やったことは何も変わらないのに・・・。

 思いっきり顔を歪ませている智早に気をよくした生田はフフンと笑う。

「だってアイツ、俺のことダイスキだからさぁ〜」

「・・・嬉しそうじゃん」

「だってアイツ、可愛いだぜ? うっとりした瞳で見詰めてくれちゃってさぁ〜」

 ま、ちょっとばかし美化されてるけどな、と続けた生田は楽しそうに笑った。

 今言ったことは半分嘘だった。

 確かに、生田から見てもハジメは可愛い奴だ。時々うっとりとした視線を感じることもある。しかし、嬉しい理由は他にある。

 普段から脳天気な智早が、こんなに顔を歪ませることなど滅多にないのだ。その智早にこんな顔をさせることが出来て、今の気分は最高なのである。

「ところで・・・何で一緒に帰るんだよ?」

 今までに智早は生徒会室を訪れたことがなければ、一緒に帰ったことなど指で数えるほどだ。

「や、別に意味はないけど?」

 嫌なわけ?、と生田に目で問いかける。

 生田としては、もちろん嫌なわけじゃない。結構知られていないが、実は二人は幼なじみなのである。したがって、家も近ければ親同士も仲がいい。

 意味はないのなら無意識のうちにここへ来ていたのだろう、と生田は推測し苦笑した。

 智早との付き合いは長いのである。






 その日は朝から移動教室だった。

 ハジメは教材を持って廊下を歩いていると、聞き慣れた声に呼ばれた。

「坂遠っ」

 振り返ると、そこにはクラスメートが立っていた。

「ったく、置いてくなよなぁ〜」

 出席番号が前後で、それ以来よく話す奴だった。

 名前は神田兼光(かんだ かねみつ)。はっきり言って付き合いやすい奴だ。

 ここまで親しくなれた奴は数少ない。

 ソレもそのはずであった。

 ハジメは自分のことを、人間関係が苦手だと思っていたが実は違う。

 神田は理由を知っていた。

 顔が整いすぎているのだ。

 男子校では珍しくないが、守ってやりたいと思わせるその容姿の所為で周りは近づけないでいるのだった。

 神田もその一人なのだが、前後ということもあって今では気兼ねなく話せるところまで進展した。最近では移動教室でさえ一緒に行く程である。

「あれ?ハジメちゃんじゃん」

 不意に前方から名前を呼ばれ、ハジメは顔をあげた。しかし、目の前にいるのだ誰だか解かると反射的に顔を歪ませてしまう。

「何だよ。挨拶もなし?俺とハジメちゃんの仲なのに?」

 黙ったまま何も言おうとしないハジメに智早は口唇を尖らせたが、ハジメはもう智早に関しては我関せずを決め込んでいたので、まるでそこには誰もいないかのように智早の横を通り過ぎた。

 ――が、その瞬間、智早が耳許でささやいた。

「透司のことが好き、なんだって?」

 ハジメの躯がピタリと止まる。

「言っとくけど、アイツは止めた方がいいぜ。アイツはお前が思ってるほど真面目な奴じゃ・・・」

 ハジメに生田は好かれているのに、自分だけ嫌われているのが気にいらなかった。それならば、生田も嫌われてしまえ、と・・・。

 しかし、ハジメの反応は智早が予想していたものとは程遠いものだった。

「先輩を悪く言うな」

 目尻を吊り上げて一生懸命智早を睨む。その姿はその場で抱きしめたくなるほど可愛い。なのに、何故ハジメは生田を庇うのか。生田と自分とじゃ、一体何処が、どれほど違うというのか・・・。

 あまりに突然のことで声が出ない。

「坂遠っ」

 神田に呼ばれ、ハジメは踵を返し黙って歩き出した。

 智早を睨んだ目は、最期まで離さなかった。






「お前、麻生先輩と知り合いだったのか?」

 神田はまだ智早がいるところを見ていた。しかし、ハジメがさかさかと歩いていくので慌てて後ろをついていく。

「別に・・・」

 不思議そうに聞いた神田に、ハジメは前を向いたままそっけない声で答えた。今までハジメと付き合ってきて、そんな声を聞いたことのなかった神田は尚も不思議そうな顔をしたがすぐに表情を直した。

「ふーん・・・?あ、もしかして生田先輩経由?」

 ハジメはビクリと躯を揺らした。

「あの二人、仲いいもんな。性格とか全然違うのに何で一緒にいるんだろ」

――アイツはお前が思ってるほど真面目な奴じゃ・・・


 その時、智早の声とともに、あの忘れたくても忘れられない日・・・・・・二人に躯をいいように扱われた時の映像が鮮明にハジメの脳裏にフラッシュバックした。

 ・・・言われなくても・・・解かってるよ・・・っ

 このときハジメが口唇を噛み締めていたことを、誰も知らない。

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