好きになった理由

#5

 松野は辺りをキョロキョロと見渡していた。

 車の行き来の激しい往来の横にいくつも建てられた高層マンション。

 その中の一つに生田はどんどん入っていく。

 あのあと、生田に手を引かれながら教室に戻り鞄を取りにいったのだが、その間も生田は何も話さなかった。

 訳も解からずにその後を付いて行った松野は、ある扉の前に立った生田の手元を見て目を張った。

 生田のその手には鍵が握られていた。

「こ、ここ、お前の家?」

 見るからに高そうな部屋。

 驚いている松野に、生田は目をチラリと向けるだけだった。

 まるでバカにされたようで、松野は口許を引き攣らせたが今の状況を思い出してキュッと口唇を引き締める。

 今からこの部屋で抱かれるのかもしれない。

 生田が見かけほどスクエアではないことは知っている。

 だから、松野を相手にするほど性的に困っている訳ではない。

 松野を抱く理由があるとすれば・・・。

 思わず期待してしまう自分がいた。しかし、それも当たり前である。

 あんな必死な顔で追ってきてくれたのは初めてだった。

 だから・・・。

―――俺に抱かれる気はあるのか?

 本当は怖い。

 抱かれるのはおろか、抱くことさえしたことが無いのである。

 しかし、あの場面で拒んだりしたら、二度とそんなこともない気がして・・・。

 だから、怖い気持ちを押し隠してここまで来たのだ。

「・・・入れよ」

 いつの間にか、鍵を開けた生田がこちらを窺っていた。

「あ、うん」

 竦む躯を叱咤しながら部屋に上がる。

 どんどんと進んでいく生田のあとを追って入っていくと、そこは広いリビングのようだった。

 ・・・本当にでかいなこの部屋は・・・。

 見渡すほどに大きい部屋にはテレビとソファしかない。

 呆然と立っている松野に、生田の冷静な声がかかる。

「荷物、適当に置けよ」

 生田の冷たい声。

 慣れてはいるが、つい先ほどの生田と比べてしまう。

 松野を追ってきた生田と・・・。

 ハッとした松野は身近にあったソファに隅に鞄を置くことにした。

 自分もソファに座ろうとした瞬間、後ろからガッと肩を掴れた。

「お前はこっちじゃない」

 疑問に思う間もなく、引き摺られるように歩かされた松野は、一つの扉の向こうに放り込まれるように入らされ、よろけながらも体勢を整えようとする。

 ――が、突然の後ろから抱擁に、松野の躯は固まってしまった。

「と、透司?」

 完全に裏返った声で生田を呼ぶが、生田は松野の首筋に顔を埋めたまま返答をしようとしない。

 焦った松野は何とか後ろを振り返ろうとするのだが、それを巧みに防ぐ生田の所為でそれもままならない。

 その時、ふと顔を上げた先に松野は目を奪われた。

 大きなベッドが松野の視界を占領する。

「・・・見えるか? お前は今からあのベッドで俺に抱かれるんだ」

 その声にビクリと躯が揺れる。

 頬が紅潮していくのが自分でも解かっていた。

 しかし、覚悟してここまで来たのだ。

 今更後悔はしない。

 松野は口に溜まっていた唾液を嚥下すると、コクンと頷いて松野を抱く生田の腕を強く握り締めた。

「・・・お前も馬鹿だな・・」

 小さく呟かれたその声に、松野が聞き返そうとした瞬間、何かを引き千切るような音が部屋中に響く。

 無理に離された学ランのファスナー。剥き出しになった白いシャツ。

 松野は呆然として床を眺めたまま身動きさえ取れなかった。

 しかし、生田の指がシャツの釦さえも飛ばそうとしていることに気付き、慌てて松野はその腕から逃れるように身を捩った。

「・・・大人しくしてろ」

 怒鳴られたわけでもないのに、松野はその低い声に驚いて躯を竦ませる。

 躯が震えるのとあわせて口唇さえも震えてきた。

 その反応に苛ついてか、生田は舌打ちをすると松野を力任せに引き寄せてベッドの上に押し倒した。

「や・・・っ」

 自分でも驚くほどか細い声。

 それでも松野は縋りつくように生田を見詰めた。

 しかし、そこにあったのは無表情で松野を見る生田の顔であった。






「今ごろ、先輩たち上手くいってるといいいですよねぇ」

 笑いながら書類を穴パンチであけていくハジメ。

 生田が松野を追いかけて行ってから30分過ぎただろうか。

 あれからハジメと智早は、未だ生徒会室に残っていた。

「・・・いってないだろ・・」

 呟くようにして言った智早の言葉に、ハジメは振り返った。

「え?」

 眉を顰めて智早は遠くを見るように窓の外を見詰めていた。






 表情の無い生田の顔を見ていたくなくて松野はずっと目を閉ざしていた。 

 松野の意思を無視して愛撫を施していく生田に、ガタガタと震える躯はどうしようもなかった。

 不意に忙しなく動いていた生田の腕が止まり、松野はそっと瞼を上げる。

 そこには期待した顔はなく、なおも無表情で見詰める生田がいた。

「・・・もういい。帰れよ」

 突然放り出され、松野は呆然として生田が離れていくのをただ見詰めていた。

「・・え・・・」

 やっと出た声も間が抜けていて言葉になっていない。

 チラリとも振り返らない生田は、傍にあった椅子に座ると愛煙の煙草を手にするとライターで火をつけ口へ運んでいた。

「透・・・」

「帰れ」

 顔も向けない生田にピシャリと言われ、松野は口唇を噛み締めた。

 脱げかかっているシャツの襟元を握り締める自分の指が震えていた。

「・・・何・・で・・・?」

 震える声でやっと言った言葉。

 それなのに生田は何も応えない。

「・・・っ。こ、今度はちゃんと・・・っ」

 それでも生田は何も応えない。

 口唇が震えているのが自分でも解かった。視界さえにじるんでいる。

「・・・って・・」

 だって、怖かったのだ。

 あんな生田は見たことがなかった。

「―――・・・っ」

 松野は目許を拭うと立ち上がり、学ランを手に部屋を飛び出した。

 慌しい足音と響くドアの音。

 それを聞きながら、生田は窓の外を眺めるように遠くを見つめる。

 煙草の煙だけが動いていた。

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