#5

 朝、その人物を見た瞬間、ハジメは目を見開いた。いや、実際にはその姿を見た瞬間に。

 目をパチパチと瞬きを繰り返したハジメは、目の前にいる智早をマジマジと見詰める。

「先輩・・・」

 呼びかけたわけではない。どう反応していいのか解からないのだ。

「あ、あのさ、ハジメちゃんこういうの、好きなんだろ?」

 照れたように智早が、短くなった自分の髪の毛を弄っている。

 いつかのように短くした智早は、全くもって進歩がない。

 ハジメが思わず無言になるのも仕方がないことだろう。

「そ、それでさ、今日久しぶりにどっか行かね?」

 誰にも見えていなかったが、智早には心情の焦る気持ちが現れている。

「・・・・・・行きません」

 ハジメは一瞬だけ目を伏せた。

 視線の片隅に見知った人物が映ったが、ハジメは一瞥しただけで再び智早を見据えた。

 そんなハジメに智早は焦るばかりである。

「じ、じゃあさ、今日、昼一緒に・・・」

「すみませんが・・・」

 智早が言い終わる前に智早の言葉を遮ったハジメは、廊下の向こうから歩いてきた人物に視線を流した。

「松野さんとご一緒しますので・・・」

 松野の目が少しだけ大きくなった。しかし、智早がそれに気付くわけもない。何故なら、そのときの智早にはハジメしか見えていなかったのだから。

「何でアイツと食うの!?」

 目尻を吊り上げて言う智早。ハジメはそれを直視することができないでいた。

 しかし、智早と逢ったら言おうと思っていたことがあった。

 今言わなければ覚悟が鈍るかもしれない・・・。

「麻生先輩・・・」

 ハジメはそらしていた目を智早に向けた。

 ハジメを見ていた智早と当然目が合ってしまったが、ハジメはもうそらさなかった。

「・・・お付き合い、止めませんか」

 予想もしていなかっただろう言葉に、見詰め合ったままの智早の瞳が大きく開いた。

「僕、松野先輩と付き合うことに・・・」

「ヤダよっ!!」

 ハジメはハッとして智早を見た。

 ハジメの言葉を掻き消すようにして言った智早は、切羽詰った顔でハジメの見詰めていた。

「嫌だよっ。俺は絶対に別れたりしないっ」

 泣きそうに歪んでいるその顔を見ると胸の奥が痛むが、ハジメにはどうしようもない。

 握った拳が痛い。きっと掌には爪の跡がついているのだろう、と意外と冷静に考えていた。

 そのとき、突然凄い力で頭をつかまれた。いや、正確には顔を。

 両手で挟むようにして掴むと、智早は力任せに上向けにした。

「俺のだろ?ハジメちゃんは俺のモンだろ!?」

 それでもハジメは何も言わず、智早は伏せてしまったのハジメの瞼を見詰めていた。

「・・・そんなの・・嫌だよ・・・」

 力なく呟いた智早を見詰めていると、ふと智早の手がハジメに近付いてくるのに気付く。

 智早の手は、ハジメの頬を撫ぜてゆっくりと耳下へもっていかれる。

 軽く耳朶を擦られてハジメの躯がビクリと揺れた。

 智早が触れたハジメの耳朶を飾るものこそが智早のものという証である。

「・・・先輩は・・以前取ろうと思えば簡単に取れるって・・・言ってましたよね」

「え?ハジメちゃん・・・?」

 ハジメは智早の腕を避けると、耳朶から一個ずつ嵌められていたピアスを取り始めた。

 それをずっと見ている智早の顔は無表情だ。しかし、ハジメを見詰めた目はそらされることなく真っ直ぐだった。

「・・・僕は男を好きになってしまった自分が許せませんでした」

 どんどん取れていくピアスが小さな音をたてて床に落ちる。

「でも、それでも麻生先輩が僕をすきだって・・・本気だっていうのなら・・・っ」

 最期の一個に手を掛けた時、ハジメの腕に少量の涙がポタリと落ちた。

「ハ、ハジメちゃ・・・っ。それは無理・・・っ」

 ハジメはぐ・・・っと手に力を入れた。

 そのピアスは止め具のところが折れていて、普通には取れないようになっている。

 それは以前に智早が無理矢理嵌めさせたものだった。

 痛むのにも構わずハジメは力任せに思い切り引っ張った。

 とたんにとめどなく溢れる紅い液体に、智早は考えるより先に腕を伸ばしていた。

「馬鹿・・・っ」

「触らないでくださいっ」

 しかし、智早の腕はハジメに届くことはなかった。

 拒絶された腕は行くあてをなくし空で浮いたままになってしまう。

 降ろすこともままならない。智早は動きを止めたまま、ただハジメを見詰めていた。

 智早の目が悲愴に歪む。智早の目を捕えて離さない。

 それはハジメの耳から流れる血と同じように、ハジメの目からも涙が溢れていたから。

「ぼくはもう・・・傷付きたくない・・・っ」

 その瞬間、ハジメの躯がフラリと揺れた。

 ハッとした智早はすぐに手を伸ばしたが、それより先に松野がハジメの躯を受け止めた。

「・・・保健室に運ぶ」

 智早を冷たい目で一瞥した松野は、ハジメに視線を落とすと低い声で呟くようにして言った。

「おれが・・・っ」

「ハジメの恋人は俺だ」

 一瞬だけグ・・・っとなった智早は目を伏せた。

「・・・俺たちは・・まだ別れてなんかいない・・・っ」

 視線の先に青くなっているハジメの顔が見えた。

 どうしても別れなくてはならないのだろうか・・・。

 そんなこと、今まで考えたこともなかった。

 だいたい今まで智早から振ることはあっても、逆に振られたことなど一度もなかったのだ。

 最初から初めてづくしだったハジメとの恋愛に、智早は唇を噛み締めた。

「おい、そんなことより早く運んでやれよ」

 突然聞こえた声に、智早は背後を振り返った。

 そこには生田が眉を顰めて立っていた。

「透司・・・でも・・・」

 自分の腕でハジメを運びたいがそれが出来ない智早のもどかしさを察した生田は、溜息をつくと松野から強引に奪うような勢いでハジメの躯を抱えあげた。

「俺が運ぶ。・・・それでいいだろ?」

 保健室についた生田は、ハジメの躯をベッドに横たえるとカーテンを閉めた。

「どういうつもりだ?」

 カーテンに手をかけたまま、生田は振り向かずに問うた。もちろん松野に向かって。

「・・・何が?」

「おい、何の話だ?」

 松野が返答するのと同時に智早が疑問げな声をあげた。しかし、振り向いた生田は、智早に構わずに会話を進める。

「解かってるんだろ?・・・お前と坂遠が付き合ってるって何だよ。話が違うじゃないか」

 硬い表情の生田に比べ、松野の顔は笑っていた。

「よく知ってるね。いつからあそこにいたの?」

「・・・アレだけ騒げば誰だって気付くさ」

「お前ら何の話をしてるんだっ。おい、透司っ」

 全く話の見えない智早が生田の肩を掴み強引に振り向かせた。

「話が違うってどういうことだよっ」

 智早の強い視線に、生田は少し躊躇ったように松野を見た。しかし、次の瞬間には視線を智早に戻し、溜息混じりに呟いた。

「・・・お前にはいってないけど、坂遠が絡まれたあとコイツが俺にそのことを知らせに来たんだ」

 声は小さかったがはっきりと智早の耳に入ってきた。

「何で俺に言わねェんだよっ」

 智早は松野を睨みつけると叫ぶように怒鳴る。

 松野はそれを平然として受け止めた。

「喧嘩中みたいだったから生田の方がいいと思ったんだよ」

 心なしか、松野の智早を見る目が冷たい。

 智早がそれに気付く間もなく生田が松野に付け足すように口を開けた。

「そう。それで、それなら坂遠を助けたついでにもう一つ助けてやってくれ・・・って、俺が言ったんだよ」

 その言葉に智早が疑問に眉を顰めさせた。

 生田はわかっていない智早に気付いたのか、溜息を吐くとそのまま言葉を続ける。

「ほら。俺がお前らの中を壊しちゃったようなものだろ?だから、お前らが仲直りできるようにしてやろうと思って、な」

 智早は生田の言った言葉を考える。しかし、考えれば考えるほど智早の表情は苦悩に歪んでいく。

「・・・・・・悪化してんじゃん」

「・・・・・・まあな」

 ボソリといった智早に、生田も頭を掻きながらボソリと返した。

 二人の間にきまづい雰囲気が流れたが、それも一瞬のことだった。

「仕方が無いだろう。実は俺も坂遠のことが前から好きだったんだから」

 その声に智早と生田は振り向くと、松野は笑って二人を眺めていた。

 しかし、驚いたのはその科白だ。

 あまりの驚愕に、生田は目を大きくしていた。智早もしかりである。

「いっぱりいるよ?坂遠のことを好きなやつくらい。ただ、みんな軽蔑されるのが辛いから誰も口にしてない。けど・・・」

 松野がチラリと智早をみる。それに気付いた智早は、ギンっと睨みつけるが全く効果はないようだった。

 智早の様子に小さく笑った松野は、智早を見詰めたまま言葉を続ける。

「けど、麻生のおかげでそれも変わった・・・」

 微笑ったままの松野に、智早は警戒心まるだしの顔で睨みつづける。

「・・・智早がいいなら俺も・・・ってことか・・・?」

 強張った顔の生田に松野は無言の肯定を返す。しかし、その顔は笑っていた。

「・・・お前がそんなこと考えてるなんて知らなかったよ。知ってたら、お前なんかに頼まなかった・・・っ」

 吐き捨てるように言った生田に、智早は驚いていた。

 普段、あまり生田は怒ったことがない気がする。

 もちろんたまには怒るのだが、こんなに風に怒鳴ったりなんかしない。

 今の生田は・・・・・・傷付いているような気がする。

「もう、遅いよ」

 松野はフっと笑うとベッドを遮っているカーテンを軽くめくりあげた。

 中には静かに眠っているハジメがいる。いや、気を失っているというのだろうか。

 松野はハジメをジッと見詰めたあと、ベッドの隅に腰をかけてハジメの頬に手を寄せた。

「・・・この子は俺がもらう」

 いい様、松野はハジメに顔を近づけると、その唇に自分のそれで触れた。

 その光景を見た瞬間、智早は弾かれたように松野の胸座を掴みあげた。

 そして、気付いた時には既に殴り終わっていた。

 壁に激突した松野はゆっくりと体勢を整えると、自分を睨みつける智早に薄く笑う。しかし、その目は笑っていなかった。

「コイツに手ェだすんじゃねェよっ!!」

 智早は松野とハジメの間に立つと、松野をハジメに近づけないように吠えた。それは、まるで威嚇しているようだった。

「・・・キスしただけだよ」

「だけじゃねェだろ!?」

 例えキスだけでも、自分以外がハジメに触れるのは嫌だった。誰にも触れてほしくなかったのだ。

「でも、お前も同じことしたんだぜ?」

 智早はぐっと息をつまらせた。自覚がある所為か視線が泳いでいる。

「そ、それとこれとは・・・」

「違わないね」

 鼻で笑うような松野の態度に腹が立った。しかし、松野の言っていることは、きっと正しいのだろう。

「この子がどれだけ傷付いたか解かっただろ?」

 智早には、もはや何もいえなかった。

 無言で松野を睨むように見詰め、唇を噛み締める。

「お前にこの子と一緒にいる資格はないよ」

 背後にハジメが眠っている。

 目を覚ましたら、いったいどんな反応をするのだろう。

 もしかしたら智早の顔をみて、顔を歪ませるかもしれない。

 ハジメのそんな顔は見たくない。だが、ここを去るのも嫌だ。

 智早は、後ろを振り向くことができなかった。


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