#3
覗き込むようにしてハジメの顔を覗いてきた人物は、もう一度ハジメに声をかけた。 「おい?大丈夫かい?」 ゆっくりと顔を上げたハジメは、そこにハジメを襲った男がいないことを知ると再び助けてくれた人物に視線を合わせた。 「・・・どうも・・ありがとうございまし、た」 ハジメは震えの治まらない指で外された学ランのホックを嵌めようと試みるが、上手くはめられない。 それでも頑張っていたのだが、不意に目の前にいた人物がハジメの学ランのホックに手をかけた。 無言で嵌めていくのを、最初は驚愕の眼差しで見ていたハジメだったが、少したつとハジメもそれを無言で眺めていた。 「・・・君、麻生の・・・だろ?」 突然言い出した男の言葉に、ハジメは複雑な目で見返した。 男がいいたいのは、おそらく『麻生智早の恋人』だろ?、ということだろう。 しかし、ハジメはそれを肯定するのを何故か躊躇していた。いや、理由は解かっていた。 男――松野 孝治(まつの たかはる)がそう言ってきたのは、翌日の朝だった。 あの後、ハジメはお礼をしたいと申し出たのだが、松野は笑って断ったのだ。 やっぱり、と思い直したのだろうが、ハジメにとっては願ってもいないことだった。 「あ、はいっ。是非させてください」 お礼ができるのならば、とハジメは少し大きめに言った。 その後何の変哲もない会話が続き、結局ハンバーガー一個というお礼になってしまったが、何もしないよりはハジメの気持ちが落ち着く。 「じゃ、今日ね」 自分の教室へ戻っていく松野の後姿を何となくボーっと見ていたハジメだったのだが、背後に視線を感じて振り向いた。 そこにいた顔を見て、ハジメは顔を少し強張らせた。 「・・・アイツ、何?」 足音が立ちそうなくらいの勢いでハジメに歩み寄って来た智早は、松野の去って行った方をジッと見詰めてハジメに問うた。 「・・・先輩には、関係ないです」 「関係ないわけないだろう!?」 ハジメの言葉にカッときた智早は、思わず大きな声をあげてしまい、きまりが悪くそっぽを向いた。 「・・・今の松野だろ?」 智早のボソリとした声が聞こえたハジメは、眉間に皺を寄せている智早の横顔を見た。 「え?松野さんを知ってるんですか?」 ハジメの言葉に、智早はチラリとハジメを見ると目を泳がせた。 言い難いのか、智早はいうのを躊躇っていた。 「・・・透司の知り合いだからな」 聞こえた言葉に、智早が何故いうのを躊躇ったのか解かってしまった。 二人が気まずい状況になったのは生田が智早に口付けをしたからだ。 「・・・で?ハジメちゃんは何で知ってるんだよ」 智早同様に眉間に皺を寄せたハジメに今度はハジメの番だとでも言うように、智早はハジメを促す。 「・・・絡まれていたところを助けて頂きました」 今まで横目でハジメを見ていた智早だったが、今のハジメの言葉に完全にハジメを振り返った。 「絡まれた!?それで、大丈夫なのか?何もされなかった?」 何もされなかったわけではないのだが、以前よりはずっとマシな状況だったのも本当なので、ハジメは小さく頷いた。 智早が、よかった・・・と呟く。 智早の腕が、慰めるようにハジメの頬に向かって伸ばされた。 しかし、それは触れる前にピタリと止まると、ゆっくり下へ降ろされてしまった。 「・・・それって・・・あの後、だよな」 ハジメは何も言わなかった。 「ごめん。あの後追いかけたんだけど・・・」 「別に・・・」 「怒ってる・・・?」 二人の間に沈黙が流れる。 俯いたハジメの視界に、智早の握ったり開いたりしている掌が映っていた。 反対に、智早は俯いたハジメをジッと見詰めていた。 瞬きをする度に震える睫毛を眺め、ハジメの答えをただ待っていた。 「・・・はっきり言って、呆れています」 はっきりと聞こえたそれは、智早を慌てさせるのには充分すぎた。 「ど、どういう・・こと・・・?」 智早は焦ってしどろもどろにハジメに問い掛けた。 今度こそ本当に呆れてしまったかもしれない。 握った掌に汗が滲むのが見なくても解かる。 「解かってたはずなんです」 俯いたままの所為でハジメの表情がまるで見えない。 それでも、智早はできるだけ冷静に問い掛けた。 「・・・何を・・?」 ハジメは躊躇したのか、ひとつ間を置いてハジメは言った。 「・・・先輩は・・やっぱりひとりと付き合うことなんて出来ないんです」 「俺は・・・っ」 ハジメの脚許にポツリポツリと水滴が落ちるのに智早は息を飲んだ。 生田は智早が戻ってくるなりそう言った。 何もいえない智早は、席につくと机に突っ伏した。 「・・・って言っても・・さぁ・・・」 泣かれてしまった。 それは智早の中で大きなダメージとなっていた。 泣かせたくなんかなかったのに。 そう思っていた自分が泣かせてしまったのだ。 「まぁ・・・。坂遠の気持ちもわかるよな。そういう関係になる前、散々こだわってたことだもんな」 「お前・・・っ。もとはといえばお前が悪いんだぞっ」 智早は自分が最初にしたことを忘れ、生田にそんなことを口にした。 「・・・まあね」 自業自得だろう、と思っている生田だったが、自分にも責任はある、と少し自嘲気味に笑った。 あの時、実はハジメが見ているのを知っていて智早にキスしたのだ。 理由は簡単。ただ、面白そうだったから。 しかし、それだけではなかった。その前に面白くないことがあったのだ。 それをつい、智早とハジメにぶつけてしまった。 単に、八つ当たりだったのだ。 「このまま許してくれなかったらどうしよう・・・」 智早が溜息を吐いて沈んでいた。 「・・・悪かったよ。あの時は悪ふざけが過ぎたみたいだ。俺も何か協力・・・するから、さ」 まさかここまで事態が悪化するとは思っても見なかった。 このままでは本当に二人の仲は壊れてしまうかもしれない、と思うと生田はやりきれない気持ちでいっぱいだった。 とりあえず、その日の昼は智早にジュースを一本おごってあげることにした。 |
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