#7

 よく飽きないな、と思う。

 最初のうちは昼休みだけ訪れていた智早が、朝のST前に顔を見せるようになった時、ハジメは心底驚いた。

 何しろ麻生智早は、遅刻をせずに登校する日はほとんど皆無といってもいいほどだった。それなのに、今では毎朝ハジメのいる2−Aまで脚を運んでくる。

 ハジメの冷たいあしらいに焦れたのか、最近では毎放課まで来るようになってしまっていた。

 ハジメが呆れた眼差しを送っても、智早は全く堪えていない。それどころか、瞳を輝かせてハジメに言うのだ。

「ハジメちゃん・・・。そんなに俺のこと見詰めてくれちゃって。やっと俺の愛に気付いてくれたんだ

 もはやハジメに言う言葉は何も無かった。

「坂遠、悪いが・・・前の授業で集めた問題集を取りに、教務室まで来てくれないか」

 廊下を歩いていたハジメは、偶然居合わせた教師に頼み事を言い渡された。

 このように教師達がハジメに言付けたりするのは稀じゃない。生徒会役員を務めている所為か、よく頼まれるのだ。

 ハジメは頼まれるとどうしても断れない体質で、なかなか断ったことはない。

 それに特別な用事があるわけでもなかった。

「ハジメちゃんっ」

 教務室からの帰り、クラス分の問題集をバランスよく両手で抱えて歩いていたハジメの後から声がした。

 振り返らなくても解かる。

 この学校でハジメをそう呼ぶのは一人しかいない。

 ハジメが聞こえない振りでそのまま歩いているのと、当然のように横に並んだ智早は、意地でも前を見ているハジメの顔を覗き込んだ。

 その動作に驚いたハジメは、手一杯に持っていた問題集を思わず落としてしまった。

「あー・・・ごめんっ。悪気は無かったんだ」

 ハジメと一緒になって、問題集を拾い始めた智早が体操服を着ていることに気付き、ハジメは慌てて智早の腕から問題集を奪い取った。

「こんなこといいですからグランドへ行ってください。次は体育なのでしょう?」

 智早は一瞬キョトンとしたが、次には目を細めて微笑っていた。

 ハジメが智早を心配したことなど一度も無い。

 前は近寄っただけでも威嚇するように睨み、触れようとするだけで怯えた顔をしたハジメだったが、智早の日々の行動で慣れたのか、今では普通に接してくれるようになった。

 呆れたような顔で智早を見ることも多々あるが、それでも進歩である。

「授業ぐらい、遅れたって大丈夫だって」

 ハジメの腕から問題集を奪い返し、再び床に散らばっているものも拾い始めた。

 智早にしてみれば、嬉しさのあまり調子に乗ってみただけなのだが、その言葉を聞いたハジメは眉を顰めた。

 学生の領分は勉強であって、授業はきっちりと受けるものなのだ。

「何バカなこと言ってるんですか。大丈夫なわけ無いでしょう」

 拾い終わった問題集を半分持とうとしていた智早の腕を払い除け、早脚で自らの教室へと向かう。

 慌てて追いかけた智早は、問題集を持つことは諦めて後からハジメを抱きしめた。

「なぁ・・・いいかげん俺のこと好きになれよ。絶対に損はさせないから」

 耳朶を舐めるように囁かれ、ハジメは湧き上がる感情に困惑したが、何とか留まらせて思い切り智早の脚を踏みつけた。

「・・・僕は損得で人を好きになったりしません」

 踏まれた個所を押さえながら、しまったという顔をする智早を置いて、早脚で教室へ向かうハジメの姿を智早は情けなく思いながらも溜息を吐いて見詰めた。

 どうすればいいのかさっぱり解からない。

 今までは智早が微笑むだけで相手から寄って来たのに。だが、今回は違う。

 どんな愛の言葉を囁いたとしても全然なびかない。それどころか嫌われていく気さえする。

 どうしたものかと前髪を掻き揚げた。

 しかし、諦める気は毛頭ない。

 これは――本気の恋、なのだから。






 階段を上りながら、落ちそうな問題集を懸命に支える。

 そろそろ予鈴が鳴るはずだ、とますます歩く脚を速くした。

 階段をつなぐ踊り場を小回りで進もうとした時、前方に人がいたらしくぶつかってしまい、情けなくもハジメはバランスを崩してその場に崩れこんだ。

 当然、大量にあった問題集は見事に冷たい床に散らばり、焦るあまりなかなか上手く拾えない。

「おい、ぶつかっておいて挨拶もなしかよ」

 ハジメはそこで初めて気がついた。

 バツが悪く、慌てて立ち上がる。

「す、すみませんっ。前をよく見ていなくて・・・っ」

 目の前にいる男は明らかに気分を害していた。

 校章の色から3年生だと解かる。

 ハジメが飛ばされたのが納得できるほど、その男のとハジメの体格は違っていた。ハジメの細く華奢な身体つきとは違い、がっしりとした大柄な男だ。

 その男には連れがいるらしく、隣りにはハジメと同じくらいの小柄な少年がハジメを睨み見ていた。この少年も3年生らしい。

「今更謝ってもらっても・・・なぁ」

 絡んで来たのは小柄の少年の方だった。

「はぁ・・」

 ハジメは何ともいえないマヌケな声をあげた。

 ハジメとしては、謝って終わりだと思っていた。これ以上何をすればいいのだろう、と目の前の人物を交互に見遣る。

 小柄の少年が目線で合図のようなものを送ると、大柄の男が突然ハジメの腕を掴み取った。

 乱暴で痛かった所為もあり、ハジメは拾い上げた少量の問題集を再び床に取り落としてしまった。

「な、何・・・」

 何するんですか、と言う前に、男は口許を吊り上げると何も言わずにハジメの腹に拳を叩き込んだ。

 小さく呻くとハジメはその場に崩れ落ちそうになったが、腕を掴まれているので宙ぶらりんの状態になる。酷い嘔吐感がハジメを襲った。

 息が詰まって呼吸もできず、しばらくしてやっと咳き込むように息を吐く。

 頭がボーっとするようにクラクラする。殴られた腹部はジンジンと未だにハジメを苛んでいた。

 長い間意識が無かったような気がする。

 気がついたときには、見上げる天井の色が変わっていた。

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