#9

 午後の授業がかったるいからというわけでもなく、智早は思い切りへこんでいた。体育の時間、そんな時に迷惑するのは柔軟体操のペアである。

「おい、智早・・・。いい加減にしろよ」

 智早の下から唸るような声を出したのは、不幸にも智早の相手をさせられている生田である。

 授業の前、ハジメのところへいそいそと出かけていったのに、戻ってきた時の顔は凄かった。

 智早の落ち込んでいる顔など滅多に見れたものではないので、最初は興味津々だった生田だが、ここまでくると鬱陶しい。

 だいたい理由さえ話さないのだ。

 生田は遅れてきた智早に付き合い、2度目の前屈運動を永遠とさせられていた。これでは智早の柔軟体操になっていないのだが、落ち込んでいる智早は生田の背中で伸びたまま動こうとしなかった。

「おいっ、智早っ」

 いい加減前屈にも飽きていた生田は、智早を無理矢理に背中から落とす。力なく乗りかかっていた智早は、あっけなく砂の地面に転がり落ちた。

 それでも智早は何も言わない。ただ、空を仰ぎ見るだけ。

 呆れていた生田だが、智早が何もしないので仕方なく傍らに腰掛けた。

 生田の座る気配に気付いたのか、智早も起き上がり脚を抱えて座る。

「・・・初恋・・・なんだ」

 腕に顔を埋めている智早の声は、くぐもっていていた。

「・・・ああ。知ってるよ」

 きっと、そうなのだろう・・・と思っていた。何せ本気で恋をしたことがない奴だから。

「キライだって言われた」

 先程と同じ音で呟く智早に、それが原因か・・・と生田は苦笑して、地面の上に転がった。

「今更何言ってんだよ」

 ハジメが智早を好んでいないのは傍から見てもよく解かる。

 その上、追いまわされているのだから嫌いにもなるだろう。

「そうだけどさぁ・・・。あぅ〜っ」

 生田に苦笑まじりに言われ、智早は頭を抱えてしまった。

 前にも言われたことがあった。

 最初に強姦したことをたてに、無理に強要したときのことだ。

 あの後ハジメは智早に言ったのだ。

――あなたみたいな人、大嫌いです。

 あの時は自分の気持ちに気づいてなかったので何とも思わなかったが、こんなにショックが大きいとは思わなかった。

 智早は項垂れて溜息を吐いた。

「麻生ーっ。次、おまえだぞっ」

 打順が回ってきた智早は、めんどくさそうにバッドを手に持ち無気力な声をあげてグラウンドへ入っていった。

 いかにもかったるそうな智早の後姿を見送った生田は、溜息を吐くと両手を後頭部に置いて空を仰いだ。

 口では色々言っているが、これでも智早の恋を応援しているのだ。

 親友の為に人肌脱ごう、という気だってある。しかし、その機会に恵まれず・・・。

 その時、生田は校舎に見慣れた人影を見つけて首をかしげると、口許を緩ませて勢いよく立ち上がった。

 グラウンド上にいる智早は、もといた場所に生田がいなくなったことなど気付くこともなかった。






 先程から一つのことしか考えられなかった。正確に言うと、襲われた時から・・・。

 授業中だというのに、人気の無い廊下の窓から見えるグラウンドを見ていたハジメの目には智早しか映っていない。

――あんたなんか・・・キライだ・・・

 抱きしめられながら罵った自分。縋りついた智早の暖かさが忘れられないでいた。

「どうしてくれるんだ・・・僕を・・・こんな・・・」

 ハジメは口唇を噛み締め、胸の中を彷徨う不可解な気持ちに戸惑っていた。

 ハジメ自身、この気持ちがどんなものが解かっていた。解かっているからこそ、自分が解からない。

 出会いは最悪だったし、始めから印象も良くなかった。

 だいたい男同士だ。男子校な所為か、あまり抵抗が無いこの学校で今更なのかもしれない。

 しかし、偏見は無いが自分では無理だと思っていた。智早のように大っぴらには出来ないだろう。

 思いふけっているとチャイムが鳴り、何時までも突っ立っているわけにもいかなくなったハジメは窓辺から離れて歩き出そうとしたが、その時視界に映った人物に目を見張った。

「今・・・体育の時間じゃ・・・」

 今まで智早のことを考えていた、なんてことを生田が知っているはずが無いと思いながらも後ろめたい気持ちで目を泳がせてしまった。

 生田はハジメの素直な反応に気付いてはいたが、何も言わずにハジメの言葉に続けた。

「今終わったところだ」

 生田の言うとおり、グラウンドにいる生徒たちは散りぢりにロッカー室の方へ歩いていく。しかし、それでは生田がここにいる説明にはなっていない。

 ハジメの見せた曖昧な顔を気にいったのか、可笑しかったか、生田は微笑して目を細めた。

「坂遠をサボらせるなんて、凄いやつだな。智早は」

 グラウンドからハジメの姿を見付けた生田はニヤ付きながらも校舎をあがってきた。

 校舎の影にハジメを見た時は自分の目を疑った生田だが、もしハジメも同じ気持ち、もしくは少しでも智早やのことを気にしているというのであれば納得がいく。ハジメはこれでもか、という位、真面目な性格をしているので授業をサボるなどありえないのである。

 脈なしというわけでもなさそうだ、と思った生田だったが、智早にはしばらく内緒にしておこうと思っていた。何せアレだけ落ち込んでいるのだ。しばらくの間はあのままの方が楽しいかもしれない。

 反対に、ハジメは意味深な生田の言葉にカッとなり、少し焦ってしまう。

「そ、そんなんじゃ・・・っ」

「ホントにない?」

 遮るように生田は更にたたみかける。

「・・・それは・・」

 ハジメは言葉に詰まり俯いてしまう。適当に誤魔化せばいいものを、ハジメにはそれが出来ない。

 その様子に生田が再度笑った。

「本当に坂遠は可愛いな。どんな時でもウソがつけない」

「・・・からかわないで下さい・・・」

 嘘なら付いた。さっき、智早に。

 俯いたままのハジメに、生田は更に笑いがこみ上げてきたがここで笑ってしまったら泣き出してしまうかもしれないと思い、なんとか踏みとどまる。

「からかってなんかいないさ。そこが坂遠のいいところ、だろ?」

 生田の優しい声に顔を上げたハジメは、口許だけで微笑んだ。

 どんな時でもそうだった。ハジメの憧れた『先輩』は、ハジメのいいところを見付けては誉めてくれたのだ。

「で、智早が好きなのに応えないのは・・・男同士だから?」

 ハジメの顔は強張ったが、ポツリ、ポツリと言葉を漏らす。

「・・・それも・・・あります・・けど・・・」

 肯定してしまうのは勇気がいるけれど、否定しても生田が相手だときっと見抜かれていたであろう。

 生田が続きを促すと、ハジメは視線を落として自分を抱きしめるように、胸の前で腕を組んだ。

「・・・あの人は・・・本当に僕のことを・・・その・・・好き、なのでしょうか・・・」

 気持ちを自覚してからハジメの頭をよぎるのは、智早の数々の噂。最初に見たときの光景。

 あの時、智早と生田は同じベッドにいたのだ。酷く服装が乱れていたのを覚えている。

 「は?」

 予想外の返事に、生田は間の抜けたような声を出した。

 ――可哀相に、智早・・・。あんなに一生懸命なのに全然伝わってないよ・・・。

 ソコには明らかに笑いを堪えている生田の姿があった。

 ハジメは悩んでいたのだ。それもそうだろう、と生田は思った。智早には悪いが、あの初対面はいただけなかった。

 飛び掛る噂の中にも『一度落としたら終わり』などというものまである。確かに今までの智早はそういう生活をしてきたのだから間違ってはいない。

「あ――・・・。もしかして、俺のことも疑ってる?」

 上目で生田を見詰めるハジメの目がそれを肯定していた。

 生田は溜息を吐くと、智早に後でおごらせようと企てていた。ここで生田が弁解の一つでもすれば上手く納まるところに納まるかもしれない。

「アイツとはもうヤってないよ。ホンキの恋ってやつ、見つけたみたいだからな」

「ホンキの恋・・・?」

 少しクサいかな・・・?と思い、照れながら言った。

「そ。坂遠という・・・」

 これで上手くいくぞ、と生田が最期の仕上げをしようとしたとき、廊下の向こう側から大きな声で遮られた。

「智早センパ〜イっ」

 ハジメと生田は、条件反射のように振りかえる。

 廊下の端には智早と、160にも満たない背丈の少年が立っていた。ハジメと生田に気付いていないらしく、智早は下級生と話し出す。

「なに?」

「センパイ。ボクと2人で遊園地に行く約束っ、明日にしようよー」

 いつまでたっても誘ってくれないんだもん、と続ける下級生に、智早は面倒くさそうに唸り左手で頭を掻いた。

 すっかり忘れていたのだ。最近ではハジメのことで頭がいっぱいで、そういえばそんなことも言っていたような・・・と今思い出した。

 智早が下級生の頭を軽く叩き、よし行くかぁ、と呟くと下級生は歓喜の声を上げて大胆にも智早に抱きついた。

 その光景を、一部始終見ていたハジメと生田は絶句である。

 生田は呆れたように溜息を漏らすと、隣りのかわいそうな後輩に目を向け驚愕に目をむいた。

 拳を強く握って耐えているハジメの目尻には、うっすらと涙が浮かんでいたのだ。

「・・・やっぱり・・僕の事は噂どおり遊びなんです」

「あ――・・・、そうじゃな・・・」

 生田が否定しかけると、添えを遮るようにしてハジメが微笑みかけた。

「いいんです。先輩はいつも優しいですね」

 ハジメの笑い顔がとても儚くて、否定したくても生田は何も言えなくなってしまった。

 ハジメと生田が向き合っている頃、智早は2人の存在に気付いて嬉しそうに寄って行く。その後を慌てて下級生が追った。

「そういう意味じゃないですけど・・・」

 ハジメは少し間を置いて言葉を続けた。

「僕・・・先輩が好きです」

 智早の脚がピタリと止まる。最期の言葉だけはっきり聞こえてしまった。

 智早に気付いたハジメは、顔を強張らせてすぐに俯いてしまう。

「・・・じゃあ、生田先輩・・・。また、生徒会室で」

 ハジメは声が震えないように注意して声を掛け、早足で智早の横を通りぬけると安堵した。

 今、智早と向かい合うのは嫌だ。きっと普段どおりに振る舞えない。

「ちょっと待て」

 智早はハジメの腕を後ろ手に掴むと強引に引き寄せ、ハジメを冷たく見下ろした。

 驚愕したハジメは、どうにか離れようともがくが一向に腕が離れる気配は無い。

「来い」

「え・・・や・・・」

 智早の低い声に、ハジメはビクリと躯を震わせて、抵抗する力を無くしてしまう。

「悪いけど、明日はキャンセルだ」

 下級生の前を押し退けるように通ると、我に返った下級生が背後から何か叫んだが、智早は構わずにそのまま歩いていく。

 あとに残された生田は、相変らず呆れた顔で呟いた。

「・・・ホント、タイミング悪い奴ら・・・」

 溜息を吐いてしばらく後姿を見送っていたが、やがてその姿は見えなくなった。

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